2020年12月8日火曜日

10日目 、マクドナルドと居場所とピアサポート




晩秋から冬にかけて足を運ぶのがマクドナルドです。お目当てはグラコロ。毎年11〜12月の冬に販売されて、最近は年をまたいで販売されることも。中身はほぼ小麦粉ですが、わたしにとって病みつきになる食べもの。「グラコログラコロ」と中毒性のあるCMソングもたまらないですね。

東京の病院を退院して、いま住んでいる町に引っ越してきたとき、近隣には家族以外の知り合いは皆無でした。ひきこもりがちな生活を過ごしていて、人と話をすることから遠ざかっていきました。車を運転できるようになり毎日のように外出するようになっても、知り合いもおらず、行き場所もないため、とりあえず家を出てウロウロしていたのです。図書館や公民館のフリースペースもお世話になりましたが、好みはマクドでした。100円のコーヒーで数時間ねばることができる、Wi-Fiがある(昔はなかったけど)、駐車場が無料というのはお金のない身にはありがたいものでした。無収入になったときは100円コーヒーも節約していましたが。

「グラコロ同盟」というグラコロを愛してやまない人たちが集うネットのコミュニティが存在します。グラコロを食べた数だけTwitterでハッシュタグ「#グラコロ同盟」をつけてつぶやくと、みんなの食べたグラコロの数が表示されるサイト。みんなで食べた感じでわいわい楽しめて、ランキングも出るので食べた数を競える面白さもあります。

東京時代からグラコロ同盟に参加?していたので、冬の今頃にグラコロ食べたよ!と投稿することはささやかな楽しみでした。ほとんどの人は会ったことのない人だとしてもつながっている感じがありましたし、そこは数少ない東京時代からのつながりでした。ネットコミュニティだとしても。

マクドナルドの素晴らしいところは、誰がいてもおかしくないこと。無職の、30代男性が昼間から何をしているの?という暗黙の視線を感じて社会のなかでひっそり生きていたので、マクドナルドは自分のことを気しないでいられる場所、そこにいてよい、と思える数少ない場所でした(マクドもそれなりに他者の視線が気になりますが)。マクドナルドにはいろいろな人たちが来ては通り過ぎます。宿題をしている高校生、営業中に休憩しているサラリーマン、若いカップル、年齢差のよくわからない親子まで。

誰かと会話するような場面では、自分のことを尋ねられたらどうしよう?自分の病気や過去に関心が向けられることが恐かったのです。人と話す機会が少なくなり、会話することそのものが強く緊張するイベントになっていました。マクドナルドのように自分に無関心でいてくれることが、安心してその場にいられる条件でした。

あの頃のわたしがピアサポートグループを知ったとしても、参加するだろうか?と考えることがあって、事実、電車で行けなくはない範囲にグループがあることは知っていましたが、足を運ぶことはありませんでした。どんな人がいるかも分からないし、自分のことをわかってくれるかな……という怖さ(不安ではなく)は、同じような病気があったとしても安心感につながらないものでした。まだ見ぬ彼らに受け入れられなかったらどこまでも落ちていきそうな予感がするのでした。たぶんまだ見ぬピアサポートに期待を抱きつつ、これ以上傷つくことを避けたかったかも。

マクドナルドでは、誰かの会話にそっと聞き耳を立てることで、人と話さなくても人を感じることができて、それは寂しさもありつつ、ありがたいものでした。もう傷つけられたくないという気持ちであふれているとき、ピアサポートグループはまぶしすぎて近づけない存在だったなぁと今はふりかえることができます。

余談ですが、いま職場で関わっている居場所スペースは、アニメとゲームの話ができることを謳い文句にしていて、自分の話題になりにくいように工夫しています。その場がピアサポートと呼べるのかどうかさておき、誰かにとって、ここにいていいよと思えることはとても大事なように思われます。一般的なピアサポートグループについて批判的なことを言いたいのではなくて、人生のときどきによって求める人間関係の濃さは違うのでは?という疑問です。

いまビーフシチューグラコロをつまみつつ、マクドナルドで過ごしているわたしの姿は、同じお店で過ごす孤独な誰かのサポートになりえているのでしょうか。

クリスマスの時期に、あなたにとっていていいよ、という場所が一つでも二つでもありますように。