2021年1月16日土曜日

マルとバツから抜け出したい

 ことしも始まりました。年末年始、みなさんはいかがお過ごしだったでしょうか。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


今日は、思うことがあって久しぶりにブログに書かせていただきます。


わたしの住むエリアでは新型コロナウイルス感染症の拡大によって緊急事態宣言が出ています。厳しい情勢です。わたしの仲間には医療従事者が多くいて、その仲間たちの切迫した声をきくと、いまの自分の身の回りの状況や自分の行動に葛藤が起きて、苦しくなることが多々あります。

1度目の宣言が出た時、みなの自粛ムードをかなり強く感じました。ところがいまは、そこまでの緊迫感がないように思います。自由な人を見ると、正直なところ、羨ましさ、妬ましさ、怒りに似たような思いを抱いてしまうこともあります。その度合いが強くなりすぎて、身近な人と諍いやすれ違いが起きることも多くなってきました。

そんなとき「誰々がわるい」、「政府が悪い」、「コロナが悪い」、「自分はこんな思いをしているのになぜ・・」というマルバツの思考に陥りがち。自粛する人がえらい、不織布マスクをしている人が正しい、それも行き過ぎると、また違う価値をもったり社会的状況を持ったりした人を攻撃することにもなりかねない。

誰々が悪い、というのは簡単だけど、だからこそ、いま自分がどんな価値をもってどんな行動をするのかを求められるようにも思います。でも心細いし、何を選択すべきかなんて迷うばかり。ただ、そんな心持ちだとことを言い合える仲間がいるとありがたいと思います。その判断や行動を批判するのではなくて、「そういう理由があるのね」とゆっくりと紐解ける時間と、仲間がいたならば。。。

いまや未曾有の事態で、誰しもがさまざまな場所で、さまざまな感情を持ちながら、新たな生活様式や社会状況で生きています。だとすると、みな、平等にこの経験を生きていることは事実。多少の望ましさはあれど、絶対的に誰が正しいとか間違いとか言い切れることはないのかもしれません。ついつい誰かのせいにしたくなるけれど、そこで自分の思考を止めてはならないのですね。

いまわたしたちはなにを経験していて、なにを学ぼうとしているのでしょう。そして、何ができるのでしょうか。・・・答えの出ない問いを、ひとのことも自分のことも責めることなくフラットに語れる場があるといいな、と切実に思い始めました。


なんだかまとまらないけれど、いまの経験を残しておきたくて。

みどりん