2020年12月2日水曜日

4日目 ~同質性について少しだけグルグル~

 

みなさま、こんにちは。4日目担当の、りえちんです。

小学校1年生の時のクリスマスプレゼントはパーマンセットで(年がバレる…)、翌日箱をあけると、箱の横には「このマントで空は飛べません」と書いてあったのをいまでもはっきり覚えています。現実を突きつけられたのと同時に、それでもすごく嬉しかったなぁ。

そして、クリスマスということで「アドベント的ブログをやろう!」としっぷろメンバーが提案して下さりブログチャレンジが始まったのですが気分は既にその先のおせちに向かっている食いしん坊です。あーでも、シュトーレンも先日買ってしまった。いずれにしても食いしん坊に変わりないですね。


っで、何を書こうか今こうしてパソコンをカチカチしながらもまだ決まっていません。どうしよう…。なんとなくここまで皆さん子供時代の事を書かれていますね。ここ数日省エネモードで稼働中なので便乗しようと思います。


自分自身で覚えている最も幼い記憶としての「人と違う。やーい、やーい」は、集団活動のはじめであろう幼稚園での事でした。私、双子なのですね。そして周りが双子ちゃんに慣れていれば誰も気にしないと思うのですが、まぁそんな事も無く随分ちょっかい出されました。まぁ、子供にとってはちょっと面白かったり、興味深かったりしますよね、双子って。


成長する過程で、人との違いを自分で認識したり、でもまぁこんなものかなと思えることもあれば、人に言われるのがとても嫌…となったり、自分自身でも気にしていること自体が嫌になったり…、知られたくないことが増えていったり…。そんなことを繰り返して日々を送ったりするのでしょうかね。周囲からの「お前なんか違うぞ!」的な視線や声かけから少しだけ解放された感覚を得たのは、高校で別々の学校に進学した時でした。(※ちなみに兄弟同士の仲は至って普通で、双子自体が嫌なわけでは全くないです!)

 

そして、違うってどういうこと?とか違っていてはいけないのかな…という様々な経験を重ねる中で、同質性を求められることに対する恐れの気持ちが自分の中に育っていったのだなと思っています。同じであることや、普通はこうである、といったものを求められる事に対して、自分自身ちょっと敏感であったり、一方で心の奥底では同じでないと!…という気持ちがつい湧いてきてしまって、"あぁそうじゃなくて良いんだった…”と我に返ったりを人生においてずっとグルグルしているような感じです。

 

一方でピアサポートのような同じような経験、似たような体験を有したもの同士の営みは全く違った感覚を覚えたりもするので、何だか面白いですね。考えてみればあたり前なのですが、同じとか似ているものを自ら求め出会うことで得る感覚と、周りから同じであることを要求されたりする感覚は、「同じであること」を介しているのに全然違っていて、表裏の様な感じもします。つまりは同質性とスティグマ(差別偏見的な意味ですね)は表裏。色々書いてみたれど、あれ?なんだか当たり前のことになってしまった…。 


ちなみに同じであること、違うことにおいての距離感が年々上手になっていると思える今は、目の前の人と同じであることに嬉しさや安心を感じます。そして目の前の人と違うことによって見せてもらえる新しい世界に感謝することを覚えました。同じであることや違うことから来る不安や恐れを感じたら、これらの感覚を思い出していきたいと思います。

 

では私はここまでにして、明日はゆっきぃにバトンを繋ぎまーす。

みなさまどうぞお楽しみに☆

 

(つぶやき人:りえちん)