2020年12月25日金曜日

【27日目】 ひと、と、ひと

今日はクリスマス、12月25日です。

アドベントのブログも今日が最後となりました。

「オオトリを務める」と聞いて、なにかいいことを書かなくては、としばらく苦しくなったのですが、ブログはこれからも続いていくわけなので、力を抜いてありのままのいまのわたしが思いついたことを書いてみようと思います。



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今わたしが働いている診療所では、ときどき混雑をすることがあります。

混雑をすると待ち時間も増えて、待合室も密となります。

先日、かなり長い時間待っておられた方から「あと何番目でしょう。ずっと待っているのに全然呼ばれないのよ」と伝えられました。順番を確認してめどをお答えしたものの、いかに待っておられるかのお話をされます。私は心苦しいのと申し訳ないので発する言葉が見つかりません。

わたしだって待つのは嫌いです。ただでさえ忙しい年末、めどが見えない中で待たされるのはつらいし苛立つもの。その方のお気持ちは何となく想像がつくから、安易なお返事はしたくありません。とはいえ、こちらも真剣に拝見しているからこそ診察時間が延びてしまっていることについて、なんてお応えしたらよいのだろうとしばらくまた留まっていたら、その方がしばらくお話しされた後に私の顔を見て、ふっと笑みをこぼされました。

「あら。ごめんなさいね、あなたに言ってもしかたないのにねぇ。でも、待ちくたびれちゃったのよ」とおっしゃいました。

きっと、わたしは困って情けない顔をしていたのだと思います。そうしたら、むしろその方がわたしを心配してくださったみたい。

社会人としてはお恥ずかしい話なのですが、そのお方の笑顔をみたらわたしも困り笑い。周りの方々もわたしたちのやりとりを見てちょっと笑っておられて、なんだか情けなくもありがたい、あったかなきもちになったのでした。

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ひととひととは、こころがあるからこそ、相互に作用しあうもの。

うれしいきもち、いらいらの気持ち、困った気持ちも、寂しいきもちも、伝染してしまう。それはいいこともわるいこともあるけれど、当たり前のこと。「看護師なんだから、自分の感情を見せてはダメ」と言われたこともありました。もちろん、時と場合によるかもしれませんが、いつでもそう努めていたら、いつの間にか自分の感情や感覚を掴めなくなっていました。

ひとの感情や感覚にふれて自分の感情や感覚が刺激される、そんな当たり前のことをやりとりできるのは、生きてるんだな、人間なんだな、と思えるのだと思います。

わたしは、ピアサポートのことを詳しく語れないけれど、それでも、大きな括りでいえば、「そのひと」そのものを大事にしていることはわかります。立場とか、属性にかかわらず、そのひとそのものが切り取られて大事にされる世界は呼吸がしやすいように思います。

ひと、と、ひと、が出会えばおのずと生まれる感覚の相似であったり齟齬であったり、それもぜんぶ「あり」として受け止める世界は、広くて深いように思います。自分のコンディションによって、その広さや深さに漂えないこともあるけれど、いったりきたりも人間らしいような気がするのですよね。

今日も、わらったり、おこったり、ないたり、していたい。そんな自分を大事にしたい。

なんだかおっきな話になってしまったけれど・・・。

今夜もみなさんに、祝福がありますように。


つぶやきびと:みどりん


2020年12月24日木曜日

26日目 validate ヴァリデイト


意図的なピアサポート(Intentional Peer Support: IPS)という考え方に惹かれ、学び続けています。
12年前に、Shery Meadさんが日本にいらしてくれて、はじめてIPSの研修をしてくださったのですが、それまであまり考えたことのないような言葉や考え方がたくさん出てきました。
そのうちの一つに、「validate」という言葉がありました。
IPSでは、人にはそれぞれの世界観があって、その世界観というのはそれぞれの過ごしてきた状況や経験によって形作られていると考えて、お互いの世界観に思いをはせつつ、可能性に開かれた関係性や、そんな関係性を築くような対話のありようを大切にしています。
そしてこのIPSの研修で、対話をするときには、まずは相手の言葉や気持ちを「validate」することが大事なんだ、という話になって。

そこでいったん研修を中断し、validateって日本語で表現するとすればどんな感じだろうねと話し合いました。
辞書的には「認証する、正当であると確認する」みたいな意味だけど、認証するとか承認するっていうのもなんか言葉としては変だよねぇ。
共感するとか、受け入れるとか、受け止めるって感じかねぇ?
共感だとしたら違う単語を使うよねぇ。
受け入れると受け止めるは似ているけれど、きっと、相手の言うことを受け入れることはしてもしなくてもよくて、ただ、相手の言ったことをしっかりと受け止める、受け取る、みたいなそんな感じかねぇ?
などと参加者みんなで話し合って、とりあえずその研修中は、Sheryさんがvalidateと言ったところは、ヴァリデイトする、とか、受け止める、とかそんな言葉にして話していました。

あのときの話し合いの印象をあたためながら時は過ぎ、もしかしてvalidateってこんな感じかな、と最近になってようやく思い当たるようになってきました。

あなたの立場や視点、世界観からだったら、そう見えるんですね、そうですよねぇ。
って心から思う感じなのかな、と。

そうだよね、そう思うよねぇ、と、すぐさま通じ合えちゃうような時もあるだろうし、
自分が同じ気持ちや考えではなかったとしても、
そんな風に感じてたんだね、そうだったとしたらつらかったね。とか、
世界がこんな風に見えているとしたら、そう思うのも無理はないよねぇ。とか。

もしかすると、相手の気持ちに寄り添う、という表現が意味していることと
validateする、というのは近いのかもなと思いました。

そして、それをピアサポートの間柄とか他者との関係の中だけでなく、
自分に対してもいつもできるといいなぁとも思っています。

(つぶやき人 ゆっきぃ)

2020年12月23日水曜日

25日目 ピアサポートの原則(とある1つをご紹介)

今日は12/23。スキー場で足を折り(しかも滑っていたわけでは無い…)人生初めての救急車に乗ったのが10年前のまさに今日。即手術をして、はじめての食事がチキンとショートケーキだったのが12/23の私の思い出。時が経つのは早いですね。…って、どうでも良い話をまたもやしてしまいました。

さて、しっぷろメンバーで現在チャレンジしているBlogの毎日更新も、今回を入れてあと3回となりました。毎回今度こそ少し踏み込んだことを書いてみようと思うのですがやはりまだまだひよってしまいます。さて何を書こう…。

..:✽·゚+.。.:✽·゚

病を持ちながら、そしてその病の経験を今まさに困難の中にいる方にとって少しでも役に立つのなら自分の経験を分かち合ってみるのもありかも知れない…と思って、ピアスタッフという形で働きはじめて数年が経ちます。

「ピアスタッフ」「ピアサポーター」という人を見聞きしたのがいつが初めてだったのかは正直あまり覚えていないのですが、それでもいつの間にか自分自身の関心事として大きくなり、そして今もまだまだ大きくなっていっています。

似たような経験を持つ仲間や、似たような感覚を持つ人たちとの交わりの中で、お互いさまの感覚や、分かち合う事の豊かさ、響き合う感覚。また、自分の人生を再び自分のものとして引き受けていく感覚に背筋がピッとしたことや、不安や自己肯定感の低さがゆえにただただ隠れるように彼らを眺めることしかできなかった時もあったように思います。(昔の私を知ってくれている友人は、あの頃うつむいていたよねと記憶してくれていて、けれどそんな頃の自分を覚えてくれていることもとても心が暖まります)

病の経験、似たような体験を持つ人たち同士の交わりに支えられたことが本当に沢山ありますが、ここ数年は自分では上手く言葉にならないことを他の誰かが言語化してくれている事が役立つことも多いです。それは時に専門的に支援の学びを重ねてこられた人たちがまとめたものであったり、当事者性を持つ人がまとめられたものであったりと様々です。生の経験の分かち合いも大事にしたいと思いながら、誰かが言葉を文字に起こした所から受け取ることも、ゆっくりと染みてくるような感覚を感じられて割と好みです。

興味をもってあれこれ調べるなかで、国や文化の違いなどからピアサポートの原則も様々なものが世界中で言われているという事もこの数年で知りました。今では、そういったものを読んだりする中で自分のピアサポートの経験からフィットするか、掴みきれないでいるか等々を誰かと話したりするのも好きな時間になっています。今日はその中の、あるひとつを紹介してみようと思います。

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ピアサポートのコアとなる原則(ImROC,5.Peer Support Workers : Theory and Practiceより)

  1. 相互性
  2. 互恵性
  3. 非指示的
  4. リカバリーに焦点をあてる
  5. ストレングスに基づく
  6. 包括的
  7. 発展的(可能性に開かれている)
  8. 安全 

上記内容はこちらの資料内から引用
※イギリスのイムロック(ImROC)と言う組織が発行、公開している資料です)
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ピアサポートは相互的で互恵的で、指示したりされたりではなくて、リカバリーに焦点をあてているもので……。という感じで、へぇーって思ったり、こんなこと言われているみたいだけどどう思う?と誰かと話してみたくなったり、でもこれってお国柄の文化背景とかもあるから日本だとどうなんだろう?私たちはどうだろうね?と、つい誰かと話してみたくなったりします。

これはイギリスのとある一つの資料の中で言われていることで、他にも多様なピアサポートの原則が言われていたりするようです。そして日本でもピアサポートに関心を寄せる人達同士でこういうの出されていたりするのでしょうか?私がまだ知らないだけかも知れなくて、あるのなら知ってみたいし、無いのなら仲間たちとのやり取りの中から生まれ出たら凄いなぁと思ったり。

時々夢みたいなことを考えがちですが、でも沢山の人の経験が、必要としている誰かに届き、そして役立つのだとしたらそんな営みも素敵だなぁ…なんて思ったりします。尚、上記ひとつひとつの説明文も資料内には短い記述ですが載っています。

それはまたいつか紹介できたらいいかしら。今回Blogチャレンジをやってみて、少しだけBlogに対するハードルが下がったかもと感じており、今後もたまにUP出来るように頑張ってみようかなと思っています!引き続きたまにこの、しっぷろサイト覗いてみてやってくださいね。ではーーー

(つぶやき人:りえちん)

2020年12月22日火曜日

24日目 お互いさま、差し出すこと、無条件の贈りもの

普段から忘れ物ばかりしている私ですが、アドベントカレンダーを1日落としてしまいました。悲しいかな時間に追われて、サンタさん、クリスマスプレゼントに時間をくださいとお願いしてしまいそうな日々です(いやまじで、誰か時間をください)。とほほ。

病気のような困難な経験をした人たちが集まったとき、どんな会話が交わされるのでしょうね。誰かがつらい経験を告白して、誰かが聴き慰める会話が起きるかもしれません。お互いに慰めるようなことが起きるかもしれないですね。ネガティブな言葉を使うならば、気休めかもしれませんし、傷の舐め合いのように感じられるかもしれません。ポジティブな言葉を使うならば、困難な経験をした人たち同士の会話は、お互いさまがしっくりきます。苦しいときはお互いさま、困ったときはお互いさま、そんな言葉が頭に浮かびます。ピアサポートはお互いさまの営みです。

前置きが長くなりましたが、ピアサポートの特徴の一つは互いに〜しあう関係だと私は思っています。とはいえ、とはいえです。精神的に困難な人たち同士といえども、まったくフィフティ・フィフティ(50%、50%で)〜しあう関係はなかなか成り立ちにくいだろうなぁと想像します。例えば、話を聴きあうといっても、考えてみると、二人の時間配分や話の中身や精神的な満足度などがフィフティ・フィフティであることは不可能だと思われます。

お互いさまは、難しくいえば対等な関係であり、互恵的な関係です。あの半沢直樹でいえば「やられたら、やり返す」に似ています(強引ですが言いたかったので。ごめんなさい!)。でも、現実には、お互いさまの関係なのに「倍返し」のようなことが起きているなぁと思います。いただいた贈りものよりも倍のものをお返ししたい。いただいたサポートよりも、もっとサポートを返したい、といった心理が働くことが多いように感じられるのですね。

今の自分はサポートを受けとるだけで精一杯だ、受けとるだけで心も満たされているという人は実は少なくて、どこかで恩返しをしたいとか、そのような気持ちがあると思うのです(サポートをもっともっと受けとるだけでいいという人もおられるかも。。。)。お互いに倍返しの気持ちがあれば相乗効果でサポートがふくらんでいきますね。お互いにプレゼントの「倍返し」をしあうような関係です。

理想的なお互いさまは、フィフティ・フィフティにとどまらず、お互いにサポートを倍返ししてふくらまわすような関係であるといいなぁと思います。

そもそも、お互いさまの最初のきっかけは、誰かがつらい経験を告白して、誰かが聴き慰めることから始まるとすれば、サポートに手を伸ばす、助けを差し出すように、フィフティ・フィフティではない関係からお互いさまはスタートしています。

最後にピアスタッフの話につなげると、ピアスタッフは、サポートがほしいという声を聴いて、まずサポートを差し出してみる人かも。プレゼントが欲しいという声を聴き、プレゼントを贈るサンタさんのように。サンタさんと違う点は、サンタさんは子どもたちがいい子にしてからプレゼントを届けますが、ピアスタッフは同じような経験をしているからこそ無条件にサポートを贈るところです。そこから、サポートの交換がはじまっていくといいなぁと思います。

(つぶやき人:かや)

2020年12月21日月曜日

23日目 違っているところから…


 

ながおかもんです。

えみさんもブログに書かれてましたが、いよいよアドベント最終週です。今週過ぎればもう年末モード。1年の終わりは誰にでも平等に訪れるなぁと思います。

 

アドベント最後のブログにはどんなことを書こうかなと思っていたのですが、今朝読んだ冊子にこんなことが書かれていました。「私たちと異なる力を持つ人々と協調することを信じる」。


異なる人達…というのは、生活しているととても頻繁に遭遇するわけで、世代が違う、職種が違う、専門性が違う、価値観が違う、物事に取り組むプロセスが違う、強み・弱みが違う、等々、異なりかたも多々あります。同じ言葉を使っていても、実は捉え方が違っていたりして、言葉(特に専門用語的な言葉)は怪しいものですが、いちいち説明をしていると時間がかかったりします。その時間を取れる余裕があれば良いのでしょうけど、時間がない時もあって、ゆっくり互いを理解していくのはかんたんではない作業だなと感じます。

互いの違いを理解して、かつ尊重し、その違いをお互いの強みとできる関係性は本当に素晴らしく可能性がどんどん広がっていく感覚を覚えます。そして自分ができないことを誰かがカバーしてくれるんだという安心感にも繋がるなと感じますし、自分は自分のできることを精一杯頑張ろう!とも思えます。そうか、今ブログを書きながら気づいたのは、違いを同じにしなくては…と思ってしまうと、なんだか息苦しいし自分のできることを精一杯やろうというよりは、自分らしさを抑え気味にしようという思考になっていきますね。


ふ〜む、協調ってなんだろう、と思って辞書を引いてみたら、『利害の対立した者同士が、おだやかに問題を解決しようとすること。「労資」。性格・考え方などの異なった者同士が、互いにゆずりあって調和していこうとすること。(『Oxford Languages』より)』と書いてありました。

人と異なっていることは悪いことではなく、そこをきちんと認めるところから始まるのかしら。

 

こんなところで、私のアドベントブログも今日で最後になりました。最初はとてもドキドキしましたが、とても良い挑戦をさせていただいたと感謝です。読んでいただいた皆様もありがとうございました!

年末年始、みなさまそれぞれ色々な時間を過ごされると思いますが、お一人お一人に安らぎの時間が少しでも訪れますように祈っています。

みなさま、メリークリスマス!そしてどうぞ良いお年を。

 

それでは火曜日担当のかやさんにつなぎます☆

 

(つぶやき人:ながおかもん)

2020年12月20日日曜日

22日目 好きなものがあるということ

 

あっという間に来週クリスマスですね!このブログウィークも最終週になりました。

先日からちらりと鬼滅の刃の話をしていて、最後、この話をさせていただけたらと思います(もう連日の報道でおなか一杯、という方、ごめんなさい!)

 

私と鬼滅の刃との出会いは、映画を宣伝するCMでした。あ、でもそれまで何回か、鬼滅の刃がジャンプで最終回を迎える、という話は耳にしていて、そんな作品あるんだ、へえ、くらいの感想は持っていたかもしれません。最初、CMを見たときの感想は「気持ち悪っ」でした。なんで手に口とか目があるの?という感じ…(魘夢ですね)。そのあと、第一話を見る機会があったのですが、かなりつらい描写があり、無理…となりました。風向きが変わったのはフジテレビで総集編があってから。それをたまたま見て、全話アニメを見て…そこからはもう一直線でした。

漫画を全巻買い、最終巻の販売日を指折り数えて待つ日々…

年齢を重ねると、夢中になるものが減ってきます。時間もとれないし、余裕もない…(最後にはまったのは、大学生のころに見た「新選組!」の堺雅人さん。福岡小倉でイベントあれば、福島から鈍行列車に一日揺られて会いに行ったものでした。まさかあんなスターになるなんて!)

そんな中で久々にはまった鬼滅、一日のうちにぼんやりできる時間があるとついつい考えてしまいます。もう恋ですね…

 

さて、その効用はというと…まずは小さい辛いことくらいは乗り越えられるようになります。理不尽なことがあっても「水の呼吸 拾壱ノ型 凪」と心の中で唱えると、何となく攻撃が無力化します。そして、あーもうむりーと思っても「心を燃やせ!」と自分を叱咤します。初対面の人や、今まで深刻な話が多かった人とでも、この共通点があると、10代のころのように盛り上がれます。うーん、すごい!

好きなことがあると、目に見えているものが変わってくるような気がします。

そして、こういうことが心の健康にはとても大切なんだなあと実感しています。

 

師走の中、コロナもあって気ぜわしい日々が続いていますが、皆様の心は疲れていませんでしょうか。皆様の心にも、元気にしてくれる何かがありますように。

 

それではまたいつかのブログでお会いしましょう!

メリークリスマス!!

 

追伸:うちに唯一あるクリスマスツリー?らしきものを撮ったら、なんだか後光がさしてしました…

それではながおかもんさん、よろしくお願いしまーす(^▽^)

(つぶやき人:えみ)

2020年12月19日土曜日

21日目 ひとが人を支える

 



こんにちは!にしこです。


認知症の人が、認知症と診断された人の相談にのる相談室の

ドキュメンタリーを先日、テレビで観ました。

とても感動しました。

相談にのるほうの相談員の方は、日々認知症が進行しています。

それでも、その相談員の方は相談に来る人ににこやかに自らの経験を話します。

「認知症になっても、できることはできる」と。


絶望に陥った時、その苦しみを知っている人がそっと現れる。

その時の安堵感とその先にかすかにみえてくる可能性。

そして相談に乗る方も、その仕事によって生かされている。

これこそ、ひとが人を支えるということの原点だと感じました。


最近、ピアスタッフについて、

「結局は、病気のある人とない人を区別することになるのではないか」

とか

「人はそれぞれ違うのだから、個人の経験が役立つことは限られるのではないか」

とか,

考えてしまうことがあって、だから

「究極のところ、ピアスタッフという仕事なぞは無くなったほうがいいのではなかろうか」

と悶々としていたところでした。

この番組を観て、ひとの経験や生き方が別の人を支えること、

その尊さを改めて実感しました。


お母さまが認知症であるという脳科学者の恩蔵絢子さんの解説、

「「能力」と「その人らしさ」は違う」

という言葉も身に染みました。


なんだか、今日はテレビ番組の感想になってしまいましたが、


この番組名は以下です。

12月17日放送 NHK クローズアップ現代+

「認知症の私が認知症の相談にのってみたら 見つけた生き甲斐」

いまならNHKプラス、またはNHKオンデマンドで視聴できるようです。


(つぶやきびと にしこ)




2020年12月18日金曜日

20日目 仲間たちの声


こんばんは。みどりんです。あっという間に今年も残りわずかになってきましたね。
慌ただしい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。


さてさて。余裕がないと感じるのは、みなさんはどんなときですか。

感情が動きすぎてしまう時、がんばりすぎてしまうとき。
わたしは、いまそんなときかなあと思っています。

そして、最近わすれていたことを思い出しました。

ひとりで少しゆっくりする時間をもっていなかった。
本を読む時間を持てていなかった。
大切な仲間と、ことばを大事に話す時間を大事にとれていなかった。

先日、友人とお話をしたり、丁寧なメールのやりとりをするなかで、「そうそうこれこれ」と、思い出す感覚でした。

気づくとタスクを詰め込んでしまう自分だけれど、すこしスピードを落としましょう。
お湯を溜めてお風呂に入りましょう。
深呼吸をして、緊張した筋肉をほぐしてきます。


(つぶやきびと:みどりん)



 


2020年12月17日木曜日

19日目 こなすのではなく愛でる


毎日いろいろ、あれをやって、これをやって、ってしています。そして、やらないと、と思ったことが終わるとほっとしたり、あれがまだ終わっていない、、、と気になったり。

でも、そういう日々の中で、ふと、自分は何をやってるんだろう、そもそもやりたかったことはなんだったっけ。と我に返ることがあります。

何かをどんどんこなしたりとか、人からすごいと思われたいわけじゃなかったはずなのに、うまくこなせるように頑張っちゃってたり、誰かの役に立てなかったり世の中的にすごいと思われていることをできていない自分に引け目を感じたりしていて。

やりたいもの、という何か確固としたものがあるわけではないのだけれど、でもたとえば今日は、すごくきれいな銀杏と青い空に気付きました。ああ、こんなにきれいなものがこんなにすぐそばにあった。次の予定までにあれをしてこれをして、って走りながらこなしていくのではなくて、目の前にあるものを愛でる。そういうことを自分は大切にしたいんだな、と思いました。

人との関係もそうだなぁと。人はものじゃないし、あれをやってこれをやって、ってこなしていく対象でもないし。目の前にいる人とゆったりと時間を過ごすとか、うれしかったことや悲しかったことや、大切にしていること、あるいは何かに対して感じたことをお互いに話したり話さなかったりして時間を過ごす、そんなことが私はうれしいのかもなぁとも思いました。

まとまらないままの、まさに独り言でした。。

(つぶやき人:ゆっきぃ)

2020年12月16日水曜日

18日目 働きはじめても、分かち合いはつづく

 

 

今日も一日ヘロヘロな水曜担当、りえちんです。

唐突ですが働くって大変ですね。1年目は1年目の右も左もわからない感じ。5年目は5年目の迷い。10年目は10年目の責任の大きさなど、それぞれの時間軸や経験によって大変さややりがいなどがあるのでしょうね。

私は働く中で自分が困っている事や、どのように周囲に伝えたらよいのかを迷うことがよくあります。伝えてみたけど、伝えたすぐ後から「まずったかも…」という気持ちになることもしょっちゅうです。

そしてどう伝えたらいいのか迷う時間ばかりが過ぎてしまい、気が付いたら心のつっかえが大きくなっていることがあります。もっと自分でも上手になれたらいいなと思う部分で日々模索の連続です。

そしてそんな時に、ピアスタッフとして働く友人はどのようにしているかを聞いてみることがとても役に立っています。(一緒に、うーーーんと悩んでしまうことも勿論あります)

その人ならどうするのかを聞いてみたり、いま感じている事をじっくりきいてもらったり。そんな時間の中で、「そういう視点で考えてみたらよいのかー」とか「そんな風に伝えてみたらよいのかー」と思う時間が、自分の働くことのバランスのとり方を支えてくれている方法の中の1つになっています。

働く中で、自分のバランスが保てなくなることが周期的にあるのですが、それがどんな感じかはまたそのうちに言葉にしてみようかと思います。


では今日はここまでで。

(つぶやき人:りえちん)


2020年12月15日火曜日

17日目:ロールモデル

日が落ちるのが早くなり、夜が長くなりましたね。職場を後にするとき、あたりは真っ暗です。クリスマスの由来をさかのぼると、冬至のお祭りにたどり着くらしく、この12月は長い夜を過ごさなければなりません。それなりに昼夜逆転していた時期は、17時頃に起きることも珍しくなく、12月になると太陽をまったく見ない日もあったなぁと思い出されます。

NHKが「ラジオ深夜便」という深夜番組を毎日放送しています。23時過ぎから翌朝5時まで。このラジオ深夜便は学生時代の昼夜逆転生活の欠かせない癒しでした。テレビのない学生時代でしたからラジオがお供だったのですね。オールナイトニッポンのようにテンションが高くなく落ち着いた大人(中年?)の雰囲気が心地よいものでした。ラジオ深夜便の放送終了を迎える朝5時になっても眠れないとき、自分のダメさを痛感しつつもダメさをスルーしつつ、思考のまとまらない頭で布団に入るのでした。

とあるピアスタッフから眠れないときに「ラジオ深夜便」を聞いていたよ、放送が終わっても眠れないことあるよね、そんな話題を聞いたときに、とても懐かしさを覚えましたし、そうそう!と言いたくなりました。ちなみに、わたしと同じ世代の人で、ラジオ深夜便の話題で盛り上がることは滅多にありません。そんな人はとても貴重です。病気で昼夜逆転していたとしたらなおさらレアです。

さて、ピアスタッフの話題をしてみましょう。日々の仕事の場面で、目の前にいる利用者の方から、相談に来てよかったと言われることがときどきありまして、わたしが当事者だからよかった、と話されることも稀ではありません。そのような場合、同じような経験をしている、共通の背景があることが実感されていると感じます。昼夜逆転生活のなかで「ラジオ深夜便」に出会ったというように。症状に近いところでは、わたしが疲れていても深夜に洗い物や掃除を始めてしまうとか、そういう話は、そうそう!とうなずかれることが多い印象を持っています。

わたしが現在フルタイムで働いているからでしょうか。わたしと同じ病名の人でフルタイムで働きたいと思っている人には、病気があっても働けるのだというイメージを抱けるらしく参考になるようです。この病気で休職したり失業した人であれば、再びフルタイムかそれに近い時間働けるだろうか、と一度は悩んだことがあると想像します。そんな時期に、働いている当事者と話をしたりして実感できることで、働くイメージを取り戻せることもあるかもしれません(人によるところが大きいと思われますが)。学問的にはロールモデルと呼ぶそうですね。わたし自身、障害者雇用で働く人たちや家庭生活をしている当事者にずいぶん勇気づけられたと思います。

わたしの場合や研修などで出会ったピアサポーターの話から実感していることですが、利用している人からみたピアスタッフのメリット?(効果?)は、ロールモデルの部分がとても大きいように感じます。病気や障害があっても○○できると知ることができた、とか、同じような症状や経験があって安心した、とか。当事者ならではの共感や寄り添いをあげていただく人もおられますが、どちらかといえばロールモデル的な効果を感じていることが多いようでした。

個人的には、専門職教育を受けた人たちとピアスタッフの視点の違い、ユーザー経験などさまざまなメリットもあると思いますが、利用者から見るとそれは実感しづらいだろうなぁとも考えたりします。反対にロールモデルはわかりやすく実感しやすいです。とはいえ、わかりやすいからという理由でピアスタッフの評価にもっぱらロールモデルばかり取り上げるとよくない気がします。ロールモデルは相手が感じるものなので、ピアスタッフ個人にはどうにもならないことだから。今風にいえばマッチングするしかありませんね。

ラジオ深夜便を聴いていた経験は、同時代を生きる人でしか共有しえないかもしれません。若い人であれば特定のYouTuberに勇気づけられたという経験が共感を呼ぶのかもしれません。働き方も多様ですので、わたしのようにフルタイムで働いている人の姿は、週2、3日での働き方をしたい人には縁遠いものに感じられるかもしれません。その逆もあるでしょう。

ロールモデルは時として強力ですが、意図できるものではなく、ロールモデルに焦点を当てられるとピアスタッフとして悩ましいなぁと思うことはしばしばあります。自分では努力しようがないことが評価指数になると困るだろうなぁという話でした。でも、自分ではどうしようもないことが人の参考になる面白さもあるんですよね。 なんてことを考えると眠れなくなるのでこの辺りで。

(つぶやき人:かや)



2020年12月14日月曜日

16日目 釣られた今年…🎣

 みなさまこんにちは☃️

私の住んでいる地域では、今日雪が降りました。寒いなぁと思っていたら、朝は階段で滑ってしまいました(汗)

12月も半分を過ぎて、なんとなく慌ただしい感じです。私は今年は本当にいろいろな変化があったのですが、12月はピークに近い感じです。もうすでに回っていない感じもあって、結局は生きていればよし!みたいな気持ちになってみたり、いや生きているだけでもダメでしょと回ってないことを反省したりと気持ちも忙しいです。

そんな変化の多い今年の出来事の一つに、ここで勇気を出して書いてみるのが、フィッシング詐欺にあったこと、があります。(言ってしまった

もうここでそれを話すことに勇気がいったりしているので、詐欺にあったことは、そう、なかなか言いづらいことなのです。理由は言わずもがな、騙される自分に非があるという思いもあるし、周囲からそれを責められたりネガティブな評価をされることを恐れるという気持ちもあります。もちろんフィッシング詐欺の存在は知っていたし、これまでの釣りメールも対処することはできていたのです。

ではどうして引っかかってしまったのかなのですが、それはもう我を失うくらいの忙しさが続いていたことでした。忙しいから釣りメールを斜め読みして「カードの更新をする」ということを瞬時にタスクに入れた。忙しいからカード利用の管理を疎かにしたと思った(だから警告メールを信じた)、など、いろいろ重なったんだろうなと思います。ちょっとの隙に付け込まれた感覚です。つけこまれたら最後、あっという間なのでしょう。

被害自体は、カード会社から「おかしな引き落としがありますよ〜」と連絡がきたので、未然に防ぐことができました。カード会社には本当に助けられました。

ちょうどその時にしっぷろの打ち合わせがあって、勇気を出してこの話をした時の皆さんからの反応は、「私も気をつける」と言ってくれたり、心配の言葉をかけてくれたりと、とてもあたたかなものでした。もうそれは本当に救われました。

詐欺の被害というのは、取られた金品だけではなく、被害者が周りから責められて孤独になっていくことも深刻な2次被害らしいです。金品を取られて弱っているところに、さらに、どうして騙されたんだと周囲から責められたら、自分を責めるしかなくなるのだと思います。

この話題を(恥をしのんで)出してみようかなと思ったのは、年の瀬、いろいろと忙しくなる時期ですので、詐欺等にはなおなお、お気をつけください(祈)ということと、今年もしフィッシング詐欺に遭われた方がいたとしたら、「私もです(泣)」ということを伝えたかったからなのでした。


そうそうそう、そして最近、ふがいないとか至らないなとか思った時に、効く方法を発見しました。「よもやよもやだ!〇〇のくせにふがいなし!穴があったら入りたい!」と声に出して言ってみることです(えみさんに続いての鬼滅ネタ!)。意外にも心が軽くなります。煉獄さんってすごいな。

 

(つぶやき人 ながおかもん)



❄️職場から見えた雪❄️


2020年12月13日日曜日

15日目 心理的安全性…

 

このブログチャレンジも15日目となり、折り返しを過ぎました!

今年の冬は例年に比べて暖かいなあと思っているのですが、皆さんの住んでいるところはいかがでしょうか?昨年まではヒートテックの重ね着をしていたのに、今年はほとんど出番がありません。

 

先日、数年前に行われたGoogleのチームの効果性についての調査について耳にする機会がありました。それによると、効果性に対して真に重要なのは「誰がチームのメンバーであるか」よりも「チームがどのように協力しているか」であり、チームの効果性に影響する要因のうち、①心理的安全性②相互信頼③構造と明確さ④仕事の意味⑤インパクト、の順で重要であるということが明らかになったそうです。(なんだか、一つ一つの項目が気になりますが…話そうと思ったらたくさん出てきそう!ご興味ある方は以下のリンクから見ていただければと思います。

(Google re:Work

Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る

※上記リンクからうまくつながらない際は「Google re:Work チーム」で検索でしていただければと思いますm(__)m(12月14日記)

心理的安全性(ネガティブな印象を与えるような行動をしても「このチームなら大丈夫」と信じられる状況)、という言葉、大人になってから実感するようになってきました。

自分の言ったことが、相手の中で別の意味を持って届いている、ということが1020代のころに何度かありました。あとは衝動的に思ったことを言ってしまい、後悔することも…もともと自分の意見を言うタイプではないのですが、ますます言えなくなってきたことがありました。

最近恵まれているなあと思うのは、自分の周囲の方々(チームであったり、なかったり)が「なんでも言っていいよ」という雰囲気を作り出してくれていることです。雰囲気づくりのプロかしら?と思うような達人に囲まれて、たとえ些細なことでも、つまらないかなとか流れと違うかな、ということでもいえるようになってきました。うーん、なんであのような空間が作れるのでしょうか…

その空間に浸っていると、ほわほわしてきます(鬼滅の刃の伊之助のように…)、それで話したいな、聞いてほしい、と思うようになります。なんだか先日のみどりんさんの投稿を読ませていただき、自分の中で意識されるようになったので書いてみました。

皆さんはどうでしょうか?ここなら、この人なら大丈夫、という空間はありますでしょうか?

自分も達人になりたいなあと思いつつ、今年も月残り半分、頑張っていきたいと思います(^^)

(つぶやき人:えみ)

追伸:公園のハトがむっくむくになっていました!


2020年12月12日土曜日

14日目 歌いかたによって

 



こんにちは!にしこです。


テレビで宮本浩次さんが「ロマンス」を歌っているのを観ました。

「ロマンス」は岩崎宏美さんのヒット曲で、私が若い頃に流れていた歌。


もともとはしっとりとした曲ですが、宮本さんの「ロマンス」はロック調。

それに岩崎さんはほぼ正立で歌っていた記憶があるけど、

宮本さんはスタジオを激しく動き回って熱唱していました。


同じ歌でも、捉え方や歌い方によって、こんなにも違うものになるのかと感動しました。


私たちは生きる中で、一度覚えた歌を、覚えた時の歌い方で、常に歌いがちだけど、

視点を変えて、違う捉え方で、違う歌い方をしたら、

別の意味が生まれるのかもしれないなと感じさせられました。

いい歌ほど、引き出しは多いはずだから。


先日、宮本さんのCDを購入しました。

素敵な曲がたくさん入っていて、お気に入りのひとつとなりました。

なんでも、ヒットチャート1位を獲得したとか。

紅白の空き枠で登場しないかなあ。


(つぶやきびと にしこ)

2020年12月11日金曜日

【13日目】 あのひとたちに感謝をこめて

 先日わたしは、わたしの言葉が伝わりづらいことや、言われたことへの返事のテンポが遅いことについて指摘をもらう機会がありました。これはわたしの課題でもありますが、大事にしていることとも深くつながることだと見直す機会でもありました。

 ***


10年くらい前のわたしは、今に比べれば返事のテンポも早く、すぐにわかりやすく答えを出すことも容易にできていました。たぶん。でも、振り返ってみると、それは自分の直感的な考えや判断に割と自信をもっていて、さらには自分の言動が周りの人にどんな印象や感覚をもたらすかを考えられていなかったのだと思います。返事は早かったかもしれないけれど、不正確なことや不誠実なこともあっただろうし、誰かを傷つけるようなことも言っていたように思うのです。

 

でもそれは、とても怖ろしいことです。その気づきを得てからは、自分自身を信じることができなくて、自分を大事に思うことはできませんでした。言葉を発することも怖くなり、説明するのにたくさんの言葉を要したり、あいまいな言葉で濁したり、うまく話せなくなっていました。何か意見を求められる場面でも、言葉を出したいのに頭が痺れて出すことができず、それでも「黙ってないで」というプレッシャーに応えることができずにさらに口が開けなくなる・・という内なる黒い循環が起きていて、今思えばけっこう苦しかったなあと思います。

 

そんなとき、寄り添ってくれたひとたちがいます。自分のことを大事に思えずうまく話もできないわたしをそのまま受け取ってくれて、「わたしはあなたを大事に思っているよ(あなたは自分のことを大事に思えないかもしれないけど)」と、態度で、言葉で教えてくれました。その態度や言葉は1回限りのものではなくて、そのひとたちとの時間で繰り返し繰り返し届けてもらうものでした。その空気のようなやさしさの中で、わたしもいったりきたりを繰り返しながら、徐々に自分を大事にできるような気持ちがしみこんできたように思うのです。

 

・・そして思う。


        あのひとたちは、誰?

 

わたしに、ちからをくれたひとたち。わたしがもういちど自分を信じて立つことができたり、わたしの声を発するような力を出したりすることを手伝ってくれたひとたち。名前をつけるならば、なんという存在なのだろう。

 

全く同じ経験を持っているわけではなかったと思うのだけれど、「自分のことを大事に思えない瞬間」とか、「言いたいことをうまく周りに届けることが難しいこと」を理解してくれていたように思います。そして何より、誰もが異なる考えや経験を持っていて、それが当たり前だと構えていてくれました。こんなことを言ったら笑われるかな、ばかにされるかな、かわいそがられるかな、心配させちゃうかなと思って言えないいろいろを、そのまま出して漂える空間は、居心地がよかったし、安心できた。

 

それが、先日ゆっきぃが言っていた、いろんなピアってことなのかなあと読みながら、考えていました。そして、いろんなピアと精神保健医療福祉領域で働くピアスタッフとしてのピアとは、重なる部分もあるだろうし際立つ部分も違うのかなあなど、とめどもなく思考がまわっています。。。

 

 ***


そして話は戻り、いまのわたしは、言葉を発する前にできるだけ考えるようにしています。このことは不確かではないだろうか、だれかを傷つけるようなことは発していないだろうか・・。

 

とはいえ、返事が遅いことで誰かをいらだたせたり不安にさせたりすることも学んでいます。どうしたら、課題と大事にしたいことを両立させられるのか。これからもじっくり考えていきたいと思います。


今日も今日とてながながと綴ってしまいましたが、あのひとたちに感謝をこめて。

 

(つぶやきびと:みどりん)




2020年12月10日木曜日

12日目 知らない人との間でも


自分の感じていることや思っていることを言ってもいいかもしれないと思える瞬間があります。すごく信頼している人との関係では、そういう瞬間がおこりやすいのですが、それほど話したことない人や、全く知らない人との間でも、なぜかそんな気持ちになれることがあります。そんなときに、どんなことが起きているのか関心があります。何か、ピアサポートで起きていることと関係がありそうな気もします。

ピアサポートとも関係がありそうとはいっても、共通の背景をもっているとかそういうことではないような気がします。自分が弱っているときに、全く知らない人との、ある瞬間だけの出会いの中で、人のあたたかさを感じたり、通じ合う感覚を感じたり、自分もここに存在していると気付くことができたり。それだけで、気持ちが救われた自分の経験を思い出して、あれが、人がそこにいるということだったり、慈しみの感覚というものなのかな、などと思っています。

すごく弱っているときに、なんらかの理由で、誰にも頼れなかったり、信頼できる関係が自分の周囲にない時にも、お店の店員さん、電車やバスで隣に座った人、医療や福祉のスタッフ、道で出会った散歩中の人、誰からでもいいから、会釈されたり、落としたものを拾ってもらったり、声をかけてもらったり、なんでもいいので、自分もここに存在していていいんだな、って思えるような、そんなちょっとしたやりとりが、今この瞬間にも苦しい思いをしている人の周りにいっぱいあるといいな、と思っています。

(つぶやき人:ゆっきぃ)

2020年12月9日水曜日

11日目 情けない自分も分かち合える関係性

 


みなさん、アドベントBlog、11日目になりました。

水曜担当は本日職場で健康診断があった、りえちんです。毎日仕事やその他の事で悩んだり考えたりが続いており、痩せる思いの日々を過ごしていたつもりなのですが、思いだけだったみたいで…実際には痩せていませんでした…。全然痩せていないのに冬休み用に美味しそうなお餅を先日取り寄せてしまいました…。ハハハ。

..:✽·゚+.。.:✽·゚

さて、ピアスタッフについての話題にも少し触れたいなーと思いつつも、先週末友達ととても良い時間を過ごしたので今回はそんな話を書いてみたいと思います。

毎年この時期、大掃除をされる人が多いと思うのですが、病気になってからずっとそれどころではなくて、特に2012,13年頃が一番色々な事が出来なくなっていった時期でした。けれど今年はお家時間も増えたお陰か体力的に少し余力があり、片付けを11月頃から少しづつ始めることが出来ています。それも長年封印していた段ボールに着手。段ボールを開けると2012年頃に開けずに放置していた封書類が沢山出てきました。沢山の封書類を見なかったことにして闇に葬っていたんです。

そして一人で片付けするのもなかなか集中力が持たないということで、友達と一緒に長電話(スピーカーホンにして)をしながら、それぞれ自分の家で気になっている作業をしてみよう!ということになりました。実際にやってみたら久しぶりに話しをすること自体も楽しいし、作業も進むしとても良い時間で結局3時間くらいやっていました。

私自身のピアサポートの原点ってこんな感じで、病うんぬんもあるのでしょうけども、お互いにとって「それ一緒にやれたら嬉しいねぇ」ということ。そして何より「こんなことに付き合ってくれる誰かっているのかなー、でも居てくれたらすごくうれしんだけれど…」みたいなところで、そういう事柄は大抵みっともない自分や情けない自分、不甲斐ない自分もセットで顔を出すような事柄なのですね。

そしてそんなみっともない自分も丸ごと「いいよ」「大丈夫だよ」とOK出してもらえて、「一緒にやろうよ」というような経験をお互いに時間をかけて、沢山重ねてきた関係性だなぁとしみじみしたのでした。

それぞれの支え合い、力になり合う関係は多様だと思うのであくまでこれは私が感じた、こんな関係いいな、という事なのですが気が付いたことが一つあります。

それは、みっともない自分・情けない自分を見せられた時に(時に自分がそんな姿を受け取ったりもあるでしょうね)、心の奥のかたくなった所が解けていくような感覚を私は感じるのですね。そして、そういうことが果たしてピアスタッフ・ピアサポーターといった何らかのサービスに位置づけらた役割でどこまで出来るんだろうなぁ…と、グルグル。まったく出来ないとも、思いませんけれどね。

みっともない自分・情けない自分には、病がもたらす困難があるからゆえ、みたいな事が多くあるように思います。だから本当は人に言いたくないし知られたくない。けれど自分で持つにはちょっと大きくなりすぎてしまった荷物みたいな。そして支援の枠組みだと、情けないのはいつも自分(サービスユーザー側)みたいなのも抵抗感を増す一因に私はなったりもします。

そしてそんな自分が安心してみっともなく・情けなく・不甲斐ない自分を見せられたのが似たような経験をもつ仲間なのだよなぁ。あ、勿論誰にでもそんな自分を見せられる、というわけではないのですけどね。引き続き、グルグルし続けながら考えていきたいと思います。

..:✽·゚+.。.:✽·゚

あしたはゆっきぃです。どうぞお楽しみに☆


(つぶやき人:りえちん)



 


2020年12月8日火曜日

10日目 、マクドナルドと居場所とピアサポート




晩秋から冬にかけて足を運ぶのがマクドナルドです。お目当てはグラコロ。毎年11〜12月の冬に販売されて、最近は年をまたいで販売されることも。中身はほぼ小麦粉ですが、わたしにとって病みつきになる食べもの。「グラコログラコロ」と中毒性のあるCMソングもたまらないですね。

東京の病院を退院して、いま住んでいる町に引っ越してきたとき、近隣には家族以外の知り合いは皆無でした。ひきこもりがちな生活を過ごしていて、人と話をすることから遠ざかっていきました。車を運転できるようになり毎日のように外出するようになっても、知り合いもおらず、行き場所もないため、とりあえず家を出てウロウロしていたのです。図書館や公民館のフリースペースもお世話になりましたが、好みはマクドでした。100円のコーヒーで数時間ねばることができる、Wi-Fiがある(昔はなかったけど)、駐車場が無料というのはお金のない身にはありがたいものでした。無収入になったときは100円コーヒーも節約していましたが。

「グラコロ同盟」というグラコロを愛してやまない人たちが集うネットのコミュニティが存在します。グラコロを食べた数だけTwitterでハッシュタグ「#グラコロ同盟」をつけてつぶやくと、みんなの食べたグラコロの数が表示されるサイト。みんなで食べた感じでわいわい楽しめて、ランキングも出るので食べた数を競える面白さもあります。

東京時代からグラコロ同盟に参加?していたので、冬の今頃にグラコロ食べたよ!と投稿することはささやかな楽しみでした。ほとんどの人は会ったことのない人だとしてもつながっている感じがありましたし、そこは数少ない東京時代からのつながりでした。ネットコミュニティだとしても。

マクドナルドの素晴らしいところは、誰がいてもおかしくないこと。無職の、30代男性が昼間から何をしているの?という暗黙の視線を感じて社会のなかでひっそり生きていたので、マクドナルドは自分のことを気しないでいられる場所、そこにいてよい、と思える数少ない場所でした(マクドもそれなりに他者の視線が気になりますが)。マクドナルドにはいろいろな人たちが来ては通り過ぎます。宿題をしている高校生、営業中に休憩しているサラリーマン、若いカップル、年齢差のよくわからない親子まで。

誰かと会話するような場面では、自分のことを尋ねられたらどうしよう?自分の病気や過去に関心が向けられることが恐かったのです。人と話す機会が少なくなり、会話することそのものが強く緊張するイベントになっていました。マクドナルドのように自分に無関心でいてくれることが、安心してその場にいられる条件でした。

あの頃のわたしがピアサポートグループを知ったとしても、参加するだろうか?と考えることがあって、事実、電車で行けなくはない範囲にグループがあることは知っていましたが、足を運ぶことはありませんでした。どんな人がいるかも分からないし、自分のことをわかってくれるかな……という怖さ(不安ではなく)は、同じような病気があったとしても安心感につながらないものでした。まだ見ぬ彼らに受け入れられなかったらどこまでも落ちていきそうな予感がするのでした。たぶんまだ見ぬピアサポートに期待を抱きつつ、これ以上傷つくことを避けたかったかも。

マクドナルドでは、誰かの会話にそっと聞き耳を立てることで、人と話さなくても人を感じることができて、それは寂しさもありつつ、ありがたいものでした。もう傷つけられたくないという気持ちであふれているとき、ピアサポートグループはまぶしすぎて近づけない存在だったなぁと今はふりかえることができます。

余談ですが、いま職場で関わっている居場所スペースは、アニメとゲームの話ができることを謳い文句にしていて、自分の話題になりにくいように工夫しています。その場がピアサポートと呼べるのかどうかさておき、誰かにとって、ここにいていいよと思えることはとても大事なように思われます。一般的なピアサポートグループについて批判的なことを言いたいのではなくて、人生のときどきによって求める人間関係の濃さは違うのでは?という疑問です。

いまビーフシチューグラコロをつまみつつ、マクドナルドで過ごしているわたしの姿は、同じお店で過ごす孤独な誰かのサポートになりえているのでしょうか。

クリスマスの時期に、あなたにとっていていいよ、という場所が一つでも二つでもありますように。

2020年12月7日月曜日

9日目✳︎アドベント2週目 「エモい」は尊い


こんばんは!えみさんからバトンをもらって、ながおかもんです(。◝‿◜。)
皆さんのブログも出揃って2週目に入りました。
私自身、メンバーのブログを読むのがとても楽しみな気持ちになっています。最初の頃こそは、皆さんの素敵なブログと自分のブログを比べて…自分のブログはなんてちょんちょこりんなんだぁ…と思っていましたが、今は読むのが楽しみ♪という気持ちが勝っています。

そういえば彼谷さんのブログでプレゼントの話が上がっていましたが、私はこの年になっても未だ25日の朝がソワソワします。そう、プレゼントが枕元に置かれていないだろうか、と思うのです!
いい年して何を期待しているのか、だし、サンタクロースは来てくれないし、今となっては一人暮らしなので置かれていたらちょっと別の意味でびっくりするのですが、「朝起きたらプレゼントが置かれている」あの期待と喜びとワクワク感が忘れられません。いつの日か誰かのサンタクロースになりたいと思います!

さて、今日は『「エモい」は尊い』というタイトルです。
最近、10代や20代前半の方達と関わることがあって(これは私の今年1年の出来事でもあって、新しいジャンルの人達との関わりです!)、「エモい」という感覚について教えてもらいました。黄昏の空の感じやそこを歩く学生達の姿、少し切ない感じ、淡い感じ、心がきゅうとなりながらも暖かさもある感じ?らしいです。なんとなくわかったような…わからないような感じでした。今この時を生きている10代20代が彼らの感性で掴んでいる「エモい」という感覚を、アラフォーの私が全く同じ感性で掴むのは難しいことなのだと思いました。私にも10代20代の頃はありましたが、あの頃の何かを「エモかった」と表現するもの少し違う感覚があります。

もうひとつ、10代や20代の方達が進路や今のことを悩み迷う場に一緒にいさせていただく場面がありました。自分の経験やありきたりな助言が頭の中をよぎりましたが、彼らにかけるべき言葉は、助言や答えとは違うのではないかと思って言葉を飲み込みました。この出来事を振り返った時に、湧き上がってきたのは、尊いという感情。未来のことや今のことに一生懸命で、もがいていたり、悩んで悩んで答えを見つけようとする姿は、キラキラと眩しくて、全てがとてもとても尊い。

この出来事から導き出した「エモい」の私なりの答えは、「エモい」という感覚はきっと今の若者しか持ち得ない感性で、そして「エモい」を感じる感性はとても尊いものなのだと思います。「エモい」と言っている若者達、君たちはとても尊い!と言ってあげたい!

そんなことを思っているうちにもうひとつ思ったのは、ピアサポートのこと。先の若者達との関わりで、私にだって10代20代の頃があって将来のことに悩んだ時があるはず。だけど、経験から助言をするのは少しずれてきてしまうこともあって、同じ経験と言っても違ってくることがあるのだなということと、時が離れすぎると同質性が取れないこともあるのではないかということを思いました。ピアというと同質とか仲間という意味があるけども、一人のピアスタッフ が全てを知り得ることや共感することはやっぱり限界があるんじゃないかしら。ピアというと同質とか仲間という意味があるけども、一人のピアスタッフ が全てを知り得ることや共感することはやっぱり限界もあるのではないかなぁ。一つの経験に周りが色々な、そして安易な期待をするのも違ってくることもあるのかなぁと思いました。(もちろん、私は経験は尊いと思っていますし、ピアスタッフの可能性を信じていますが。)

それでも、同じ感性の言葉を使うことはできなくても、違っていることを認めることから始まる互いの力になる関係性もあるのだろうと思います。

(つぶやき人:ながおかもん)


【写真】若者が「エモい!」「エモい!」と言った黄昏の空。







 

2020年12月6日日曜日

8日目 蜂と図書館と私

 

あっという間に1週間がたちました!最近は時の流れをとても早く感じます。

しっぷろメンバー皆さんのブログを読ませていただいて、なんだか私自身、いろいろ感情がわきあがるような体験をしています。この感情に名前はつかないのですが、懐かしくなったり、考えさせられたり、嬉しくなったり…


さて、今回のブログタイトルはきっと「??」という感じかと思うのですが(平松愛理さんの歌のようですね)、最近自分のことをそう思う機会があるので、書いてみたいと思います。

メンタルヘルスワーカーとして働いているといろいろな方のお話を伺います。現在のことはもちろんですが、子供のころのことなど、じっくりと時間をかけて。そうするとその方が自分の中でどんどん立体的になっていくような感覚があります。

そんなある日、今度はいろいろな場所で聞かれることがあります。

「こんなことで大変なのは私だけですよね?」「ほかの人はこんなつらいときはどうしているんでしょうか?」

その時、私は記憶の中の、今までお話を聞いた方々のことをずらーっと思い浮かべます。そして、その方のおっしゃることに近い体験や工夫を持っている方のことを探し当てます。まるで本を検索するように。そんなとき、「自分って図書館だ!!」と思います。

例えばこんな時に、教科書に載っているような情報(例えば、〇%の方が同じ思いをしていますよ、珍しいものではないですよ、こんなことをすると良いみたいです、など)をお伝えすることもできるかもしれませんが、それよりも実際に、身近に、同じ思いの方がいて、こんな工夫をしているよ、ということを伝えたくて、お伝えすることがあります(もちろん個人を特定できる情報には触れずに)。

そして、その方がどんな工夫をしていたか、を伝えているとき、「自分って蜂だ!!」と思います。花から花へ、花粉を運んで、またそこで実をつけるような、そんなイメージです。

皆さんにお伝えいただいたこと、すべてが自分にとって血肉(本)となって、それがまたほかの方にとっての生きる情報(花粉)になっている。最近はそう実感しています。

自分の経験や、それについて語ることが、その場だけではなく、他の誰かにつながって勇気づけることがあるのかもなあと思うと、私はなんだか力が湧いてくるような気がするのです。至らなさに落ち込むことはありますが、これまで自分の物語を語ってくださった方に感謝しながら、これからも頑張っていきたいなあと思っています。

(つぶやき人:えみ)

追伸:今日は公園でてんとう虫を8匹見つけました。けどいずれも二つ星(っていうんでしょうか?)…虫が苦手な自分が唯一手のひらに乗せられるのがてんとう虫です。





 

2020年12月5日土曜日

7日目 パンダの誕生



こんにちは! にしこです。

師走を迎え、もう少ししたらクリスマス。

でも私の心は、いまひとつ、ぱっと晴れません。


COVID-19の拡大の中、大学院にも自由に行けないし、友達にもなかなか会えない。

なんともいえず、気分がふさぎます。

それは友人たちも一緒らしく、電話で話してもなんとなくお互い黒雲が漂う感じ。


そんな中、嬉しいニュースが。


和歌山にあるアドベンチャーワールドでジャイアントパンダの赤ちゃんが誕生!パチパチ!!

パンダファンの私にとってはとても嬉しいニュースです。


赤ちゃんパンダが生まれたのは11月22日。

その日のうちに友人が教えてくれました。


和歌山には縁もゆかりもなくて、

アドネンチャーワールドにも行ったことがないのだけれど、

日頃、「行ってみたい、行ってみたい」と言っていたからでしょうね。

友人がわざわざ「生まれたよ!」って連絡を。


パンダが生まれたのも嬉しかったけど、

そうして私のことを気にかけてくれている人がいるってことが、何より嬉しかったです。


ちょっと体調を落としていた時だったので、心づかいがことさら身に染みました。

ありがとう!


子パンダが一般公開されたら会いに行きたいな。

あと、たぶん名前を公募するだろうから応募してみようかな。

和歌山のパンダはみんな「浜」という字がつくのですよね。


何がいいかな?

私の名前一字をあげて彦浜(ひこひん)。

ダメでしょうね…


和歌山のパンダについてはこちら ↓↓↓

https://www.aws-s.com/topics/detail?id=top2027


(つぶやき人:にしこ)



2020年12月4日金曜日

【6日目】 色とりどりの価値観があるということ

こんにちは。みどりんと申します。6日目のアドベントがやってまいりました。

みんなのブログを読むと、見えていなかったその人の人生のかけらや感性が垣間見えて、思いがけないギフトをもらっている気持ちになります。クリスマスの時期にぴったりの企画だと思いましたし、わたしは最近、気付いたらもうクリスマスだった!みたいに過ごしていたので、早くからクリスマスを待ち望んで暮らせる機会はうれしいなあと思っています。

 

さて、今日は、最近わたしが引っかかってもやもやしていたことを書いてみたいと思います。ピアサポートとは直接関わりがないかもしれませんが、多様な価値を尊重し合うことの難しさと大切さを感じた出来事です。

 

***


テレビを観ていたら、サービスエリアの魅力を研究しているという会社員の青年が出ていました。事故が怖いから免許は持たず、電車で行けるサービスエリアを巡っているということでした。わたしの理解では、彼はサービスエリアの魅力について語りたかったのではないかと思うのだけど、共演した人たちは「世界が広がるから、絶対に免許を取るべきだ」「車でしか行けないSAもあるのだから、好きなら取った方がいい」と畳みかけているように見えました。困り顔をしながらその人たちの語りを聴いている彼をみて、わたしは苦しくなりました。

 

家庭でも、仕事でも、誰かからこうした方がいい、こうするべきだ、と、言われることは時々ありますよね(自分でも言ってしまうこともあるのだけど、いまはいったん棚にあげます)。

 

その人がそう思うに至ったのには、さまざまな経験があってのことだろうとは思います。だからこそ、時には人生の先輩として、まだ知らぬわたしたちによかれと思って教えてくれているのかもしれません。ただ、その「よかれとおもって」は、時に厄介です。言い方やシチュエーションによっては、一方的にその人の価値を押し付けられて、さらにはわたしたちの価値は無意味なもののように扱われるような感覚があるからです。苦しくなり、悲しくなり、無力感を感じたりする。

 

彼も、免許をとらない理由として現に事故が怖いと言っていて、それでもサービスエリアが好きで、電車で行けるところを探しているということでした。電車で行くプロセスには、わたしたちの知らない魅力があるのかもしれません。番組は、それを彼に教えてもらう企画だったんじゃないのかしら、彼はその後どんな気持ちだったのかしら。。考えても仕方がないかもしれないけれど、あの後からもやもやと、考えてしまいました。

 

***


誰かがしている行動、発する言葉には、それに至る経験や感性があってのことだと思います。よかれと思ってわたしたちの行動を気にかけてくれるのなら、「こうすべき」ではなくて、なぜそれをしているのか、に関心を持ってくれたらいいな、と思います。その余裕がないならば、「わたしはこうしている」という事実をさらりと目の前に置いてくれればと思うのです。

 

とはいえ、さっき棚に上げたことを手元に戻すと、自分も自分の価値観でしか物事を見ずにイライラしてしまうのは日常茶飯事ですし、結局、上記のことにもやもやしたわたしは、私の中の価値を主張しているわけです。「みんなちがってみんないい」は、簡単なようで難しいこと。つい自分の価値が正しいように思ってしまうけれど、それは自分のものさしでしかないということは意識しておきたいし、そのためにも他のひとの価値観は色とりどりあって、それを知るというひらかれたスタンスが大事なんだろうなあと思っています。(なので、その番組を作った人たちを否定したいわけではありません)

 

しっぷろは、いろんな人の価値に触れたり情報に触れられて、自分をひらくきっかけになるサイトかもしれないと思っています。これからわたしも、すこしずつひらいていきたいとおもっています。

 

ではでは、長くなってしまいましたが、今日はこの辺で。

次はメンバーのおおとり、にしこさんにバトンをつなぎます。

みなさま、寒くなってきたので、ご自愛くださいね。

 

(つぶやき人:みどりん)

 

 

2020年12月3日木曜日

5日目 いろんなピア

みなさまこんにちは。

5日目担当のゆっきぃです。しっぷろブログに初めて書かせていただきます。

このアドベントがはじまって、みんなの投稿が素敵で、ああ、この、すごく素敵な人たちの中でブログを書くのは気が引ける、、、とか思ってしまっている自分がおりました。そんなとき、昔は気持ちが重くなって動けなくなってしまったり、逆に空回りしてしまったりしていたけれど、最近の私は、こんなときに、ああ、自分は引け目を感じてるんだね、と、自分の気持に気付いて、さらに自分をヨシヨシしてあげられるようになってます。そして、いろんな人のいろんなことに対して、素敵だな、とか、すごいな、と自分が感じることができているということにも気付けるようになってきています。

自分の内側で起きていることに気付くこと、自分のことも他者のことも慈しんで大切にすること、自分の声にも他者の声にも耳を傾けること、などなど、いろいろ思っていることがあって、また今後考えていけたらと思っています。

ところで、アドベント初日のえみさんの、おなかの弱いこどもの話し、ああ、こんなところに私の仲間がいた、、、と発見がありました。えみさんとはもう何年もいろんなことを一緒にやってきて、たくさんの時間を一緒に過ごしてきたつもりだけれど、それでも、知らなかったわけです。

そして、理由はおなかの弱さではなかったとしても、たとえば長距離移動に不安を感じる、とか、自由に出入りができないところにいられない、とかの、似たような状況や似たような気持ちを経験した人たち=ピアもいっぱいいるんだろうなぁ、とか考えていました。

そんな風に考えると、気付いていないだけで、この世は思っているよりもピアであふれているのかもしれないな、と思いました。

そして、私が通じ合う感覚を感じているあの人もこの人も、たぶん、どのあたりなのかは特定はできないながら、何か似たような経験だったり似たような気持ちを有するピアなんだろうな、と勝手にうれしくなったりしています。

明日はみどりんの登場です♪

(つぶやき人:ゆっきぃ)

2020年12月2日水曜日

4日目 ~同質性について少しだけグルグル~

 

みなさま、こんにちは。4日目担当の、りえちんです。

小学校1年生の時のクリスマスプレゼントはパーマンセットで(年がバレる…)、翌日箱をあけると、箱の横には「このマントで空は飛べません」と書いてあったのをいまでもはっきり覚えています。現実を突きつけられたのと同時に、それでもすごく嬉しかったなぁ。

そして、クリスマスということで「アドベント的ブログをやろう!」としっぷろメンバーが提案して下さりブログチャレンジが始まったのですが気分は既にその先のおせちに向かっている食いしん坊です。あーでも、シュトーレンも先日買ってしまった。いずれにしても食いしん坊に変わりないですね。


っで、何を書こうか今こうしてパソコンをカチカチしながらもまだ決まっていません。どうしよう…。なんとなくここまで皆さん子供時代の事を書かれていますね。ここ数日省エネモードで稼働中なので便乗しようと思います。


自分自身で覚えている最も幼い記憶としての「人と違う。やーい、やーい」は、集団活動のはじめであろう幼稚園での事でした。私、双子なのですね。そして周りが双子ちゃんに慣れていれば誰も気にしないと思うのですが、まぁそんな事も無く随分ちょっかい出されました。まぁ、子供にとってはちょっと面白かったり、興味深かったりしますよね、双子って。


成長する過程で、人との違いを自分で認識したり、でもまぁこんなものかなと思えることもあれば、人に言われるのがとても嫌…となったり、自分自身でも気にしていること自体が嫌になったり…、知られたくないことが増えていったり…。そんなことを繰り返して日々を送ったりするのでしょうかね。周囲からの「お前なんか違うぞ!」的な視線や声かけから少しだけ解放された感覚を得たのは、高校で別々の学校に進学した時でした。(※ちなみに兄弟同士の仲は至って普通で、双子自体が嫌なわけでは全くないです!)

 

そして、違うってどういうこと?とか違っていてはいけないのかな…という様々な経験を重ねる中で、同質性を求められることに対する恐れの気持ちが自分の中に育っていったのだなと思っています。同じであることや、普通はこうである、といったものを求められる事に対して、自分自身ちょっと敏感であったり、一方で心の奥底では同じでないと!…という気持ちがつい湧いてきてしまって、"あぁそうじゃなくて良いんだった…”と我に返ったりを人生においてずっとグルグルしているような感じです。

 

一方でピアサポートのような同じような経験、似たような体験を有したもの同士の営みは全く違った感覚を覚えたりもするので、何だか面白いですね。考えてみればあたり前なのですが、同じとか似ているものを自ら求め出会うことで得る感覚と、周りから同じであることを要求されたりする感覚は、「同じであること」を介しているのに全然違っていて、表裏の様な感じもします。つまりは同質性とスティグマ(差別偏見的な意味ですね)は表裏。色々書いてみたれど、あれ?なんだか当たり前のことになってしまった…。 


ちなみに同じであること、違うことにおいての距離感が年々上手になっていると思える今は、目の前の人と同じであることに嬉しさや安心を感じます。そして目の前の人と違うことによって見せてもらえる新しい世界に感謝することを覚えました。同じであることや違うことから来る不安や恐れを感じたら、これらの感覚を思い出していきたいと思います。

 

では私はここまでにして、明日はゆっきぃにバトンを繋ぎまーす。

みなさまどうぞお楽しみに☆

 

(つぶやき人:りえちん)


 


2020年12月1日火曜日

3日目 誰とどんな関係を、待ち望む





みなさま、こんにちは!

3日目の担当のかやです。

いよいよ12月になりました。えっ、もう12月なの!?という悲鳴が聞こえてきそうですが、どこを見渡しても今日は12月1日。誰にとっても時間は平等なのだなぁとしみじみしてしまいます。

このアドベントカレンダーも3日目です。アドベントは、キリスト教の宗教的な意味合いでは、イエス・キリストの到来を待ち望むという期間だそうです(たまたまですが、わたしはキリスト教徒だったりします)。

子どもの頃の12月1日、クリスマスプレゼントを待ち望んでいたと思います。可愛らしくサンタさんにお願いしていましたね。それからずいぶんと年月が経った12月1日の今日、自分は何を待ち望んでいるのだろうなぁ、とひとしきり考えましたが、子どもの頃に思い描いていたようなプレゼントのような品物ではなさそうです。

サンタさんにお願いごとをしなくなってしばらくたって、思春期の到来とともに、誰とクリスマスを過ごすかという悩ましい12月がやってくるようになりました。あの人と一緒にいたいと胸を焦がしたり、あの人にプレゼントを渡したいのに渡せない、という片想いには切ない時期がやってくるのです。幸運にも切なくないクリスマスをすごした時期もありましたが、それはそれで一喜一憂する日々だったなぁと思い出されます。

えっと、なにをお伝えしたいかと言いますと。サンタさんからのクリスマスプレゼントを待ち望むことを卒業してから、いろいろな人間関係での思い悩むことが今に至るまでずーっと続いているなぁ、と考えたりすることがあるのです。夫婦や恋愛関係でなくても、友人や職場の人間関係は日々つきまといますし、いくつになっても親子関係の悩みは尽きません。わたしの場合、いい人間関係を望んだとしても、なかなか上手くいかないものです。いっときはほどよい関係でいられても、何かのきっかけで、緊張感をもった関係へと変化することもあります。考えてみると、人間関係の悩みは、誰とどんな関係でいたいか、という悩みかもしれません。

ピアサポートにもさまざまな意味合いがあるようですが、人と人との対等な関係性という意味合いで好んで使われることもあるようです。ここでは、対等の意味を探ることはしませんが、ピアサポートの言葉が持つ対等な人間関係、関係性というものに、魅力を感じる人は多いと感じています。わたしもその一人です。

じゃあ、いったい誰と、対等な関係でいたいのでしょうね。自問自答してみると、わたしにとって意外に難しい質問でした。あの人と対等な関係でありたい、本音が言えたり尊重しあえるような関係でいられたらなぁ、と願うこともあれば、今くらいの形式ばった関係でもいいのかもねぇと思う人もいたりします。

対等な関係を難しく考えるとハマりそうですが、クリスマスに話を戻すと、気兼ねなくプレゼントを交換しあえる仲は心地よさそうです。わたしたちは、誰と気兼ねなくプレゼント交換したいのでしょうね。などと考えるとすこし楽しくなります。

職場で、仕事で、お友達で、はたまた家庭で、人間関係に疲れているとしたら、その人へのプレゼントを考えてみるというのは悪くないかもしれません。実際に渡さなくてもよいので。

子どもの頃はプレゼントを待ち望んでいたあなたは、いま誰とどんな関係を望んでいますか?誰とプレゼント交換したいですか?