2022年12月19日月曜日

23日目:制約のあるなかでコントロールを手放す。と書きつつ、締め切りをコントロールできていないっ。

またもや1日飛ばしてしまいました。かやでございます。 夜に着の身着のまま寝てしまっておりました、余裕なく過ごしていてアカンですね。
着の身着のまま寝るのは日常ではあるのですが……。 週末は他県の障害者ピアサポート研修に関わっておりました。
久しぶりにグループワークに基礎研修の2日間ご一緒させていただきました。
自分にとっても刺激があり学びがあり、よい時間を過ごせました。 その後も、WRAPのようなワークショップを職場でやりました。
初対面の人も多くいるなかで、無理のない自己開示があったり、尊重しあう場面があったり、
これまた心地よい時間を過ごせました。 グループの場に参加してみて、あらためて感じたことなのですが、参加者であったり、
目の前の人に対して、ああしよう、こうしよう、というコントロールを手放すことで、結果的に安心感がもたらされることがあって、いい感じの場になることがある、
ということです。

そのような経験はもちろん今までもあるのですが、やっぱりそうだよねぇと実感したのでした。 分かりやすい例でいえば、話が長い人がいたときに、
相手の話を止めようという意図で関わると思ったとおりにならないし、さて、どうしたものだろうか?というこちがが困った姿勢のほうが意図せず
よい方向に動きだすような経験をしたのでした。

もちろん、話が長い人がいると心配にもなったりときにイライラしたりもするので、
むしろ自分の感情に対する手綱を握ることが大事になるかもですが。 また、これは気づきでしたが、制約があるほうが、
じつはお互いを尊重できるかもしれない、ということです。

例えば、自分は○○な症状があるので、○○は難しいです、というような自己開示があると、
その症状だけでなくて、同じように別の症状がある人があるかもしれないと配慮した
言い方になったり、その場の誰かへの配慮があると、自分も配慮されるかも、意見を言っても大丈夫かもという安心感が生まれるのかなぁなどと考えたりしました。

制約があることで、その場に尊重したい軸、見えない道がおぼろげに浮かびあがるのでしょう。
制約があるから○○な配慮をしましょうとコントロールをするよりも、
尊重したい軸を浮かんでくるような投げかけが好ましいのかもしれません。
そんなことをふりかえりました。