2022年2月26日土曜日

人生というもの、誰のもの

こんにちは!にしこです。

このご時勢、最近は家でテレビばかり見ています。

先日、NHKの「ザ・プロファイラー」という番組で和田誠さんが取り上げられていました。和田誠さんは日本におけるイラストレーターという仕事の草分けの存在で、2019年に惜しくも亡くなられました。私は和田さんのイラストは目にしたことはあったけど、その生涯はあまり良く知りませんでした。番組を見て、その多才ぶりを知り、びっくりしました。


タバコの「ハイライト」のデザインを手がけていたり、映画「麻雀放浪記」の監督をしたり、「お楽しみはこれからだ」という映画のエッセイを執筆したり、「みんなのうた」の第一話目のアニメーションを作成したり。何より、お金や名声よりも、面白いこと、新しいことを追い求めた人生に感銘しました。


和田さんは静かな性格ながらも仕事には厳しい人だったようです。今では普通になった本の後ろにあるバーコード印刷の導入には反対の立場だったというエピソードが紹介されていました。本の装丁、デザインを汚すという理由からだったそうです。「バーコードが便利なものであるということはわかっている。でも便利が美しいもの、面白いもの、洒落たものを犠牲にしていいのか」と。


あと奥様が料理愛好家の平野レミさんだったことも知らなかったことでした。シャンソン歌手だったレミさんを和田さんが見初めたとのこと。和田さんは静かな人だったのに対し、レミさんはテレビの通り普段も賑やかな人らしいです。若い頃の、お二人の写真、レミさんが賑やかに笑っているのに対し、和田さんが静かに微笑んでいる、そんな感じが仲の良かったご夫婦関係を彷彿とさせるものでした。


番組で、レミさんが和田さんとの思い出を面白おかしく話すのだけど、やはりどこか寂しげで。和田さんが亡くなった後、仕事場の書類の山から、一枚の譜面が出てきたそうです。それは和田さんが作ったレミさんのことを綴った歌でした。レミさんがそれを番組内で歌った時には涙がこぼれました。


レミさんは言います。「私も和田さんの作品のひとつだったかもしれない」と。私はこの言葉を聞いて、ああ、こう言えるのは幸せだなと思いました。自分の人生が、自分のものだけではなくて、人の手によるものだって感じられるのは心が豊かでないとできないことだなと感じました。これはあくまで私の主観ですが、「俺、自分の人生、自分で切り開いてきたぜ」なんて語りぶりの武勇伝がとかく評価されたり、もてはやされがちな気がします。だけど自分の力だけでの人生ってあり得ないと思うから。自分の人生が「大切な人の作品」と思える一生って素敵だなあって思います。


番組を見終わって、そういえば我が家にも和田さんが装丁とイラストを手がけた本があったことを思い出しました。「ポートレイト・イン・ジャズ」という本で十数年以上前に購入した本です。何年かぶりに本棚から引っ張り出してきて眺めてみました。ふと背表紙のバーコードがどうなっているかなとみてみたら、そこはバーコードの部分だけシールになっていて、剥がせるように工夫されていました。和田さんのこだわりに直に触れられた気がして、嬉しくなりました。


ああ、ほぼ番組の宣伝のようになってしまいました。ご容赦、ご容赦。


(つぶやきびと:にしこ)





2022年2月20日日曜日

ピアスタッフの為の小さな継続学習会(5)

 9月から学習会を始めました。私たちも試行錯誤の手探り状態でまずはお試し的な意味合いも含め、当面はクローズで実施の予定です。

しばらくこの試みをやってみた後に、参加者を募って学習会を開けたらと考えており、現在はその準備も兼ねているといった感じです。参加希望の方には大変心苦しいですがご案内が整う時期がきたら、しっぷろWEBサイトにて案内するように致しますので何卒よろしくお願い申し上げます。

第5回学習会(勉強会)を2022年1月16日(日)に行いました。この学習会は、ピアサポートワーカーとして働くことについてなどをコツコツと学ぶための学習会をまずは小さいサイズの固定メンバーではじめてみよう、ということではじめました。内容について知りたい方もいらっしゃるかもと思い、少し共有させていただきます。


この日は、

  • 参加者同士の自己紹介

  • 学習内容

  • 今日感じたことの分かちあい & 今後の予定確認など…をしました 


 
学習会資料

ImROCの「ピアサポートワーカー:理論と実践」(5. Peer Support Workers: Theory and Practice) https://imroc.org/wp-content/uploads/2013/06/5ImROC-Peer-Support-Workers-Theory-and-Practice.pdf(2021 .09..25確認 )

(p.8-9) ピアサポートのコア原則 (Box 3: The core principles of peer supportから)


「コアとなる原則」 ④ リカバリーに焦点をあてる(Recovery Focused)

ピアサポートは、以下のようなことによってリカバリーに焦点を当てた関係を築きます。

希望を呼び起こす…「あなたなら出来ますよ」と言える立場にあり、サポートしている人

の個人的 な信念、エネルギー、コミットメントを生み出す手助けをします。

●個人的なチャレンジのコントロールを取り戻し、自分の運命を明確にするためのサポートを  

します。

●その人が大切にしている機会へのアクセスを容易にし、自分の選んだコミュニティでの役割、 

関係性、活動に参加できるようにします。

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  • コミットメントってなんだろう?
  • 「責任」とか「関わり合い」というのが自分の記憶には残っている。
  • 自分が自信がもてないときは、責任を持てないでいた。
  • 参画することを自分で決める、主体的に関わる感じ。誰かに乗っかってやるとかではなくて、その物事に自分が関わるという意思表示。自分がリカバリーできるとおもって始めて踏み出せる感じ。ビジネスだと、「私も関わる」とシンプルな感じだけど、端っこにいるというよりも主体的に関わるというような。
  • コミットメントを生み出すというのはその人にあるちからを引き出すというか、主体的に歩むきっかけを作るというのが大事なのかなと思った。
  • 責任という言葉があったので他の文章と重ね合わせて考えていたが、「責任」ってどんな時に感じるかと考えた。失敗したときに責任って感じたと思う。失敗を受け入れる前提。失敗が悪だという風習があるが、失敗しないとわからないことがある。
  • 失敗から学ぶことの話を聞いて共感した。病気になってから親がよかれと思ってやってくれたこととか周りが決めてくれたこともあったが、本当は自分の思いと違っていたり自分でやりたかったりしたこともあった。失敗するかもしれないけどチャレンジしたかったことも、周りが転ばぬ先の杖をつくってくれてた。たしかに自分で決めることが怖い時期があったが、失敗しても自分で決めて自分でやってみるって本当に大事。周りの方をみても自分でチャレンジしていずれ立ち上がって頑張っている姿をみるとそう在りたいと思う。
  • 失敗について。とある工程でミスをしたひと(メンバーさん)がいて、ご本人も気づいて、周りも気づいたが、何もなかったように職員さんが失敗を引き受けてやり直したということがあった。その時に不自然に感じたというか、ご本人も失敗したと気づいたが、本人も何も言わず。引き受けた人もそれに対して言及しなかった。すぅっと引き受けちゃうのが不自然に感じた。強く指摘するのも違うかもしれないけど何もないのも。未だに何がどういう声かけがベストだったか考えている。以前いた職場では、失敗についてはあとで振り返ったり、どうすればミスを防げたかを考える時間を持ったりしたが、今回は何事もなかったように終わってしまった。なぜ違和感を感じたのか考えていた。責任を取り上げちゃう感じ。
  • 何が闇に葬られたのかが気になる。何かがなかったことになるのは気になるなぁ。本人を傷つけないように失敗したと思わないようにしたのかなんなのかわからないまま終わった。
  • 希望を呼び起こす「あなたならできます」がないと消えてしまう。言わないとできないと思っているからしょうがないと思ってとりあげちゃう。次も同じことするかもしれない。言えば出来るかもしれないのに、次はできますという機会を奪っちゃう。可能性を小さく見積もっているのが気になった。信じていないように思った。
  • 失敗する権利とか、できる可能性とか奪われてしまった可能性もあるのかなと思った。その方がちょっとしたことで敏感になって通所できなくなるなど今までにあったのかとか背景も気になった。職員間でその方どうなのかとかこれからどうするか等お話したり、本人の思いを聞いたりできたらいいのかなと思った。
  • 自分は作業所で4年くらいクッキーを作っていたが、ほとんどはスタッフが用意して簡単な作業しかしていなかった。楽しかったが、やり甲斐はイマイチだった。先程の話でも、本人がやり甲斐を感じられ、気持ちが作業に乗っていると、失敗したけど頑張れたという実感につながるのかなと思った。
  • スタッフが失敗したくないという枠に入ってしまう。
  • その場に参加をしているが、機会を奪っている感じがある。新たに生まれるその人の価値。
  • 「失敗する権利がある」と支援者が言う時に、ん?と思う。わたしは失敗したくないんだよね、と思ってしまう。今まで散々失敗してきて自信を失ってきたのに、支援者の人にそれを言われたときに、いやいやこれ以上失敗したくないという気持ちになったりする。就職とか面接を受けに行くとか、落ちたとしても失敗する権利があるといわれると。これ以上人生において失敗したくないという反発もある。そんな気持ちになることありますか?
  • 失敗してもいいよ、というのは上から目線感があるように思う。失敗する可能性があるとおもっているんじゃないかとか。自分で「失敗してもいい」と思うのはいいけども。
  • 意図的に失敗させる?ではないけれど、支援者が思っているのと違う方向に行こうとした時に、自分でやってみて失敗から学ぶように、気づきを促すために言ったりするのも気になる。例えば、就労支援において、本人が持っている現状のスキルより求められる条件が高いところばかりを受けたいと言ったとき、支援者は「受けたとしても通らないだろう」と思っている。支援者たちが「落ちることでご本人も気づくよね」というような、意図的に失敗から気づいてもらおうという。気づきを得るためのチャレンジとか、「失敗する権利がある」と言われると嫌だなと思う。挑戦する過程を見ながら、評価している感じ。失敗する権利があるというのは失礼。ご本人が一生懸命考えてチャレンジしていると思うと言えなくなるのではないか。関係性にもよる。自分だったら驚くかもしれない。
  • 失敗していいよ、と、自分が安心したくて言っていることもあるかも。自分の保険のために言ってたり?
  • 失敗する権利と言っちゃうと強いし、上から目線な感じがする。自分には権利があると思うのはいいけれど、失敗してもいいよーと。失敗しちゃったらどうしようどうしようという人に声かけはできるかもしれない。
   
感想
  • あなたならできることを自分の経験からわかっている、など翻訳を変えてみても良いかもと思った。
  • 学習会が始まる時にワクワクしたり。今日も色々学べて幸せだったなーと浸っている自分がいる。今日の学びの中で「失敗」に対する考えや話も聞けて良かった。私は失敗すると落ち込んでしまう。1日の終わりの夜にぐるぐるしてしまうこともあるが、行き着くところは課題を次にいかそうと。失敗してナンボだなと自分に言い聞かせている。
  • 本日もありがとうございました。失敗をキーワードに話ができた。職場で失敗して、これ以上ミスしたくないなと思う状況もあるのだが、その時々の段階によってかけて欲しい声かけって変わってくると思った。過去を振り返って、その時の支援員や仲間からかけてほしい声かけを思い起こしてみたり、今の同僚や上司からどうフォローして欲しいかとか考えると、状況や関係性によって変わってくるのだなと思った。どういう言葉で自分がエンパワメントされるかということが違う。学習会に参加すると、わたしもあたたかな気持ちになるというか、いい感じの自分で終われるので、とてもいい時間を過ごせました。次回もよろしくお願いします。
  • 失敗する権利という言葉が出てきて、本人がいう言葉でひとから言われる言葉じゃないのだとおもった。権利ということがその人に備わっているもので人から言われることじゃない。チャレンジは大事にしていきたいが失敗は大きないたでを負うリスクがあるときに困る。金銭的なダメージとか、怪我を負うとか。転ばぬ先の杖という感じになってしまう。
  • ひとの話をきいて味わって聞かせてもらった。自分の中に湧き上がってくることも大切にしてみんなで共有出来たのも嬉しかった。自分にとってのリカバリーにもなっているのだろうと思う。にしこさん、失敗するからこそ責任に気づいたりする。世の中に「失敗しないので」というひとも責任を感じたりもするでしょうと思ったりしていました。また次回もよろしくお願いします。
  • いろんな人と話して話や価値を交換するっていいなとおもった。そうだよね、と思っても自分がすぐに動けないこともあるんだけど、他の人が動いてくれたり、違和感を感じた時に声をあげてくれる人が居て一緒に考えることができることで深まりが生まれる。なかなか対話をする文化がないけど、あるようになるといいしやっていきたいなと改めて思いました。

  
この学習会を含め、2021年度のしっぷろの活動は、「草の根市民基金・ぐらん」様の助成により実現しています。草の根市民基金・ぐらんさんのWEBサイトはこちら → https://citizensfund-grand.org/

2022年2月11日金曜日

全国ピアスタッフの集いの感想

 こんにちは。かやでございます。

にしこさんに引き続き。

1月30日(日)に開催されました「第9回全国ピアスタッフの集い」に参加した感想を。今さらですが、日記に書くまでが遠足です、と言いますし。


時局柄Zoomでの開催でした。自宅から参加できるところはありがたいけれども、一緒に参加している感じしづらいのは致し方ないところですよねぇ。


かやはスピーカーでもあったので言葉を口にする機会がありましたが、参加者の皆さんは思いを口にできないよなぁとか、小さな規模の分科会とかブレイクアウトルームでできてもよかったのかも、と思ったりもしました。


集いに参加したのは何回目ですか?という問いかけに、参加者がチャットで反応。初めての人もいれば、2度目、3回目だよという人もおられて、フル参加の人もおられたのでしょうね。かやは今回で5回目だったはず。もう少しがんばれば干支一周ですねー。


シンポジウムでは、大石さん、藤原さん、小笠原さんからどんな職場でこんな働き方をしているのかがよく知れて、率直にふむふむなるほど感がありました。かなりやる気出ました。やっぱり現場の話を聞くのは楽しい。


当事者だからこの仕事ではなく、当事者もそうでない職員もみんな同じ仕事をすることが良かったと話されていたのが印象的でした。個人的にはまったく賛成なのですが、世の中には役割分担型のピアサポーターもいるので、どのようにピアスタッフの業務やあり方を整理すると良いだろうかと考えながら聞いていました。


分科会1では、元厚労省障害福祉専門官・現PwCの吉野さん、磯田さんと登壇させていただきました。制度やお金にまつわる議論は、どこにお金がつくのか?という話でもあり、ピアスタッフ業界に関わる人すべてが幸せになれるわけではなく、対象にならない人が出てきますし、対象にしないことの方が良いこともあります。かやからはなぜ制度化が必要なのか?という趣旨でお話しして、論点は示せたのかなと思います。業界として考えていくことができれば。


分科会2では、しっぷろのりえちん、にしこさんも登壇された倫理綱領と業務指針のお話し。必要だろうなぁと思いながら聞きつつ、これがピアスタッフの働き方という明確な合意がないまま議論しても絵に描いた餅でしょうし、倫理綱領がないままも働き方が決まらないことも事実で、にしこさんがおっしゃっていたように鶏か先か、卵が先か問題なのでしょうね。


個人的には、自分たちの業務や対象者の人とのコミュニケーションをふりかえることが不可欠だろうなぁとも思いながら聞いていました。自立生活センターの身体障害者の方や難病相談支援センターで働く難病当事者の相談員とも議論すると良さそうな感じがします。いずれにせよ、いろいろな団体が作ってみることもありなんでしょうね。とてもよい刺激になりました。


ピアスタッフが海のものとも山のものともつかぬ珍しい存在だった頃は、ピアスタッフや精神保健についての問題提起が比較的多かったような印象がありました。第9回目になると報酬体系や倫理綱領など議論して現実に反映しないといけないという空気になっているような気がしました。


とはいえ、磯田さんのピアスタッフになった経緯についての語りを聞いていると、焦らなくてもいい、というメッセージも感じます。


今の仕事を大切にして、来年の集いも楽しみにしています。

2022年2月8日火曜日

ピアスタッフの祭典

こんにちは!にしこです。

先週の日曜日1月30日に日本ピアスタッフ協会主催の「第9回全国ピアスタッフの集い」が開催されました。今日はそのレポートを書き留めたいと思います。いささか遅きに失した感がありますが。


時勢がら、今回はZoom開催となりました。毎年この集いで全国のピアスタッフの仲間と再会したり新しく出会ったりするのを楽しみにしているので、いささか残念。でも開催中止となった去年に比べれば、Zoomでも皆さんとお会いできることに感謝せねば。


しっぷろからは、かやさん、りえちんさん、そして私にしこが発表させていただきました。かやさんが分科会1「ピアサポート加算の現状とこれから」、りえちんさんとにしこが分科会2「一緒に考えよう!ピアスタッフの価値と役割 〜倫理綱領と業務指針に向けて〜」に登壇しました。


参加してくださった方が80名以上もいて、嬉しいことは嬉しいのだけれど、発表する身としてはとてもとても緊張しました。私の出来は自己評価17点くらいかな。100点満点で。他の人の発表は素晴らしいものばかりでした。


この集いの分科会2に参加させてもらって、ピアスタッフの倫理綱領や業務指針は、やはり必要なのかなと思いました。これらがない今の現状では、ピアスタッフの活動の根拠となるものがないわけで、それはピアスタッフという職業の不安定さにつながっていると感じました。倫理綱領や業務指針っていうと堅苦しいけど、これらを作っていく作業は、ピアスタッフが大事にする価値や理念みたいなものを明らかにしていくことらしいと気づきました。一緒の分科会で発表した関口明彦さんの「守らなくてはいけないもの、行動を縛るものではなく、よって立つ拠り所になると良い」(私の解釈が入ってます。関口さん、意味違ってたらごめんなさい)という言葉が印象的でした。


あと残念だったのは、かやさんはじめ分科会1の皆さんの発表が聞けなかったこと。ちょうどその時分科会2の事前打ち合わせをしていたので。


そして、集いにいらしてくれた皆さん、ありがとうございました!来年は対面で開催になるといいな。。、


(つぶやきびと:にしこ)