2022年12月22日木曜日
26日目:共にいること
2022年12月21日水曜日
25日目:どうぞのいす
こんにちは!にしこです。
私の好きな本の一冊に「どうぞのいす」という絵本があります。
お話はこんな感じ。
うさぎさんが小さないすを作ります。
「どこへおこうかな」
うさぎさんはできたいすを
大きな木の下に置きます。
「どうぞのいす」という立札も。
そこへ、ろばさんがやってきて、
どうぞのいすを見つけます。
「おや、なんてしんせつないすだろう」
ろばさんは座る代わりに、
拾ってきたどんぐりが入ったかごを
いすに置いて昼寝を始めてしまいます。
そこへ、くまさん、きつねさん、りすさん
かわるがわる動物たちがやってきて...
このお話で繰り返し使われるのは、「どうぞ」という言葉と「おきのどく」という言葉です。
最初に「どうぞ」の立札を立てたのはうさぎさんですが、その「どうぞ」の立札をどう見るかは、やってくる動物によって少しずつ違います。「どうぞ」の受け取り方はそれぞれでも「あとのひとにおきのどく」という言葉で、見知らぬ誰かへの思いやりの気持ちがつながっていきます。
先月の朝日新聞朝刊に作者の香山美子さんのインタビューが載っていました。
「うさぎさんは誰かが座るかもしれないと思っていすを置いたかもしれないけれど、最初に見つけたろばさんはいすの上に荷物を置いてしまう。「どうぞ」の目的が変わったと読む人がいるかもしれませんが、「どうぞ」の言葉の意味そのものは変わっていないんです。」
「「どうぞ」って、誰かに何かをしてあげる時の言葉であり、誘う時の言葉でもある。自分以外の人に対する思いやりの大切さを込めました。「二つあったら一つはあなたにあげよう」という単純な心を伝えたかったんです。」
(11月28日(月) 朝日新聞朝刊)
「どうぞ」がつながっていくところが、読み手をなんとも楽しく、優しく、温かい気持ちにさせてくれます。「どうぞ」の気持ち、忘れがちですが大切にしたいなあと思います。
もう一つ素敵なところは、「どうぞのいす」の短いしっぽ。うさぎさんが、自分が作ったしるしにつけたのです。
もう40年も読み継がれているらしいのですが、なんとも温かい絵本です。
ではまた!
「どうぞのいす」作:香山美子、絵:柿本幸造 株式会社ひさかたチャイルド 1981
(つぶやきびと:にしこ)
2022年12月20日火曜日
24日目 人としているというだけでいいんだろうな
とても腰が痛くて、困った、またぎっくり腰になりそうだ、、、、と思っていたときに、こちらのお寺の近くへ行く機会がありました。一度行ってみたいと思っていたお寺だったので、仕事帰りに立ち寄って。お参りしてすぐに帰るつもりだったのだけれど、裏山のようなところがあって、歩いて回れることがわかり。仕事着で、パソコンやらいろんなものを背負ったまま歩き始め、山(というか丘)の中を歩くこと1時間。
あんなにバリバリになってしまっていた背中や腰を含め、身体がとても楽になっておりました。日ごろ、肩や背中にすごく力が入ってしまってるんですね。土の上を歩くこと、どこかへ行くためでなく歩くこと、久しぶりだけど気持ちいいなー、とか。
もっと気の利いた反応ができたんじゃないか、もっと勇気を出してこんな風にもできたのではないか、あんなこと言わなければよかったのではないか、私ではない別の人だったらもっと良い感じでできたのではないか、などなど毎日いろんな思いが出てきますが、たまにこうして自然の中を歩いたりすると、毎日最高の自分でいる必要もないと気づくことができたりします。そして、ただその時その時にその瞬間を受け取って、感じていられる自分でいたいなぁと何やら思いました。
ピアサポートも含め、人との関係って、大切にしたいけれど、毎回最高のやりとりをできたり気の利いた何かを提供できたりするわけでもないと思うんです。それで勝手に落ち込んだりするんだけど、でも、考えてみると、相手はたぶん、最高の何かなんて求めてないですしねぇ。
人がそこにいるということだけで、とても尊いことなんですよね。
まとまりのないままですが。
つぶやきびと:ゆっきぃ
2022年12月19日月曜日
23日目:制約のあるなかでコントロールを手放す。と書きつつ、締め切りをコントロールできていないっ。
2022年12月18日日曜日
22日目:ピアサポートが育まれる場
こんばんは!ながおかもんです。
年末が近づいてきたり雪が降ったりで、ちょっとだけパワーがレスっています😐
楽しいこともあったり大変なこともあったりバタバタする中で、レスったのかもしれないですね。
さて、
自分の好きなことに触れると心の健康には良いと言われたりします。好きなものがたくさんあると良いよ、ということはよく言われることですよね。
というものの、好きなものってなんだっけ?という時期もないですか?私は今そんな感じです。好きだったものを集めてみても、なんとなく味気ない。自分が本当に好きなことってなんだったっけ?それを忘れてしまっている状況がまずしんどいのかもなぁと思います。
でも、時々、心の中でスタンディングオベーションが起きるものに出会ったりするので、好き好き感度が落ちていても、しっかり反応はするんだなぁと思ってみたり。
で、昨日気づいたのですが、私は「ピアサポートが育まれる場」がとてもとても好きなんです。自分自身がピアサポートされることも大切なんですけど、ピアサポートが育まれる場そのものがすごく好き。それが私なんだなぁと思い出しました。
ここ数年はそういう現場からはすっかり遠ざかっていていました。これがパワーがレスな原因なのだろうか。
好きなことをする、のであれば、ピアサポートが育まれる場に関わっていたい。
何か動いてみようかな。
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| 今週末はクリスマス! |
2022年12月17日土曜日
21日目:一人で勝手にアナザースカイ~四国編~
私のアナザースカイ、第二弾は四国です!
四国は2回、行ったことがあるのですが、思い出すのは大学時代の四国です。
そのころ、青春18きっぷにはまっていた私は、単身船で四国にわたり、そこから四国ぐるっと一周旅を計画しました。
時間の関係で全てをじっくり、というわけではなかったのですが、絶対にやりたい!と思っていた香川のうどん巡り(香川のうどんは本当においしいですね!早くて安くて素晴らしい。トッピングも多くて、目移りしてしまいます)、愛媛松山市の道後温泉(とても素敵でした~座敷でゆったり過ごすのが最高でした)、などなど、魅力も盛沢山だったのですが、
未だ、20年たっても忘れられないのが、車窓に広がる、美しい緑と青い空の光景です。ここは日本か、と思ってしまうほどの美しさで、言葉を忘れるほどでした。
うまく説明できないのですが、すべての世界が美しい森で構成されて
いるような錯覚に陥る、想像の世界にいるかと思うほどの美しさ、というのでしょうか…緑をかき分けながら進む電車の車窓から見えた景色の美しさは今でも目に焼き付いています。
その後の四国訪問は徳島だったのですが、時間が限られており、徳島ラーメンを食べて終わってしまいました(´;ω;`)。残念…。
是非また時間ができたら、四国一周旅をしたいなあと思っています。
若いときの自分とはまた違った気持ちを持つのではないか、とドキドキしつつ、楽しみにしています。
曇り空に飛行機雲が一筋走っていました(つぶやきびと:えみ)
2022年12月16日金曜日
20日目:地道に一歩一歩。
アドベントブログももう20日目。
メンバーそれぞれの思考やスタンスが透けて見えるブログは読んでいて面白いですね。
しっぷろはメンバーがちょうど7人いるので各曜日を各人が分担しており、わたしは金曜日の担当というわけですが、そんな金曜日もあと11分で終わろうとしています。(そしてウンウン唸って書いていたら過ぎてしまいました;;)
先日、SERLA(特定非営利活動法人 免疫・膠原病に関する支援・教育・研究のためのネットワーク)さんの「ピアサポートについて考える」というワークショップに、しっぷろメンバーのにしこさんと一緒に参加してきました。ピアサポートについて研究をされておられる伊藤智樹先生のお話をもとに、膠原病をお持ちである方々などがそれぞれにピアサポートとの出会いやいまなさっている活動について伺いました。
実際にピアサポート活動として場を作っておられる方のお話では、同じ体験を持つ人と安心して繋がれる「場」の重要性と、その場へのアクセスしやすさ、そういう場やいろんなひとが共存できる「社会」があることの必要性について触れられていたように思います。コロナ禍によって対面での「場」の交流が難しいことから、SNSを通しての交流も増えたメリットとデメリットについても改めて考えさせられました。
やさしい社会をつくっていくことは、ひとりでできるものでもないし一朝一夕にできることでもありません。でも自分の身近なところからでも目指す世界を広げていけたら、少しずつ変わるのかもしれないとおもっています。理想論かもしれないけれど、地道に、一歩一歩。
わたしにとっての一歩として、こうしてワークショップに参加することは大きなものでした。膠原病については、身内がかかっていたものの全くわかっていないことばかりでした。わからないことって距離ができてしまってよりより傍観者になりがちなのですけれど、そう言うスタンスがまわりまわって偏見を生むのだとも思います。知らないことを知っていく、知ろうとすることをやめない、そんな一歩を歩みたいと思います。
(つぶやきびと:みどりん)
2022年12月15日木曜日
19日目:時に一歩下がってみること
なんと来週はもうクリスマスなのですね、はやい…。
さて今日は何を書きましょうか。前回は、身近なピアサポートについて書きました。なので、今日はお仕事的な意味あいでのことに少し触れてみようかなと思います。
私自身の病気になってからのピアサポート体験という意味では、デイケアに行きはじめた当初のことをよく思い返します。何もかも失って(当時はそんな気持ちでした)家にずっと引きこもり、外出は通院のみ。そんな生活をしていたところに「うちにもデイケアできるよ」と主治医に言われて、よくわからないけど行ってみたんですね。
でも行ってみて驚きました。こんな惨めなのは自分だけだ、と心の中で思っていたけど、そこには笑顔でおしゃべりしている同じような年齢の子たちが沢山居たのですね。なんだかスッと肩の力が抜けたことを覚えています。そこからデイケアの仲間と仲良くなって、デイケアが終わってからは、いつもみんなで近くのお店でお茶会していました。(その思い出のお店はもう閉店してしまったのが悲しいけれど)きっと似たような体験をされている方、いらっしゃるんじゃないかな?^^ そんなことを思い返すときに、ふと思うことがあります。
ピアスタッフやピアサポーターとして、利用者さんや患者さんと関わらせて頂くときに、もし利用者さん同士がよい関係や、素敵なやりとりをされている時には、すっと一歩下がってみること(関わりを遠慮してみること、保留してみること)なんかも上手に混ぜながら、働くことができたらいいなぁって。
一歩下がった時に、利用者さん同士が素敵なやりとりをされているのであれば、わざわざ割って入らなくてもいいですよね。つまり、その人達同士のピアサポート関係をそっと応援することも大事だなぁって。
入職したばかりの頃は特に、「何かしないと」感に押されてしまうことがあると思うのですが、ときにパワーセーブモードで働くことが余白を生んで、良いように作用する場合もきっとあるなと思うんですね。もちろん仕事という意味では「ON」でありつつもパワーセーブモードといいますか。
そのあたりも、また他のピアスタッフやピアサポーターの方とお話を重ねていきたいなと思っています。来年や再来年(再来年はさすがに先過ぎる!?)には、しっぷろでもピアスタッフやピアサポーター同士での継続的なお話会みたいなとをやりたいな~とひそやかにたくらみ中です。
では今夜はこのへんで。
(つぶやき人:りえちん)
2022年12月14日水曜日
18日目:「禁じ手」の経験談
こんにちは!にしこです。
このところ、ピアスタッフの方が集まる場に参加させていただく機会が多くあります。そこで語られるさまざまな経験のお話にいつも感動します。ピアスタッフは「経験による専門家」で、その経験はきく人に、勇気や希望、生きていく力を与えるものだなあとつくづく実感しています。
でもですね、最近私は、誰かとの対話においては、経験に基づく話でも「禁じ手」ともいうべき経験談があるのではないかと思っています。それは「分かり合えないことを前提とした経験談」です。
具体的には「あなたは経験していないからわからないだろうけれども」とか、「あなたは経験が浅いからまだわからないだろうけど」といった文脈で語られる経験談です。
例えばそれは、
「あなたは入院の経験がないからわからないだろうけど、私はね...」
「あなたはこの病気の経験がないからわからないだろうけど、私はね...」
「あなたは結婚していないからわからないだろうけど、私はね...」
などなどでしょうか。
経験に基づく話も、「あなたは経験していないからわからない」という前提で話してしまうと、相手は黙るしかなくなってしまうわけです。そうなると、お互いの間に断絶が生まれてしまうし、そこにピアサポートや対話が入る余地は無くなってしまいますよね。
なぜこんな話をするかというと、最近、私自身が苦い失敗体験をしたからです。
それは大学院のゼミでのこと。就労支援のあり方みたいな話になって、議論が白熱した時に、私はつい、「企業に勤めた私の経験から言って...」と発言してしまいました。つまり、「福祉現場のあなた方は企業勤めの経験がないからわからないだろうけど」という文脈で相手の言説を封じ込めてしまったわけです。こうなると、相手は黙るしかないですよね。しまった!と思っても後の祭り。自分の発言を思い起こすと、とても苦々しく、そして恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
こういうの「経験の権威化」とでも言ったらいいのでしょうか。経験談は、ややもすると暴力的にすらなるんだなあ、とつくづく思い知りました。とはいえ、失敗から学ぶことが大事です。今後の戒めにして、同じ轍(てつ)を踏まないようにしたいと思います。
ではまた!
つぶやきびと:にしこ
2022年12月13日火曜日
17日目:人として出会う
先日、ある講座(リカバリーカレッジの講座)に参加して、とても新鮮で楽しい経験をしました。
自分にとって意味のあるもの(自分の人生を有意義にさせるだったかも。)の写真(その講座では、ミーニングフル・フォトと呼んでいました)を一週間で9-12枚撮影してきて、それらについてほかの人に紹介してもいい人は、ほかの受講者に見せながら話す、というワークです。
これが自分にとって、とても楽しくて発見の多い時間だったのです。
自分についての気づきがあったのはもちろんなのですが、私にとっては、それより何より、ほかの人の撮った写真を見せてもらってその人のお話を聴いたことが、すごく良い時間だったんです。
知らない人(同じ受講者だというだけで、知り合いではない人)だったとしても、その人の大切なものだったり、自分にとって意味があるものやこと、人について話してくれるのを聞いているだけで、その人にぐっと引きこまれる感覚があり。
もともと知り合いだった人についても、その人が日常の中でいいなと思った場面の写真などを見せてもらってお話をきくことで、そういうことに幸せを見出したりしているのですね!と、それまで知らなかった一面を知ったり。
話してくれた人と、人として出会えた感じがしたのでした。
これは、これまでの「相手を知る」とはなんだか違うぞ?と思って考えました。
よく、精神保健の支援においては、その人の力や強み(ストレングス)を知って、そこを大事にしましょう、と言うし、それはとても大切なことと思いつつ、誰かの力とか強みを「情報」として知っても、その人のことを知ったという感覚をあまり持てないこともけっこうあることを思い出しました。
情報としてその人のことを知るのと、その人にとって意味あることをその人の言葉で話してもらうのでは、全然違うんですね。言葉にすると簡単なのですが、これを実感として感じたのでした。
ピアスタッフも含め、支援の仕事って、情報として誰かのことを知ることが増えてしまう面があると思うのですが、人として出会うということを毎回していけたら、相手に抱く感覚や関係性がもっともっと人間らしいものになるのではないか、そんな風になれたらいいな、とこの体験から感じました。
つぶやきびと:ゆっきぃ
2022年12月12日月曜日
16日目:ピアサポート、かみあわないもの
月曜担当のかやです。みごとにすっぽかしてしまいました。すみません><
忙しく余裕がないのもありますし、サッカーW杯にちょっとしたトラウマがあり、体調がよくありません。その昔にサポーターに囲まれて怖い思いをしたこともあって、W杯の時期は緊張しながら過ごしていることが多いです。今季、久しぶりにパニック発作が起きて、なかなか治らないものだと痛感しました。なにしろサッカーの話題から遠ざかって生活することがなかなか難しい。いやはや。
パニック発作のしんどいところは発作自体ももちろんのこと、再び発作になったら、、、という予期不安でしょう。再び発作が起きたら?という怖さは、なかなか経験してみないと分かりづらいものだなぁと思います。似たような経験をしていることで、想像力を働かせやすく、理解や共感しやすいことはあるだろうなぁと思います。よくあるピアサポートの特徴というか効果ですね。
一方で、同じような経験をしているからといって、相手のことを想像しやすいことは全くない、ピアスタッフにとって経験ではなくて当事者という立場が大事なのだ、というピアスタッフも知っています。確かにそこも大事です。
ピアスタッフのよりどころが、経験に根ざす者か、立場に依る者かの主張は、どちらも間違っていないでしょう。でも、間違っていないからどちらも正しいではなくて、どちらをより大事にしたいかは、それぞれ主張する人の思い、意思なんだろうとも思います。
私が今の仕事をはじめた頃は、(少なくとも私の地元では)ピアスタッフには期待もありつつ、専門職と一緒に仕事をすることへの抵抗感や不信感の方が強かったように感じています。ある方からは、専門職と協働して支援するような活動をピアサポートと呼ばないでほしいと言われたこともありました。その後の世相の変化は大きいもので、今では加算になるまでにピアスタッフが注目されるようになりました。
いろいろな人のピアサポートへの思いがせめぎ合い、ぶつかるのでしょうね。だから、かみ合わない。もっと言えば、どんな活動をピアサポートとしたいのか、という意思のあらわれだと感じています。ピアサポートの根底は同じだと信じたいところですが、あやしいかもしれないですよね。それは、どんな人とつながりたいか、気持ちをシェアしたいか、を問うているように思います。
個人的には、パニック発作の予期不安について誰かと話し合えるといい気分になることがあります。人には共感されにくいことを、共感してもらえると素直に安心するし、希望が持てます。
2022年12月11日日曜日
15日目 :正しさのベクトルの隙間
こんばんは。ながおかもんです。
アドベント3週目に入りましたね。ブログの担当も3周目となりました。
先週は心奪われたyoutubeチャンネルについてご紹介しました。「心奪われる」とはわりと綺麗に表現させてもらっていて、自分の中で「これは素晴らしい!」の最上級表現は、「心の中でスタンディングオベーション」です。自分の中の全部が総動員されて、スコールのような拍手、指笛、そしてブラボー!の声、そんな感じです。
今回も私の心の中でスタンディングオベーションが起きた作品をご紹介したいと思います。
映画「護られなかった者たちへ」(瀬々敬久監督、2021年公開、配給:松竹、主演:佐藤健、阿部寛、清原香耶)です。
東日本大震災直後の宮城県(おそらく石巻市か気仙沼とか海沿いの街)が舞台となっていて、さらにそこから10年後に仙台で発生した殺人事件から物語が始まります。登場人物がそれぞれ被災という痛みを抱えながら生きていて、生活保護の問題もこの映画においては大きなテーマとなっています。
詳細はネタバレになるので控えますが、置かれている立場によってそれぞれの正しさのベクトルがちょっとずつズレていってこぼれ落ちる人がいる。正しさが合理化を産んでそこからこぼれていく人たちがいることをとても深く、深く考えさせられました。そして、正義は人を救うし、あるところでは人を深く傷付けたり、正義によって取りこぼされたものは取り返しのつかないことになることになり得るのではないかと考えます。人を助けることを生業にする以上、自分が翳した正義や正しさの影になってしまった事柄について、抱えていく必要があるんじゃないかということを考えました。
何が正しいとか誰が悪いとはそういう一義的なものを考えたのではなくて、それぞれがその時の正しさで生きていて、それがどういうことになるのかということを考えさせられた映画でした。
舞台が仙台市の「若葉区」となっていて、あきらかに「若林区」と「青葉区」を合わせたものだなということがわかるのですが、若林区で10数年働いていた私としては、そこも愛着ポイントでした。
なかなか重たい映画ですが、興味を持たれた方は是非!
ちなみに私はこの映画を見てから、佐藤健くんと清原果耶ちゃんから目が離せません👀
| アドベント3週目です🎅 |
2022年12月10日土曜日
14日目:一人で勝手にアナザースカイ~福島編~
1つ目のアナザースカイ、大学から就職まで過ごした私の思い出の地、福島です!
大学入試の時、緊張で縮こまる中、大学の窓から見えた透き通るような青い空と美しい山並みは今でも忘れられません。
そこから私の福島愛が始まりました。
福島は浜通り、中通り、会津と3か所に分かれ、都会の中通り、海が楽しい浜通り、歴史と美しい自然あふれる会津、とそれぞれ違った魅力があります。
2010年に就職のために福島を離れた私にとって、2011年の東日本大震災は、自分がお世話になった、大事な方々を失ってしまうのではないか、という恐怖をもたらすものでした。
その後、しばらく浜通りや会津の病院に定期的にお伺いする機会を持たせていただき、当直をしたり、訪問診療チームに入れていただいたりしました。皆様の温かな歓迎に、私自身が温められるような体験でした。
その後、仕事などが忙しくなり、中々福島を訪れることができなかったのですが、今年の夏、ようやく念願の福島に行くことができました。
中通り、会津、浜通りを2泊3日でめぐる、という強行軍を最初は予定していましたが、移動距離で断念。中通りでは大学や大学生時代に住んでいたアパートをめぐり、大好きだった喫茶店に行き、大学時代友人といった観光地に行き、なくなってしまった店を惜しみ(トロビール、と呼ばれる美味しい料理が失われてしまった…)、2日目は浜通りに行き、おいしいジャガイモ料理(なぜか海産物ではない)を食べ、海を間近に見てきました。
道を走っているときに間近に迫る木々や、広い空を見て、自分の成分が何からできているんだろう?ということをじっくりと思い出す旅でした。
今でもたまに福島の空を思い出して、恋焦がれる日々です。
今頃は雪も降っていますでしょうか。
福島の皆様、今度福島の空の下でお会いできると嬉しいです(*^^*)
家の近くの大型施設が取り壊されたら広い空が見えてびっくりしました
(つぶやきびと:えみ)
2022年12月9日金曜日
13日目:自分の器
ある一定以上の温度にならないとどうしても動けないことに気づいたみどりんです。
そんな時は、暖房をつけて暖かいものにくるまって動き出せるまでじっと待ちます。前は無理して動こうとしていたけれどそれは辛いばかり。いろんな意味で「自分の身の丈を知る」ことの大切さを感じています。じっとしているのは無駄な時間を過ごしているようで、結局のところエネルギー消費を最小に抑えて次に動くために蓄えているのです。自覚して、待つことを覚えました。
さて。
ひととの関わりって、すごく弾力がありますよね。タイミングやコンディションによって、ぐぐっと近づくこともあるし、付かず離れずのときもあるし、割と姿が見えないなぁってくらい離れてしまうこともある。そういうのは、出来ればナチュラルで自然発生的だといいですよね。むりしてしまうと、それこそすごくエネルギーをつかう。
ちょぴっと苦手なひととなんとかうまくやろうとガンバルことで疲れちゃうのもそうだし、ぐぐっと近づいた人との関係性がうれしくてガンバっているあまり、気づいたら自分らしくいられていないなぁと思うこともあります。
なかなか自分の思っているより自分の器って小さかったり浅かったりして、はみ出ちゃうものも色々あるみたいです。
そんな時、ついつい自分の器にため息をついてしまうけれど、どうせならこの小ささを嘆くより、自分の器の適正なサイズを知り、この器が生きるように磨いていきたいものです。
なんだか抽象的なお話しになってしまいました。
が、今日はそんなかんじがむりのないところみたいです。
(つぶやきびと:みどりん)
2022年12月8日木曜日
12日目:ピアサポートはとっても身近
肩と背中がバキバキのりえちんです。
さて、お互いさまの関係って、日常生活のなかで本当に沢山ありますよね。または、お互いではなくても、恩送り的なこととか。(※恩送りって、多分助けてくれた人に直接なんらかお返し的なことをするのではなく、別の人に助けてくれたバトンを渡していく…ことだったような…)
○○について困っている時などに、相手が察してくれたり。もしくは○○について直接聞いてもらったり。そんな風に自分の困りごとや気がかりについて、「そうだよねぇ、困るよねぇ」とか「わたしもそういうことあったよ」とか何気ない一言に、気持ちが楽になることってよくあるなーと。さりげない応援の気持ちを示してくれるとかもそうかな。
そして、つい昨日、背中や肩がバキバキの私を見通してくれたのか、お役立ち情報を送ってくれた職場の方がいまして、驚いたと同時に、ナイスタイミング過ぎて感激したのでした。このことがピアサポートなのかどうか、わからないけど。でもそれがピアサポートじゃなくても別に構わなくて、なんというか関係性のなかに暖かくて優しい気持ちがやり取り出来たことがとてもうれしいのと感謝だなーと思ったのでした。
そして、こんな風な心がホワァっと暖かくなるようなやりとりを重ねられる人と、大切に関係性を築いていきたいなぁとか、余裕が無くなってしまう時もあるけど、でもなるべくそんな風でいたいなぁと思ったのでした。
(つぶやき人 りえちん)







