2021年12月14日火曜日

17日目

いろいろと追い込まれてヤバイのですが、17は7番目の素数だなぁと気づいてちょっと嬉しい。

相談員として働いていると、たまにか、ときどきか、相談に来た方から
「どうやって元気になったのですか?」とか「病気を克服したのですか?」という質問を
受けたり「どうやったら寛解できるだろう、、、」と悩みを聞くことがあります。

そうか、この人にとって病気は克服するものなんだなぁ、なるほどなぁ、思うこともあれば、
切実に治りたい、寛解したいという時期は私にもありましたから、そう思うのは不思議ではなく、
そうだよねぇとも思ったりします。

個人的には、医学的な寛解を目指す方向から、調子が悪くなった時にどうするかを考えておく
考え方にシフトしてから生きやすくなったと感じています。体調が悪くなることは避けられない
かもしれず、もしもの備えがあることで日々の不安が減るといった感じです。無理をしないと
いうやり方とも違うですよね。

こんな風に直球で答えたとしたら、私なりの正解に導こうとしている感じは伝わるようで、
ピンと来ないような反応がよくあるパターンかも。

そうかと思えば、ふとした会話の中で、今の住まいを選ぶときにもし休職しても傷病手当金の
範囲内で家賃を支払えることを条件に探したとか、壁紙やカーテンは寝込んだ時に安心できる
色合いや柄で選んだ、といったエピソードが口から出たりすると、こちらの意図とは別に、
寛解を考えないで備えを重視する生き方が伝わっていることが起こったりしています。

上の例で言えば、直球の返答は、私はこのような生き方をしていますが、いかがでしょうか?
という提案のようなものかもしれず、提案された側は、(暗黙のうちに)反応を返さないと
いけない気持ちになるかもしれません。

ふとした会話の良いところは、提案する意図がないので、選択を突きつけていないからなのか、
目の前の人にとって自由なんだろうなぁ、自由であると自分自身で何かに気づけるのだろうなぁ、
と最近気づくことがありました。

(かや)