2020年12月7日月曜日

9日目✳︎アドベント2週目 「エモい」は尊い


こんばんは!えみさんからバトンをもらって、ながおかもんです(。◝‿◜。)
皆さんのブログも出揃って2週目に入りました。
私自身、メンバーのブログを読むのがとても楽しみな気持ちになっています。最初の頃こそは、皆さんの素敵なブログと自分のブログを比べて…自分のブログはなんてちょんちょこりんなんだぁ…と思っていましたが、今は読むのが楽しみ♪という気持ちが勝っています。

そういえば彼谷さんのブログでプレゼントの話が上がっていましたが、私はこの年になっても未だ25日の朝がソワソワします。そう、プレゼントが枕元に置かれていないだろうか、と思うのです!
いい年して何を期待しているのか、だし、サンタクロースは来てくれないし、今となっては一人暮らしなので置かれていたらちょっと別の意味でびっくりするのですが、「朝起きたらプレゼントが置かれている」あの期待と喜びとワクワク感が忘れられません。いつの日か誰かのサンタクロースになりたいと思います!

さて、今日は『「エモい」は尊い』というタイトルです。
最近、10代や20代前半の方達と関わることがあって(これは私の今年1年の出来事でもあって、新しいジャンルの人達との関わりです!)、「エモい」という感覚について教えてもらいました。黄昏の空の感じやそこを歩く学生達の姿、少し切ない感じ、淡い感じ、心がきゅうとなりながらも暖かさもある感じ?らしいです。なんとなくわかったような…わからないような感じでした。今この時を生きている10代20代が彼らの感性で掴んでいる「エモい」という感覚を、アラフォーの私が全く同じ感性で掴むのは難しいことなのだと思いました。私にも10代20代の頃はありましたが、あの頃の何かを「エモかった」と表現するもの少し違う感覚があります。

もうひとつ、10代や20代の方達が進路や今のことを悩み迷う場に一緒にいさせていただく場面がありました。自分の経験やありきたりな助言が頭の中をよぎりましたが、彼らにかけるべき言葉は、助言や答えとは違うのではないかと思って言葉を飲み込みました。この出来事を振り返った時に、湧き上がってきたのは、尊いという感情。未来のことや今のことに一生懸命で、もがいていたり、悩んで悩んで答えを見つけようとする姿は、キラキラと眩しくて、全てがとてもとても尊い。

この出来事から導き出した「エモい」の私なりの答えは、「エモい」という感覚はきっと今の若者しか持ち得ない感性で、そして「エモい」を感じる感性はとても尊いものなのだと思います。「エモい」と言っている若者達、君たちはとても尊い!と言ってあげたい!

そんなことを思っているうちにもうひとつ思ったのは、ピアサポートのこと。先の若者達との関わりで、私にだって10代20代の頃があって将来のことに悩んだ時があるはず。だけど、経験から助言をするのは少しずれてきてしまうこともあって、同じ経験と言っても違ってくることがあるのだなということと、時が離れすぎると同質性が取れないこともあるのではないかということを思いました。ピアというと同質とか仲間という意味があるけども、一人のピアスタッフ が全てを知り得ることや共感することはやっぱり限界があるんじゃないかしら。ピアというと同質とか仲間という意味があるけども、一人のピアスタッフ が全てを知り得ることや共感することはやっぱり限界もあるのではないかなぁ。一つの経験に周りが色々な、そして安易な期待をするのも違ってくることもあるのかなぁと思いました。(もちろん、私は経験は尊いと思っていますし、ピアスタッフの可能性を信じていますが。)

それでも、同じ感性の言葉を使うことはできなくても、違っていることを認めることから始まる互いの力になる関係性もあるのだろうと思います。

(つぶやき人:ながおかもん)


【写真】若者が「エモい!」「エモい!」と言った黄昏の空。