2020年12月25日金曜日

【27日目】 ひと、と、ひと

今日はクリスマス、12月25日です。

アドベントのブログも今日が最後となりました。

「オオトリを務める」と聞いて、なにかいいことを書かなくては、としばらく苦しくなったのですが、ブログはこれからも続いていくわけなので、力を抜いてありのままのいまのわたしが思いついたことを書いてみようと思います。



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今わたしが働いている診療所では、ときどき混雑をすることがあります。

混雑をすると待ち時間も増えて、待合室も密となります。

先日、かなり長い時間待っておられた方から「あと何番目でしょう。ずっと待っているのに全然呼ばれないのよ」と伝えられました。順番を確認してめどをお答えしたものの、いかに待っておられるかのお話をされます。私は心苦しいのと申し訳ないので発する言葉が見つかりません。

わたしだって待つのは嫌いです。ただでさえ忙しい年末、めどが見えない中で待たされるのはつらいし苛立つもの。その方のお気持ちは何となく想像がつくから、安易なお返事はしたくありません。とはいえ、こちらも真剣に拝見しているからこそ診察時間が延びてしまっていることについて、なんてお応えしたらよいのだろうとしばらくまた留まっていたら、その方がしばらくお話しされた後に私の顔を見て、ふっと笑みをこぼされました。

「あら。ごめんなさいね、あなたに言ってもしかたないのにねぇ。でも、待ちくたびれちゃったのよ」とおっしゃいました。

きっと、わたしは困って情けない顔をしていたのだと思います。そうしたら、むしろその方がわたしを心配してくださったみたい。

社会人としてはお恥ずかしい話なのですが、そのお方の笑顔をみたらわたしも困り笑い。周りの方々もわたしたちのやりとりを見てちょっと笑っておられて、なんだか情けなくもありがたい、あったかなきもちになったのでした。

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ひととひととは、こころがあるからこそ、相互に作用しあうもの。

うれしいきもち、いらいらの気持ち、困った気持ちも、寂しいきもちも、伝染してしまう。それはいいこともわるいこともあるけれど、当たり前のこと。「看護師なんだから、自分の感情を見せてはダメ」と言われたこともありました。もちろん、時と場合によるかもしれませんが、いつでもそう努めていたら、いつの間にか自分の感情や感覚を掴めなくなっていました。

ひとの感情や感覚にふれて自分の感情や感覚が刺激される、そんな当たり前のことをやりとりできるのは、生きてるんだな、人間なんだな、と思えるのだと思います。

わたしは、ピアサポートのことを詳しく語れないけれど、それでも、大きな括りでいえば、「そのひと」そのものを大事にしていることはわかります。立場とか、属性にかかわらず、そのひとそのものが切り取られて大事にされる世界は呼吸がしやすいように思います。

ひと、と、ひと、が出会えばおのずと生まれる感覚の相似であったり齟齬であったり、それもぜんぶ「あり」として受け止める世界は、広くて深いように思います。自分のコンディションによって、その広さや深さに漂えないこともあるけれど、いったりきたりも人間らしいような気がするのですよね。

今日も、わらったり、おこったり、ないたり、していたい。そんな自分を大事にしたい。

なんだかおっきな話になってしまったけれど・・・。

今夜もみなさんに、祝福がありますように。


つぶやきびと:みどりん