2022年1月21日金曜日

「パトリシア・ディーガンさんの動画をみる会」に参加しました

 こんにちは。みどりんです。

先日、りえちんがしっぷろメンバーを含めた仲間うちで「パトリシア・ディーガンさんの動画をみる会」を主催してくださり、行ってまいりました。

この動画は日本精神障害者リハビリテーション学会の企画のひとつで、オンデマンド配信になっていたものです。みんな学会に参加はできたものの、オンライン開催だしひとりで観るのも少し寂しいよね・・ということで、企画を立ててくださったのでした。わたしにとってははじめましての方もおひさしぶりの方もいて、ご縁もつながってあたたかな時間でした。そして実は裏テーマがあって、それはりえちんのお誕生日会♪(ぱちぱちぱち)りえちん、おめでとうございます!

改めて、同じタイミングで同じ場で同じものを共有するというのの希少性と、ありがたみをしみじみと感じる素敵な機会でした。(※感染対策は事前に周知しつつ徹底して行いました)


内容は、「わたしのリカバリーストーリー」「リカバリーへの取り組み メディケーションエンパワメント」そして「質問への返答」を少し。色々と興味深いテーマがありました。


わたしが帰り道にぐるぐると考えていたのは、「クリニカル(医療的な)な文化」について。医療専門職たちがいる世界は医療的な用語と医療的な思考とが文化として流れているという文脈でしたが、改めて今の自分はどうなのだろう。いまの自分はメンタルヘルスに関連した現場にいるわけではないのですが、地域の診療所にいます。診療所という意味ではクリニカルな文化が大いにあるのですが、地域のなかにあって地元の話をしたりするような身近な存在でいられるとしたら、クリニカルだけではない関わり合いは割と起こっている気もするのです。とはいえ、やっぱりクリニカルはクリニカルだよなぁ・・とか。

絶対に白と黒という世界ではなく、クリニカル or notではないとは思うのだけれど、わたしはクリニカルクリニカルした人間にはなりたくないなあと思う。じゃあどんな人間になりたいのだろうかと問うと、人間らしくありたいなあと思う。じゃあ人間らしいってどういうのかと問えば、どうなんだろう。人間らしいもひとそれぞれ。だからとりあえず、わたしらしいでいい。でもわたしらしいってなんだろう。。ぐるぐるぐる。

・・・ひとりごちてしまいましたが、こういう思考も、みなでああだこうだ話したからこそ喚起されたものもあります。こういうプロセスを一緒にできるというのはやっぱりいいですね。


いま、しっぷろで定期的に行っている勉強会もそうですが、同じテーマについてみなで味わって対話しあうというのは、ひとりで考えたり鑑賞するよりもよっぽど幅がひろがって深まります。これからもしっぷろで、こういう機会をまた創ったり、シェアをしたりしていきたいと思っています。

改めて、企画をしてくれたりえちん、参加してくださったみなさまありがとうございましたー。今後とも、どうぞよろしくおねがいをいたします。

(つぶやきびと:みどりん)


2022年1月15日土曜日

ピアスタッフの為の小さな継続学習会(4)

 9月から学習会を始めました。私たちも試行錯誤の手探り状態でまずはお試し的な意味合いも含め、当面はクローズで実施の予定です。

しばらくこの試みをやってみた後に、参加者を募って学習会を開けたらと考えており、現在はその準備も兼ねているといった感じです。参加希望の方には大変心苦しいですがご案内が整う時期がきたら、しっぷろWEBサイトにて案内するように致しますので何卒よろしくお願い申し上げます。

第4回学習会(勉強会)を2021年12月26日(日)に行いました。この学習会は、ピアサポートワーカーとして働くことについてなどをコツコツと学ぶための学習会をまずは小さいサイズの固定メンバーではじめてみよう、ということではじめました。内容について知りたい方もいらっしゃるかもと思い、少し共有させていただきます。


この日は、

  • 参加者同士の自己紹介

  • 学習内容

  • 今日感じたことの分かちあい & 今後の予定確認など…をしました 


 
学習会資料

ImROCの「ピアサポートワーカー:理論と実践」(5. Peer Support Workers: Theory and Practice) https://imroc.org/wp-content/uploads/2013/06/5ImROC-Peer-Support-Workers-Theory-and-Practice.pdf(2021 .09..25確認 )

(p.8-9) ピアサポートのコア原則 (Box 3: The core principles of peer supportから)


「コアとなる原則」③非指示的(Non-directive)

精神保健の専門家は、特別な知識を主張しているために、彼らがサービスを提供する人々に「最善の」行動のコースを指示することがよくあります。ピアサポートというのは、(精神保健の専門家が提供する「最善」のサービス以外の)他の専門性に基づく対応をする専門家等を紹介・導入することではありません。

「私にはこれが効いたから、これを試してみるべきです」

…そうではなくて、彼ら(ピアサポートワーカー)は人々が自分のリソースを認識し、自分の解決策を模索することを助けてくれます。「ピアサポートとは、専門家ではないことの専門家であることであり、それには多くの専門知識が必要です」

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  • (説明文の中で)意味が掴みづらいところがあった。

  • ピアサポートというのは、(精神保健の専門家(mental health professopnals)が提供する「最善」のサービス以外の)他の専門性に基づく対応をする専門家等(experts)を紹介・導入することではありません。」とはどういうことなのだろう?

  • 説明文の中にある上のカッコ内を一旦、読み飛ばしてみると少しはわかりやすくなるかもしれないと思った。

  • (指示的な言い方は)余白がないように感じてしまうこともあるかもしれない。「べきだよ」とまでは言わないまでも。(ピアスタッフであっても)暗に指示的な言い方になることもあるかも。

  • 文脈にもよる。緊張した関係であっても、丁寧な言葉でもパワーを感じることもある。

  • とある別のピア関連の研修に以前参加した時、研修参加者の中で服薬の重要性を述べておられた方に出会ったことがある。その方を前にしたときに、別な考えを持っていた自分は少し固まってしまったことがある。

  • 説明文、最下部の「それには多くの専門知識が必要です」というのは、ピアサポートワーカーとしての専門知識が必要という意味なのだろうか?どう読んだらいいのだろう。

  • 専門職のような専門知識ではなくても、ピアサポートにおいても押さえておくポイントはあるような気がする。でもそれを誰かに習うとか、そういうことがある訳でもない……。

  • 専門的な教育を受けた事による知識なのか、それとも経験からの知識のことなのか?どういう意味だろう。

  • ピアサポートワーカーとして大事にすることとかかな?

  • ここで言う、ピアサポートの専門知識とは、もしかしたら熟練とか成熟度とか、そういうニュアンスかもしれないと思った。

  • ピアの成熟度、熟練のものって、研修とかで身につくものなのか?

  • んー。でも研修が全く役に立たないと思わない。研修は考えるきっかけのひとつにもなる。

  • ピアサポートが研修だけで出来るようになるのだろうか?と考えると、ピアサポーターの本質的なところが損なわれる印象がある。ピアサポートそのものは、本来自然発生的にインフォーマルに生まれるものなのに、学問的に知識的に身につけようとすることが相反するようにも思った。

  • そもそも研修ってなんでしょうね。研修ってどのようなことを意味するのだろうか。

  • ピアサポーター養成研修に参加してみると気づきや学び、つながりができて、自分にとっては色んなきっかけになった。研修したから終わりではなくて、実際活動する中でいっぱい失敗したり生の体験をして、ピアサポーターに少しずつなっていくのではと実感している。

  • 研修でピアサポートが身につくか?というと難しいところで、その人にとってのピアサポートが何かということにもよる。自助グループって集団精神療法でしょ?って言われることもある。研修でピアサポートを体感できるかは挑戦したいと思っている

  • ピアサポートに従事するには、スピリッツを育むようなトレーニングとお給料をもらうに最低限社会人として必要のものとの両方が必要になるのではないか。研修といっても幾つかのベクトルがあると思う。

  • いまグルグルしているのは、だとしたら「ピアスタッフ」と名乗れるのは一体誰なんだろう?とグルグル。

  • ここまで色々と考えていたけども、自分は看護師の資格を持っている。資格さえ取れれば良いという人も中にはいるし、お給料のためという人も実際はいる。人と対するという事に愛着を持っていない人もおられる。看護ってなんだろうとか、人との関わりってなんだろうとか、考えていない方もおられるかも。でもさっき出ていた失敗しながら終わりなく学んでいくというのも大事だと思う。スピリッツとスキルを両方育てるのが大事だなと自分も思う。専門職として何を大事にするのか……、そこをどう大事にしながら、学んでいくんだろうなと思う。でもあとから「これがピアサポートか」となることもある気がする。ただただ経験をつめばいいというものでも無さそう。

  • 大事なことを確認するというのは、確かにそうだと思った。ひとりで確認することも出来なくはないけども、研修かとかの場で複数の人と一緒にやることに意味があるのだと思う。みんなで学びあう中で「え!?」思う発言をする人がいることもある。あとから振り返ってあれってどうだったんだろうと考えるきっかけにもなるし、そういう意味でも研修が全く意味がないとは思わない。

  • 研修受けた後に、じわじわと「みなさんがあの時に言ってたのはこういうことなんだ」というのも大事だと思う。スピリッツが無い、なにか大事なものが抜け落ちていることを例えばマシーンと仮に言うならば、マシーンから人間になっていくプロセスがあっても良い。入り口は色々あってよくて、入口が例えば「お金もらって働きたい」という方がいても良く、というかそういう寛容さがあっても良いのでは。そののち、スピリッツが育まれる研修になっていけたらよいのではないか。

  • 自分では自分のことをどこか修行僧のようだと思っている。(学びについての)永遠に終わらない修行をしている感じ。けど、以前ほかの人に探求する学びは嫌ですと言われたことがあった。ライトにインスタント(簡単に身につく)な学びを好む人もいるようだとその時感じた。

  • 「働く」と「生きる」がすごくリンクするなと自分は思うけど、人によっては働くと生きるを切り離している人もいる。決められたぶんだけ働きます、っていう人もいる。資格というか職種となるといろんな人がでてくるだと思った。

  • ナースでも仕事サボっている人が良いという人もいる。マインドとして(情熱を)すごく持っていても仕事としてうまくいかないという人もいるし。想い(情熱)があるばかりに、短距離競走(すぐにバーンアウト)になる人もいる。熱過ぎず適度な距離をもてる方が長距離走れるかも(無理せず長く働くことができる)。利用者さんにとってどちらが良い支援者かとは一概には言えないかもだが。生きると働くを上手にやりくりしている方もいらっしゃる。たしかに。

  • スピリッツとスキルは違うんじゃないかと思う。スピリッツは日頃から出すものではなく、ダークサイドに落ちそうになった時などに活きてくるように思う。例えばいま話題になっている三菱のこととか。組織の生存をとるか、エンジニアのスピリッツを持つか。それを捨てたらエンジニアと言えない気がして。スピリッツというのは生存が脅かされるような状況にこそ生まれてくるような気がする。

  • ピアサポートワーカーと一緒に働く人たちの理解も大事だと思う。ひとりだけで働くことは少ないので、危機に面した時には相談できたりする、ということが大事だと思った。

  • ピアサポートワーカーとして働く時、助けて欲しいと思った時に「助けが必要だ」と言えるかどうかは大事な気がする。ピアの強みのひとつでもある気がする。

  • 「助けて」って言いづらいことが心底染み付いている人たちで、それを知っていることが良い作用になることがある。職場で専門職の人と組んだ際、「困ったらすぐ言えばいいじゃない」と専門職は言いがちだけれど、それは無理じゃないか、と思うことが多い。

  • 困っていることを言えないことを前提に動いているし、困っていると言ってくれたらサポートはできる。しかし困っていると言わなかったらお節介はしない、というのがなんとなくわかっていると安心なのかと思う。助けてっていうのはむずいよねってお互いがわかっているからそれができるかもしれない。

  • 助けられた経験、からだの細胞中で感覚的に得たものがあるからこそ見えるものもあるし、助けて欲しいときに声に出せるちからも大事だと思う。

  • 助けてと言っても、助けてもらえるとも限らない。また助けてと言ってないのに助けられてしまうこともある。「助けあう」に行き着くまでの段階的な前提を、いくつか学べたらよいのかな。

  • 今日のテーマはなんだか全然違う話?になってしまったけれど、今日はここまで。


感想

  • 今日のテーマである「非指示的」に行き着くまでにいろいろありそうだと思った。それもまたいいなあと思った。自分はみんなと話せて満足だったけれども、みなさんはどうだったかな。
  • ピアスタッフたちがコアとするところ、大事にする価値観が人それぞれ違うなと思っている。例えば、服薬の重要性を言う人は、ご自身ではそれが指示的とは思っていなくて。「服薬管理が大事」という自分の経験に裏打ちされた信念は強い気もする。それぞれのピア同士の価値観が違うから、それが研修という場でも出てくる。似たような考えを持った方以外が集まる場では、どんな対話が繰り広げられるのだろう。
  • 勉強になった。ZOOMでいろんな方と繋がって学習会ができるって嬉しいなあと思った。研修の意義のひとつは、経験を飼い慣らす、意図的に関わることを学ぶこと。経験を振り回すと危険なこともあり、自分も周りのひとに「がんばれよ」と言っていたことがある。自分の経験の差し出し方の基礎を学ぶ意義があると思った。回復していく過程の中で自信をもちすぎる段階があるような気がして。過去の痛みが霞んじゃうときがある。
  • 面白かった。自分はできるという感覚って、専門職もあるだろうと思った。仕事でしんどいなと思うのは、たすけてほしいという指示的だと思った。何かのきっかけて非指示的なコミュニケーションによって「なんでたすけてくれないんだ」が変わっていくのかもしれない。そういう経験を言語化することはまだ難しいと思ったりした。
  • ありがとうございました。本当にぐるぐるまだ考えることがある。経験を振り回すという話では、わたしも経験や知識を変に振り回してしまう時代があった。自分の言動がどう聞こえるかを学ぶのは人と関わることを専門とする者にとっては大事なことだろうとおもった。資格があるなし関係なく大事なことなのだと思う。




この学習会を含め、2021年度のしっぷろの活動は、「草の根市民基金・ぐらん」様の助成により実現しています。草の根市民基金・ぐらんさんのWEBサイトはこちら → https://citizensfund-grand.org/