2021年12月19日日曜日

22日目 SNS事情あれこれ

 

 

にしこさんもおっしゃっていましたが、朝晩の冷え込みが強くなってきました。ぶるぶる震えながら自転車をこぐ毎日ですが、皆さまお変わりないでしょうか?

そしてもう日曜日!1週間があっという間でびっくりしてしまいます。


りえちんさん、みどりんさんのブログを見て、私も思うことがあり今日はそんな話題です。 

皆さまはメールやLINEはされていますでしょうか?私は両方ともしているのですが、結構これが難しい…となっています。

例えばスタンプ。北斗の拳のスタンプがあって、ドンピシャ世代の私としてはぜひ多用したいのですが、結構言葉がきついので(わかりますか…?)、これを送ってしまったら相手がどのように受け取るかしら、、と考えた末に全く使わず。私の人となり(ふざけるのが好き)がわかっている人にのみ送っています。

先日、悲しみを表現するために、泣いている写真(これはfacebookのメッセンジャー、GIFで面白い写真が送れるもの)を送った後、その方が私のことをほめてくださったので、照れている写真を送ったら、さっきまでの涙が嘘みたいに笑っている~といわれ、いやいや、違うんですよ、照れてるんです、というやり取りがありました。

こちらの意図するものが相手に伝わらないときってあるなあとしみじみしてしまいました。そんな時、今回みたいなやり取りができたら誤解は多分解けるはずですが、それができなかったら、すごく失礼になるかも、と思ったり。

言葉もメッセージもイメージも、送るとなると本当に難しい。あちらが今どんな状況かでも違うかもしれないですし…うーん。でもそこでためらっているとコミュニケーションができなくなりますし、、本当に難しいです。皆さまはそんなこと、ないでしょうか。


さて、私の担当回は今日で最後となりましたが、24日まで、しっぷろメンバーがつないでいきますので、どうか最後までアドベントブログ、お楽しみください(*^^*)
それでは皆さま、メリークリスマス!

(つぶやきびと:えみ)

2021年12月18日土曜日

21日目 犀の角


「犀の角のようにただ独り歩め」

 

こんにちは!にしこです。

東京は今日あたりから、一段と寒くなりました。みなさんお変わりありませんか?

 


「ブッダのことば」(中村元 訳 岩波文庫 1984)に「犀の角(サイのツノ)」という一節があります。訳者によると「犀の角が一つしかないように、求道者は、他の人々からの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただひとりでも、自分の確信にしたがって、暮らすようにせよ」という意味だそうです。

 

 

「人は支えあって生きていくもの」とよく言います。ピアサポートも「仲間同士の支えあい」と定義されることがあります。でも「支えあい」と「もたれあい」はまた違うものと私は思います。


長い人生、一人の力だけで生きていくのは不可能です。やはり周りの人の存在が、人の人生を支えているという見方は正しいでしょう。ですが人生の歩を進めるのはその人自身の力によってです。人に頼り切るような「もたれあい」を前提とするのでなく、まずは子鹿のようにふるふるとでも、自分で立つことが大事なのではないかと思います。時に人から支えられ、人を支えながらも、自分の力で自らの信じる道を切り開いてゆく、生きるというのはそんなものかなと思います。

 


こんな威勢のいいことを言いつつも、私自身はよろよろと今にも倒れそうです。みなさん、これからも声援や交友をお願いします。


 みなさま、お風邪など召しませぬように。


(つぶやきびと:にしこ)




 

2021年12月17日金曜日

20日目 やりとりの中で起きていること

 

昨日のりえちんの投稿を読んで考えました。

受け取る、って、簡単なことではないですよね。。


コミュニケーションって、ひととひととのやりとりだけれど、そこを細分化してみると


1.メッセージが発される(言葉とは限らない)

2.自分の受容体の全部をつかって感じ取る

3.湧き上がってきた自分の感覚を感じ取る

4.お相手に応答する(言葉とは限らない)


実はこんなプロセスがあるように思います。

そしてそう、このプロセスに時間をかけていなかったことに気付いた時期がありました。

それはたしか、自分の存在に揺らぎを感じた時でした。今までなんて反射的に反応を返していたんだろう、こころのフィルターを通さずに上部だけのありきたりの言葉でコミュニケーションをとっていたんだろう。それに気づいたらさらに言葉を発することが怖くなりました。特にこの3→4のプロセスが難しくて、「これは私の思い込みや偏見ではないか」「これを言ったら〜〜なのではないか」「自分にこれを言う資格はないのではないか」「こんな無意味なことを言うぐらいなら黙っていた方がよいのではないか」「黙っていたら相手に違和感を覚えさせてしまうかもしれない」「あの人ならもっといいことが言えるだろうに・・」etcetcがぐるぐるぐるぐる自分の頭の中をめぐっていて、相手が間の長さに戸惑っているのを感じることもしばしばでした。

それでも、それでいいからお相手の発信してくださったことと向き合いたいと思ったのは、おそらくわたしのメッセージにただただ寄り添ってくれる人たちがいたからでした。わたしのやり場のない不安や哀しみや怒りと認識できていない怒りをただそこにいて受け取ってくれる人たち。何か言葉をくれたり、一緒に涙を流してくれたり、わたしの代わりに怒ってくれることもあるけれど、言葉もなくただ一緒にわたしの垂れ流す感情に付き合ってくれ、感じてくれて、その場にいてくれる。時には、ただただ見守っていてくれる人もいる。どんなわたしの感情も在り方もそのままでいいと受けとってくれている感覚にすごく救われ、癒されてきたのでした。

そうか、言葉ではないのだ。どんな綺麗な言葉よりも、ただそこにいて受け取ってくれる、その感覚に救われたのです。おそらく、ぐちゃぐちゃな自分の感情も、耳を傾ける価値あるものとして受け取ってもらっている気がしたのだと振り返ります。


ばたばたした毎日の中で、時々忘れてしまいそうになってしまいます。言葉だけのキャッチボールになってしまったり反射的に返してしまう時もある。でも、やっぱり原点に戻りたい。

そもそも、こころのうちを発してくださることがありがたい。それを全身で受け取り、ゆっくりと自分のこころを通わせながら対話を重ねていくような、そんな時間を大事にできるひとにわたしはなりたい。

(つぶやきびと:みどりん)


2021年12月16日木曜日

19日目 受けとり合うこと

アドベントBlogも19日目ですね。そして今年もあと〇日、と意識しはじめるようになってきました。さて今日も何を書こうかしら、、、。

 

忙しかったり、気持ちに余裕が持てなくなると心がささくれ立ってしまって自分に優しくできなかったり、人に対しても丁寧にできなくなる時があります。あと厄介なのは”自分ばっかり…○○”といった気持ちとか。病気の影響やらなんやらで20代後半~30代前半はそんな気持ちが心の大部分をしめていたなぁと振り返ります。今は人との関係性の経験も重ね、そんな自分をだいぶ慈しめるようになったかな。

 

そして余裕がない時、一人で勝手に悲しくなってしまう時、またはプンスカしてしまう時は人の気持ちが受けとれなくなっているなぁと思うのですね。自分にとってあまり心地の良くない気持ちは尚更受けとれないですし、自分にとってありがたい気持ちでさえもなんだか上手に受けとれなかったりして。でもそんな自分に気が付いて、いまではだいぶ受けとり上手になってきたように思います。(昔に比べたら…という感じではありますが)

 

目の前の人が困っておられるとか、苦しい時には何かしてあげたいという気持ちは本当に尊い気持ちだなぁと思う一方で、もしかしたらピアサポートにおいてより要になってくるのは、「何かしてあげたい」(話を聞いてあげたい、自分の経験を伝えてあげたい…といったことを良くお聞きします)ということ以上にシンプルに相手の思いをまずは「受けとる」ということなのかなぁと思ったりしていました。ではその受けとることの具体は何?という話にもなりそうですね。「受けとられない」ってどんな感じだろう、どんなことだろう?と考えると少しみえてきたりするでしょうか。

 

まとまりませんが、今日はここまでにしたいと思います。


(つぶやき人:りえちん)

2021年12月15日水曜日

18日目 深呼吸

 気付けばもう12月も15日。わー、あれもこれも積み残していますけれども、、、と自分に驚きつつ、みんなのブログを読んでいて、ああ、みんなも、はかはかしたり、追い込まれたり、そんな状況なのね、となんだか親近感です。

最近深呼吸をしてなかったな、と今日は気付きました。

自分としては、いつもゆったりと穏やかな空気で過ごせていると気持ちが良くて、そのためには深呼吸をしたりリラックスをしたり、ということをいろいろやっていきたいなぁと思っています。

ピアサポートなど誰かと過ごすときにも、そんなゆったり感で一緒にいられたら、自分のことも相手のことも押し込めずにいられそうだなぁと思ったり。

(つぶやき人 ゆっきぃ)



2021年12月14日火曜日

17日目

いろいろと追い込まれてヤバイのですが、17は7番目の素数だなぁと気づいてちょっと嬉しい。

相談員として働いていると、たまにか、ときどきか、相談に来た方から
「どうやって元気になったのですか?」とか「病気を克服したのですか?」という質問を
受けたり「どうやったら寛解できるだろう、、、」と悩みを聞くことがあります。

そうか、この人にとって病気は克服するものなんだなぁ、なるほどなぁ、思うこともあれば、
切実に治りたい、寛解したいという時期は私にもありましたから、そう思うのは不思議ではなく、
そうだよねぇとも思ったりします。

個人的には、医学的な寛解を目指す方向から、調子が悪くなった時にどうするかを考えておく
考え方にシフトしてから生きやすくなったと感じています。体調が悪くなることは避けられない
かもしれず、もしもの備えがあることで日々の不安が減るといった感じです。無理をしないと
いうやり方とも違うですよね。

こんな風に直球で答えたとしたら、私なりの正解に導こうとしている感じは伝わるようで、
ピンと来ないような反応がよくあるパターンかも。

そうかと思えば、ふとした会話の中で、今の住まいを選ぶときにもし休職しても傷病手当金の
範囲内で家賃を支払えることを条件に探したとか、壁紙やカーテンは寝込んだ時に安心できる
色合いや柄で選んだ、といったエピソードが口から出たりすると、こちらの意図とは別に、
寛解を考えないで備えを重視する生き方が伝わっていることが起こったりしています。

上の例で言えば、直球の返答は、私はこのような生き方をしていますが、いかがでしょうか?
という提案のようなものかもしれず、提案された側は、(暗黙のうちに)反応を返さないと
いけない気持ちになるかもしれません。

ふとした会話の良いところは、提案する意図がないので、選択を突きつけていないからなのか、
目の前の人にとって自由なんだろうなぁ、自由であると自分自身で何かに気づけるのだろうなぁ、
と最近気づくことがありました。

(かや)


2021年12月13日月曜日

16日目 doの前のbe

 こんばんは!ながおかもんです。

アドベントブログも16日目です。私自身も他のメンバーのブログを楽しみに読んでいます🎅

みどりんの「はかはか」も、仙台人の私は標準語だと思っていました。「はかはかする」使いますね〜。


今日のタイトルは「doの前のbe」。私の英語能力は怪しいので正確な使い方ではないかもな(汗)と思いながら、タイトルにつけてみました。

先週、「こども若者」に関する研修を聴講する機会がありました。

講義を聴講していて、自分で表現することが難しいこどもや若者に対しての関わりとして、安心できる大人として存在し続けるということがキーワードとして多く出ていました。困りごと対して、直接解決はできなくても、話を聴く、存在が大切であることの声がけをする、その関係ができることによって、ようやく話をし始めることがあるということや、自分の存在を受入受け止める存在がいることの意義が語られていました。

ああ、これってすごくこども若者だけではなく、どんな人でも大切なことだよなと思っていました。

私はいわゆる支援の現場にいるのですけど、「何をするか」の前に「その人にとってどうあるのか」ということが大事なのかなと思っています。

ピアサポートが素晴らしいと思うのは、関わりのあり方で、「解決」に直結する何かをすぐするのではないのだけど、相手との寄り添い方やその関係性だなと思います。相手の困難を言葉にしないでも寄り添うその姿勢はとてもbeingだなぁと思うのです。

うまくまとまらないのですが、今日はここまで、で。


(つぶやきびと:ながおかもん)


2021年12月12日日曜日

15日目 ラジオにて

 

あっという間に一週間ですねえ。

そしてクリスマスももうすぐ!

いたるところにクリスマスソングとピカピカの電気が光っていて、何となく気持ちが浮足立って、ケンタッキーを頼まなくて良いのかな?という気持ちが波のようにわいてきて、去っていくことを繰り返しています。

 

先日、昼間にラジオを聞いていたのですが、視聴者からメール(手紙?)で寄せられた悩みに対して、映画コメンテーターのリリコさんが答えるというコーナーがありました。大学生の女性からで、夏くらいまでは学校の課題を一生懸命やっていたのに、急にやる気がなくなって何も手につかず、苦しいとのこと。

その後のリリコさんの回答が「自分にもそんな時があったよ」、というところから始まり、ちょっと運動するのもよいよ、あとはまずは何もしないで寝る!という期間を作ってみる、そうすると何かやりたい気持ちがわいてくるかも、というもの。最初の回答はなんだか少しドキッとしたのですが(その方がでも私は同じじゃないし、とか思ったかも…など)、その後の回答は私がどなたかに相談されてもいうかも!と思いました。

私も同じ、という事の言葉の繊細さ(相手の顔が見えていないから余計)と、たとえ専門家と呼ばれる人じゃなくても、人は人が癒えるための手段をちゃんと知っていて、それが誰かに伝わるっていいな、と感じたエピソードでした。

 

そして最後に元気を出して!ということでボラーレ♪が流れて、なんだか私も元気が出たのでした。

2021年12月11日土曜日

14日目 トラウマから見えるピアサポートの新たな地平

こんにちは!にしこです。

札幌に来ています。

目的は2つ。博士論文研究のための調査と、それからアメリカのオークランド大学から来日されている宅香菜子先生の講演を聴くためです。


今日は宅先生の講演会でした。「コロナ禍と心の成長 ー PTG研究から考える」というタイトルの講演会です。宅先生のご専門のPTGをわかりやすく説明していただいた講演会でした。


PTGとは Post Traumatic Growth(心的外傷後成長)のことで、「強いストレス症状を引き起こす,つらく苦しい出来事やトラウマをきっかけに,悩み,精神的なもがきを経験することで人間として成長する現象」(宅先生のHPから)をいいます。


最近、トラウマに対してピアサポートが何ができるのか、できないのかに、私の興味は向いています。それはトラウマの話題からピアサポートを捉え直したら、ピアサポートの新たな可能性や地平が見えてくるかもしれないと思うからです。




アメリカなどでは、ピアサポートの議論にトラウマの話題が取り上げられることがよくあると聞きます。「トラウマ・インフォームド・ピアサポート」という言葉もあるそうです。(りえちんさんから教えてもらいました。りえちんさん、ありがとう!)アメリカでは、精神疾患・アディクションを主に扱うピアサポートの軸(州認定のピアスペシャリストとして知られています)とは別に、退役軍人の方のPTSDを専門に扱うピアサポートの軸(こちらは連邦政府認定のピアスペシャリスト)が存在します。ひょっとしたら、後者の軸の影響からトラウマが扱われるという事情もあるのかもしれません。私の想像ですが。


一方で日本では今のところ、ピアサポートの領域でトラウマの話題が取り上げられる機会はそう多くありません。でも精神疾患や精神障がいのある私たちの仲間の多くは、大なり小なり「こころのケガ」をかかえていると感じます。それは病気になる前に負って、そして病気のきっかけになったようなケガもあるでしょうし、病気になったことで負ってしまったケガもあるでしょう。そういった「こころのケガ」つまりトラウマにピアサポートが向き合うことは意味のあることと考えます。


そしてトラウマ・インフォームドなピアサポート、つまりトラウマについて知りそれに配慮したピアサポートを考える上で、PTGはとても大きな示唆を与えてくれると思います。




今日の宅先生の講演で特に印象に残ったことは、第1にPTGは「成長を促していきましょう」といったような成長を目指していく考えではないこと。つまりベネフィット・ファインディング(成果を追い求める)といった考えではないことです。第2には相手の話にただ耳を傾けること、つまり「聴くこと」が大事で、ただその「聴くこと」は本当はかなり難しいということです。


これらのことは、私たちピアスタッフが提供するピアサポートワークにも大きな示唆を与えてくれると思います。第1点のベネフィット(成果)を追い求めないという視点は、成果としてのリカバリーを基盤としたピアサポートに対し、それ以外の形のピアサポートもありそうだということを教えてくれていると思います。第2点の「聴くこと」に関しては、リカバリーストーリーを「語る」ことでロールモデルとなるピアサポートに対して、聴くことによるアドボケイトとしてのピアサポートの可能性を教えてくれると思いました。


このように、PTGとピアサポートの接点を探りつつ、日本でのトラウマ・インフォームドなピアサポートのあり方を考えていくことによって、ピアサポートの新たな形なり可能性や地平が開けるかもしれません。




今日の講演会では他にも得るところが大きかったです、何より宅先生と直接お話しする機会をもらえて、サインまでいただいて、一緒に記念写真まで撮ってもらっちゃったー。


他のもろもろの話は次の機会に。


つぶやきびと:にしこ





2021年12月10日金曜日

13 日目 はかはかする

 12月に入って、色々と追い立てられるような感覚にはかはかしています。

この「はかはかする」。実は方言らしいと知ったのは最近で、どうやら宮城や福島あたりで使われるようです(本当かしら?)。胸がどきどきする、息苦しい、ハラハラする。そんな意味で使われるようですが、わたしはもっぱら「不安や緊張が高まって落ち着かない様子」のとき、伴って呼吸も浅くて苦しいような感じのときに使っています。

やらなきゃいけない(と思っている)ことが積まれてきて焦ったり、プレッシャーを感じる人間関係のさなかにあったりしたとき、よく胸がはかはかするのです。そして、いまもそんなかんじ。

深呼吸をしてみたり、自己流マインドフルネスをしてみたり、「だいじょうぶ」と言い聞かせてみたり色々するのだけど、今日のはちょっと強烈。なかなか「はかはか」が飛んでいきません。


どうしたらいいのかしら。


ひとりでは解決できない気がするので、なにかにサポートを受けられたらありがたい。どんな声かけをしてもらえるかしら。のそのそとそんなことを考えました。


「大丈夫だよ、今の状況はたいしたことないよ」と言葉をかけられたら。

いなすように諭すように言われたら自分の思考をすごく軽んじられている気がしてイラっとすることもあるだろうけれど、普段からの関係性によってはなんだそんな深刻にならなくてもいいのかと安心することもあるかもしれません。


「なんでそんなふうに感じるの?」と言われたら。

詰問口調で立って言われたら苦しいだろうけれど、やさしく隣に座ってこのはかはかの意味を探ろうと寄り添ってくれたら和らぎそうな気もします。


単なる言葉じゃないんですよね。当たり前だけれど、お互いの表情や雰囲気、口調、語気、言葉選びや間の置き方で相手に与える印象も大きく変わってくる。ピアサポートの関係が拡がる世界は、これらの要素をひっくるめて自分も相手も尊いと思えて大切に関わることができそう。こころの羽を少なくともぎゅっと閉じなくてもよいような世界なのかもしれませんね。

そんな世界を心に描いたら、すこーしはかはかが、遠くに行ってくれた気がします。

またすぐにはかはかしちゃうかもしれないけれど、ちょっとずつこんな時間をもちたいと思っています。

(つぶやきびと:みどりん)

2021年12月9日木曜日

12日目 こころが整う場

 アドベントBlog、12日目です。

写真はスヌーピーミュージアムのスヌーピー。きちんとクリスマス仕様になっていました^^


ふむー。今日は色々な自分の気持ちや、ほかの人の気持ちを聞かせてもらう機会が多くて、気持ちがゆらゆら、どんぶらどんぶらと揺れています。悪い揺れではなくて漂う波に乗っているような感じといいますか。


そして今夜は、しっぷろの定例ミーティングの日でした。このしっぷろメンバーとの月に1度の定例ミーティングはいつの間にか自分の中での安心基地といいますか、心が整う場所の1つとなっていて、しっぷろの活動アレコレを話すという前提であっても、それぞれの近況やいま感じている事、こんな風に考えてみたんだけど、、、というのがピアスタッフとして働くということに身を置く自分にとってのグループスーパービジョンの様な役割も果たしてくれているように感じます。

 

働く中で悩まない、ということがある訳は無くて、グルグルしっぱなしの日もあるんですね。それでも日々自分が出来る働きを全うできているのは、ピアスタッフの仲間の存在もそうですが、ピアスタッフじゃなくても、このピアスタッフ・ピアサポーターのことについて関心を寄せ、一緒に考えてくれる仲間の支え無しには働き続けられないだろうと思うのです。

 

具体的な支えがありがたいときもあるけれど、まずは自分にとっての心の居場所になっているなぁ、それは本当にありがたいことだと思うのです。そして、さらに自分自身が大切にしたいことというか、一歩進んでやっていきたいこととして、そんなありがたいなぁ、救われるわぁ~、ホッとするわぁ~、という自分が仲間の支えで得られた恩恵を独り占めしないで、他の誰かにも(とくに、いま行き詰っているピアスタッフやピアサポーターさんに)おすそ分けできないかな、、、と考えるのでした。もちろん自分が無理なくできる範囲になるので、大きなことはできないかも知れません。

  

近年、ピアスタッフやピアサポーターの人たちの間で盛んに言われている事として「病や困難の経験のわかあい」とか「病や困難によって置かれた立場を経験したからこそ見えること、感じられることの共有」とか、そんなことにこの役割の意義を見出している人が多くおられると思うのですね。ただそこに足りないというか、まだ育っていないのは、病や困難を経験した当事者としての~~~(分かち合い)に加えて、ピアスタッフ・ピアサポーターの立場を経験したことによって感じていることや、見えたことの分かち合いの場がまだまだ少ないなぁと思うのでした。つまりピアスタッフ・ピアサポーター同士のピアサポートの場といいますか。

 

昨日一昨日の、かやさん&ゆっきぃの流れを汲むと、そんなところにしっぷろのWEBサイトでの発信がなにかお役に立てることがあるのではないかな~~と思って始めた活動です。まだまだよちよち歩きだったり、(少しハイハイくらいはできるようになったか??)しますが焦らずこの活動を育てていって、ピアスタッフ・ピアサポーターにとってのピアサポートの場のひとつになれたらなぁと夢見るのでした。

(つぶやき人:りえちん)


2021年12月8日水曜日

11日目 ピアサポートとこころの羽

ネットのピアサポートについてのかやさんの記事を読んで、
私もどんなにインターネットに助けられたことか、
同じ困難を抱える人の書き込みや、その人達のやりとりを見たり
痛みの様子などは全然知らないながらも
ネットで見かけた言葉にものすごく力をもらったり励まされたり
したなー、と物思いにふけっておりました。

私は、
自分のままでいていいと感じられて、
自分のこころの羽を伸ばすことのできるような
そんな関係やそんな場をどんな風に作っていけるかに関心があります。

これって、ピアサポートの関係に限らないわけですが、
ピアサポートの場にこうなりやすい要素があるようにも思っています。

何かそこにパワー(権力)の違いがあったり
引け目があったりすると、なかなかそのような場にならなくて、
対等な関係というあたりと、
それぞれが「自分にとっては」という観点で話すというあたりが
ピアサポートで大事なところなのかな、とか考えています。

なんだかアドベントっぽくない感じで
まとまりのないつぶやきを書いていて気が引けますが
またもや中途半端につぶやいてみました。

(つぶやき人:ゆっきぃ)



2021年12月7日火曜日

10日目 ネットとピアサポートとかニッチな話題とか

 

カラオケ歌い放題、
焼肉食べ放題、
蟹食べ放題

じつは世間が喜ぶキーワード、ピンとこないままの人生を過ごしているかやが担当する
10日目。。。。。


焼肉と蟹は年1回あれば十分、自分のお金で食べるかと言われると悩む。
カラオケにいたっては苦痛でしかなかったり。
みんなで楽しめるものに共感しづらいと生きづらいんですよね。
今でも、あそこの焼き肉美味しいですよねーと話題を合わせていたり
(美味しいと自分のお金で食べるくらいの好きとは別なんですよねぇ、この感覚分かるかなぁ)。


子どもの頃から趣味はニッチな傾向があって、星が好きだったので、10代の頃は
海外の天文雑誌を購読していたり(ちゃんと読めないのに!)、大学時代の青春は夜空という
暗闇で過ごしたり。


おかげで、NASAが撮影したしし座流星群の解析をお手伝いする機会があったり。
嬉しいこともたくさんあったけれど、身近に同じような人は多くなく、同好の志との
やりとりは黎明期だったインターネットでした。


渇望していた情報が手に入る、つながれることは何よりの喜び。
インターネットがなければ、世間が喜ぶキーワードに押しつぶされて、
どうしていたんでしょうね。インターネットは救いでした。


ピアサポートの分野でもネットが広がってきました。COVID-19の影響もあって、オンライン
ミーティングも当たり前になってきました。私が仕事で出会った20代、30代の当事者のなかに
は、初めて当事者と話しをした場所はネットという方がちらほらおられます。


オンラインでピアサポートは可能なのか?対面でなければ難しいのでは、という問いを
よく耳にしますが、現実はすでにオンラインでのピアサポートが広がっている印象です。
今日もオンラインでのピアサポートの研修がありました。


都会では、当事者の人口もそこそこにいて、交通網も整備されているので、対面でも当事者と
出会いやすいかもですが、人口が少ない田舎では当事者の数も少なく、交通も不便。
当事者と出会うことのコストがとても高くなります。
ピアサポートの場にたどりつくためにネットを必要とする人は大勢いるのでしょう。


ちなみに、わたしがWRAP(元気回復行動プラン)を知ったのは2009年のこと、
場所は普及しはじめたばかりのTwitter。
のどかな里山に住んでいてひきこもっていた時期でした。
あの情報にどれだけ救われたのだろう!


自分が病気になりたての頃、苦しかった頃をふりかえると、同じような病気の人であっても、
ちょっとした違い……年齢、職歴、病気になってからの年月、飲んでる薬の違いが気になって、
他の当事者とつながることを妨げていたような気がします。

ネットの場合、対面よりもニッチな集まりをつくることがしやすいと思うので、
より自分に近い(と思っている)人たちと出会えるかもしれません。
そんな時の最初の一歩にネットは有効かもしれないなぁと漠然と思ったりします。


リテラシーに差がある人たちが集まる研修などではまだまだ課題は多くあるけれど、
自分の関心ごとや好きで集まる場所にはネットは強いですよね。

オンラインには、セキュリティや匿名性の課題もあるけれども、
みんなとはちょっと違う話をしたい時に、情報がほしい時に、つながれる手段が
これからもあるといいなぁと思いますねぇ。

しっぷろも、そんな場所の一つであれば良いなぁ。



2021年12月6日月曜日

9日目 アドベントキャンドル

 こんばんは!ながおかもんです。


アドベントブログも2週目に入りましたね。

キリスト教のアドベントでは、4本のキャンドルを用意して1週間ごとに火を灯すそうです。

キャンドルの意味を調べてみたら、1週目は「希望」、2週目は「平和(平安)」、3週目は「喜び」、4週目は「愛」を表しているそうです。(ながおか調べ。宗派によって違ったりするかもしれません)


希望、平安、喜び、愛、かぁ。なんか素敵ですね。

素敵だなぁと思いながらも、それを感じることが難しい状況もあるなぁと思ったりもします。

苦しくて苦しくてとてもそんなこと感じることができない。

そんな時は思い切ってその気持ち誰かに話してみたら良いのかもしれません。誰か、話せそうな人に。

これまで付き合いがある人でも良いでしょうし、案外と自分のことを知らない人の方が話しやすいこともあるかもしれません。


希望や平安、喜びや愛が、必要な人達にに届きますように。



(つぶやきびと ながおかもん)



2021年12月5日日曜日

8日目 経験の広がり

 

今、とある市で行われている家族会、当事者の方の会に木曜日、月一回参加させていただいています。2時間開催されるその会は、私にとっても様々な経験を聞く大事な機会となっています。

精神科医として参加するのですが、その間に私がお話しすることは必要最低限のことで、とても短いです。診察場面での一対一の関係ではなく、そこには多くの対話があります。
いいなあと思うのは、家族の方が、こんな時、どんなことを感じているんでしょう、どんな言葉かけをした方が良いんでしょう、と当事者の方に聞いていること。
一通りの病の知識があったとして、とても太刀打ちできないほどの豊かな経験、言葉がそれぞれの方に宿っています。私はただ耳を傾け、生の言葉を自分の中に蓄積させていきます。

その会に参加される方が、この一回一回の経験の話がそのままになってしまうのはもったいない、どこかにデータとして残せないか、とおっしゃっていて、私もそんなことができたらなあと思ったりします。これだけAIが発達してきたのだから(といってもテクノロジー音痴の私には何をどうできるかはわからないのですが…)、残せたり、取り出せたり、それがまた次につながっていったり、という形ができていけばよいなあと思ったりします。

そんなことを思う木曜日の午後でした。

(つぶやきびと:えみ)