2023年12月3日日曜日

1日目:アドベントブログが始まりました!🕯🎄

 こんばんは🍊ながおかもんです(。◝‿◜。)

1年ぶりのアドベントブログが始まりました〜。クリスマスまでメンバー一人一人がブログをアップするこの企画。実は私も他の皆さんのブログをとても楽しみにしています。

そして街もすっかりクリスマスカラー。山崎パンのCMもNoelが流れています🎂

クリスマスといえばキリスト教の行事なのですが、この間とある学びの場で進化論と創造論というものがあると知りました。進化論はご存知、生き物の進化の話ですよね。そして創造論はこの世の生き物は神様が作られたという論のようです。

進化論について考えていくと、環境に合わせた進化や環境に適応できないものが滅んでいくという考えにもつながるようです。この世は弱肉強食、弱いものが淘汰されていくという考え方にも似ているなぁと感じて、ちょっと引っかかってしまいました。

今は情報の世の中ですからいろんな情報に溢れていて、困難の解決法とか心を強くする方法とか自分の悩みを検索するとそれはもう色々な対処法が出てきます。自分を変える・強くなるというのも一つの方法ですが、本当にそれでいいのかなと思うこともあります。

弱い人、声を上げられない人はどうしたらいいんでしょう…

様々な理由で声を上げられない状況に置かれている人が、声を上げても良いと思えるような、そんな世界があちらこちらであたりまえに尊重されると良いなと改めて思ったのでした。


そんなところで今日のブログを締めたいと思います〜。

クリスマスまでしっぷろアドベントブログをどうぞよろしくお願いします!

ツリーに埋もれていた恐竜。弱肉強食の王(でも寒さで絶滅⛄️)







2023年11月20日月曜日

なんとあっという間に12月がきそう!

しっぷろメンバー、りえちんです^^

今年は第11回全国ピアスタッフの集いのお手伝いをもりもりさせて頂いております。
それもあってか、今年のしっぷろ、いつも以上にスロースロー活動です(テヘへ)

ですが、12月が目の前にやってきていることにハタと気が付きました。。
ということで、しっぷろでは今年も恒例のアドベントBlogを行います♪

アドベントBlogの期間は12/3(日)~12/24(日)です。
今年も曜日分担制で、しっぷろメンバー7人で毎日更新を目指しますので
ひそやかにお楽しみにくださいね^^

 




2022年12月24日土曜日

最終回:一人で勝手にアナザースカイ~岩手編~

しっぷろメンバーでつないだアドベントブログも今日で最終日!
あっという間でした…

アナザースカイ、最後の地は岩手です!

私の岩手愛はどこから来ているんだろうというほど大きくて純粋な愛です。

 

宮沢賢治の銀河鉄道の夜が大好き(花巻ですね)、妖怪が大好き(遠野!)、ということもあるのですが‥‥。

今でも思い出すのは、小さいころに家族といった岩手旅行です。夕暮れが迫り、空が茜色に染まる中、雄大な山々が静かに佇み、星の瞬く闇に沈んでいく様子や、盛岡市内でゆったりとした川が流れ、まるで眠ったような静かな街並みと、空がどこまでも高い様子など、すべてが自分の心をつかんで離さないなあと思っています。

 

子供の頃は遠野のカッパ淵も河童がそのうち現れるんじゃないかと思っていました。そういえば林の中にちらっと緑色が見えたような‥?

今思えば、物語のある土地に強烈に惹かれる自分がいるように思います。

宮沢賢治のイギリス海岸を歩くと、ここで昔過ごしたであろう人の空気が今も流れているように感じるというか…そんな気持ちを味わいたくて、私は旅に出ます。

 

さて、仕事に翻ると、私はやはり皆さんの物語を教えてもらいたいなあと思います。これまでどのような道を歩まれたのか、今どんな景色が見えているのか。

その中に少しでも自分と同じものを感じたとき、やはり私も嬉しいのです。決して同じ物語ではないけれど、どこか知らない土地で出会えて、ちょっと挨拶ができてうれしい、というような。

 

今日はクリスマスイブですね。皆様はどんな物語がありますか。

(私が思い出すのは、未だに持っているピーターラビットの絵本です。サンタさんからのプレゼントでしたが、望んだものではなく、ちょっとがっかりした思い出です。)

 

皆様にとって、今年、また来年の物語が良きものでありますように。そしてまたこのしっぷろで皆様と微笑みあえる時間があると嬉しいです。

 

それでは皆さま、メリークリスマス!


               数日前の雨上がりの空です。


(つぶやきびと:えみ)

2022年12月23日金曜日

27日目:「いいよ」と言ってくれる声 〜BMSGへの想いと共に〜

およそ10年前に学びを共にした友人4人と定期的に連絡を取り合っています。

コロナが流行するまでは集まって勉強会をひらいたり、ご飯を食べたり、一緒に温泉に行ったりしていました。今でもオンラインでの勉強会や情報交換会は続いていて、先日もクリスマスパーティーをしたところです。バックグラウンドも関心領域も異なっている彼女たちとの共通項は看護学だけなのに、とても貴重で素敵な繋がりです。

そんな仲間のおひとりから、BMSGという会社とその社長である日高光啓さん(SKY-HI)さんのことを教えてもらったのはこの夏のこと。BMSGとは、2020年に設立された日本の音楽事務所。Be My Self Groupという頭文字をとったもので、アーティストが「自分のまま」いられる空間をつくり、才能を才能として輝かせる場をつくり、日本の音楽シーンに新しいカルチャーを作りたいという社長の理念から生まれています。社長が1億円もの私財を投じて行ったTHE FIRSTというオーディションから生まれたBE:FIRST(ビーファースト)というグループをはじめ、いまやBMSGには所属アーティストやトレーニーが15人以上。全員が音楽を楽しんで追求していく姿が本当に美しくて、私もすっかりとハマって(沼って)しまいました。

何がどう美しいのかというと、それは彼らが本当にありのままで、愛にあふれているから。音楽が大好きで、パフォーマンスの際には歌もダンスも魂がこもっているけれど、ふだんはわちゃわちゃしつつ互いをリスペクトし合う彼ら、すごく自然体で楽しそうなんですよね。

この会社のビジョンには、

上り詰める、だけど蹴落とさない。

媚びない、だけど誰も否定しない。

自分である、だから人を愛する

とあります。わたしも、蹴落とさない否定しない世界や関係性を探りたい。自分も人も愛せる場所にいたいと思う。でもそれって日常難しい。それでも彼らはそれを体現しようとしてくれていて、その空気感を届けてくれるので、すごくエンパワーされるんです。そして、ありのままのあなたでいいよ、って言ってくれているみたいな気持ちになるんです。

彼らを応援するのに付随しているもう一つの楽しみは、この想いについて語ること。これを教えてくれたMさんとは、この夏以降いろんな感情と経験を共にしてきて、それがすごく自分を支えてくれました。自分の好きを語るのは、怖いことでもあります。馬鹿にされるんじゃないか、否定されるんじゃないか、わかってもらえないんじゃないか…。今までそんな思いはいろんな場でしてきました。でもそれを理解してくれて、観点が違っていたとしても面白いねと言い合える関係値。同じものを見て心を動かしているひとがそこにいること。これにはすごく支えられました。このお方からも、「ありのままのあなたでいいよ」をもらって支えてもらってきました。


相手からもらう「いいよ」の蓄積は、自分で自分に言う「いいよ」を授けてくれます。そして自分で自分に言う「いいよ」は、生きていく上で大事な底力のひとつになっている気がします。

自分はもうダメだと思ったり、自分を信じられなくなることってある。そしてどんなに「大丈夫」と言い聞かせても「もうだめだ」がぐるぐるして止まらない時がある。それでも、ひとりでも、わたしのことを「いいよ」という声を思い出せたら、少し息ができる気がするんです。

そんな声を持ち寄ってくれる仲間を、大事にしていきたいと思います。


 ※BE:FIRSTはレコード大賞にも紅白にも出ます。要チェックです♪

 ※写真は素敵な方から頂いたクリスマスのギフトです。

(つぶやきびと:みどりん)





2022年12月22日木曜日

26日目:共にいること

木曜のブログ担当、りえちんです~。
夜、週末にケーキを作ろうとおもってスーパーに苺を見に行ったのですが、高すぎてひるんで買わずに(買えずに…だな)帰ってきてしまいました…。明日は買いに行く前にお腹に力を入れて行きたいと思います。
 
さて、今日のブログテーマを「共にいること」としてみました。
自らの経験としても、目の前の人や友人、仲間などと「共にいる」ということから、ピアサポートの関係や、大切な何かにふれた方も多いのではないでしょうか。

そして共にいるなかで、嬉しい気持ちを分かち合ったり、共感しあったり、励まし合ったり、慰めあったり…、そんな風なことがまさにピアサポート的な感じがしますよね。こんな風な共感や励まし合いってお互いにとっても心地よい感覚を得やすいですもんね。そして、このような所に魅力を感じて、ピアスタッフやピアサポーターの仕事や活動をされているかも沢山いらっしゃるのだろうと感じます。
 
一方で、目の前の人や友人、仲間などと、共感しあえないことや、分かり合えない経験にも日常的に出会いますよね。分かり合えないことから、自分が押し黙ってしまうこともあれば、目の前の相手とどんどん心の距離が開いていくように感じることだってあるかも知れないですね。この間はすごくいい感じだったのに、今日はなんか変な感じになっちゃった…とかも。

けれども、お互いにとっての心地よい時に「共にいる」ことを越えて、いまひとつなんだか変な緊張関係が生まれてしまったり、なんだかスッキリしない気持ちが生じてしまったときでも「共にいる」ことができるとしたら、それはとても素敵だなと思うのです。お互いに押し黙ってしまうときもあるかもしれないけれど、でも共にいることは大事にし合えると言いますか。

通じ合えるから共にいることも素敵。
だけれども、通じ合えないときでも、互いを尊重しあい、目の前にいることを承認しあえる関係。

お互いの間に流れる空気が少し停滞してしまうときでも、それを一緒に眺められる様な関係や、再び動き出すことを眺められるのだとしたら、素敵だなーって。
 
まとまりませんが、本日はここまで~。

(つぶやき人:りえちん)







2022年12月21日水曜日

25日目:どうぞのいす

こんにちは!にしこです。


私の好きな本の一冊に「どうぞのいす」という絵本があります。


お話はこんな感じ。



うさぎさんが小さないすを作ります。

「どこへおこうかな」

うさぎさんはできたいすを

大きな木の下に置きます。

「どうぞのいす」という立札も。

そこへ、ろばさんがやってきて、

どうぞのいすを見つけます。

「おや、なんてしんせつないすだろう」

ろばさんは座る代わりに、

拾ってきたどんぐりが入ったかごを

いすに置いて昼寝を始めてしまいます。

そこへ、くまさん、きつねさん、りすさん

かわるがわる動物たちがやってきて...




このお話で繰り返し使われるのは、「どうぞ」という言葉と「おきのどく」という言葉です。


最初に「どうぞ」の立札を立てたのはうさぎさんですが、その「どうぞ」の立札をどう見るかは、やってくる動物によって少しずつ違います。「どうぞ」の受け取り方はそれぞれでも「あとのひとにおきのどく」という言葉で、見知らぬ誰かへの思いやりの気持ちがつながっていきます。



先月の朝日新聞朝刊に作者の香山美子さんのインタビューが載っていました。


「うさぎさんは誰かが座るかもしれないと思っていすを置いたかもしれないけれど、最初に見つけたろばさんはいすの上に荷物を置いてしまう。「どうぞ」の目的が変わったと読む人がいるかもしれませんが、「どうぞ」の言葉の意味そのものは変わっていないんです。」


「「どうぞ」って、誰かに何かをしてあげる時の言葉であり、誘う時の言葉でもある。自分以外の人に対する思いやりの大切さを込めました。「二つあったら一つはあなたにあげよう」という単純な心を伝えたかったんです。」


(11月28日(月)  朝日新聞朝刊)



「どうぞ」がつながっていくところが、読み手をなんとも楽しく、優しく、温かい気持ちにさせてくれます。「どうぞ」の気持ち、忘れがちですが大切にしたいなあと思います。


もう一つ素敵なところは、「どうぞのいす」の短いしっぽ。うさぎさんが、自分が作ったしるしにつけたのです。


もう40年も読み継がれているらしいのですが、なんとも温かい絵本です。



ではまた!




「どうぞのいす」作:香山美子、絵:柿本幸造 株式会社ひさかたチャイルド 1981


(つぶやきびと:にしこ)











2022年12月20日火曜日

24日目 人としているというだけでいいんだろうな

 

とても腰が痛くて、困った、またぎっくり腰になりそうだ、、、、と思っていたときに、こちらのお寺の近くへ行く機会がありました。一度行ってみたいと思っていたお寺だったので、仕事帰りに立ち寄って。お参りしてすぐに帰るつもりだったのだけれど、裏山のようなところがあって、歩いて回れることがわかり。仕事着で、パソコンやらいろんなものを背負ったまま歩き始め、山(というか丘)の中を歩くこと1時間。

あんなにバリバリになってしまっていた背中や腰を含め、身体がとても楽になっておりました。日ごろ、肩や背中にすごく力が入ってしまってるんですね。土の上を歩くこと、どこかへ行くためでなく歩くこと、久しぶりだけど気持ちいいなー、とか。

もっと気の利いた反応ができたんじゃないか、もっと勇気を出してこんな風にもできたのではないか、あんなこと言わなければよかったのではないか、私ではない別の人だったらもっと良い感じでできたのではないか、などなど毎日いろんな思いが出てきますが、たまにこうして自然の中を歩いたりすると、毎日最高の自分でいる必要もないと気づくことができたりします。そして、ただその時その時にその瞬間を受け取って、感じていられる自分でいたいなぁと何やら思いました。

ピアサポートも含め、人との関係って、大切にしたいけれど、毎回最高のやりとりをできたり気の利いた何かを提供できたりするわけでもないと思うんです。それで勝手に落ち込んだりするんだけど、でも、考えてみると、相手はたぶん、最高の何かなんて求めてないですしねぇ。

人がそこにいるということだけで、とても尊いことなんですよね。

まとまりのないままですが。

つぶやきびと:ゆっきぃ



2022年12月19日月曜日

23日目:制約のあるなかでコントロールを手放す。と書きつつ、締め切りをコントロールできていないっ。

またもや1日飛ばしてしまいました。かやでございます。 夜に着の身着のまま寝てしまっておりました、余裕なく過ごしていてアカンですね。
着の身着のまま寝るのは日常ではあるのですが……。 週末は他県の障害者ピアサポート研修に関わっておりました。
久しぶりにグループワークに基礎研修の2日間ご一緒させていただきました。
自分にとっても刺激があり学びがあり、よい時間を過ごせました。 その後も、WRAPのようなワークショップを職場でやりました。
初対面の人も多くいるなかで、無理のない自己開示があったり、尊重しあう場面があったり、
これまた心地よい時間を過ごせました。 グループの場に参加してみて、あらためて感じたことなのですが、参加者であったり、
目の前の人に対して、ああしよう、こうしよう、というコントロールを手放すことで、結果的に安心感がもたらされることがあって、いい感じの場になることがある、
ということです。

そのような経験はもちろん今までもあるのですが、やっぱりそうだよねぇと実感したのでした。 分かりやすい例でいえば、話が長い人がいたときに、
相手の話を止めようという意図で関わると思ったとおりにならないし、さて、どうしたものだろうか?というこちがが困った姿勢のほうが意図せず
よい方向に動きだすような経験をしたのでした。

もちろん、話が長い人がいると心配にもなったりときにイライラしたりもするので、
むしろ自分の感情に対する手綱を握ることが大事になるかもですが。 また、これは気づきでしたが、制約があるほうが、
じつはお互いを尊重できるかもしれない、ということです。

例えば、自分は○○な症状があるので、○○は難しいです、というような自己開示があると、
その症状だけでなくて、同じように別の症状がある人があるかもしれないと配慮した
言い方になったり、その場の誰かへの配慮があると、自分も配慮されるかも、意見を言っても大丈夫かもという安心感が生まれるのかなぁなどと考えたりしました。

制約があることで、その場に尊重したい軸、見えない道がおぼろげに浮かびあがるのでしょう。
制約があるから○○な配慮をしましょうとコントロールをするよりも、
尊重したい軸を浮かんでくるような投げかけが好ましいのかもしれません。
そんなことをふりかえりました。

2022年12月18日日曜日

22日目:ピアサポートが育まれる場

 こんばんは!ながおかもんです。
年末が近づいてきたり雪が降ったりで、ちょっとだけパワーがレスっています😐
楽しいこともあったり大変なこともあったりバタバタする中で、レスったのかもしれないですね。

さて、

自分の好きなことに触れると心の健康には良いと言われたりします。好きなものがたくさんあると良いよ、ということはよく言われることですよね。
というものの、好きなものってなんだっけ?という時期もないですか?私は今そんな感じです。好きだったものを集めてみても、なんとなく味気ない。自分が本当に好きなことってなんだったっけ?それを忘れてしまっている状況がまずしんどいのかもなぁと思います。

でも、時々、心の中でスタンディングオベーションが起きるものに出会ったりするので、好き好き感度が落ちていても、しっかり反応はするんだなぁと思ってみたり。

で、昨日気づいたのですが、私は「ピアサポートが育まれる場」がとてもとても好きなんです。自分自身がピアサポートされることも大切なんですけど、ピアサポートが育まれる場そのものがすごく好き。それが私なんだなぁと思い出しました。

ここ数年はそういう現場からはすっかり遠ざかっていていました。これがパワーがレスな原因なのだろうか。

好きなことをする、のであれば、ピアサポートが育まれる場に関わっていたい。
何か動いてみようかな。

今週末はクリスマス!

2022年12月17日土曜日

21日目:一人で勝手にアナザースカイ~四国編~

 

私のアナザースカイ、第二弾は四国です!

 

四国は2回、行ったことがあるのですが、思い出すのは大学時代の四国です。

そのころ、青春18きっぷにはまっていた私は、単身船で四国にわたり、そこから四国ぐるっと一周旅を計画しました。


時間の関係で全てをじっくり、というわけではなかったのですが、絶対にやりたい!と思っていた香川のうどん巡り(香川のうどんは本当においしいですね!早くて安くて素晴らしい。トッピングも多くて、目移りしてしまいます)、愛媛松山市の道後温泉(とても素敵でした~座敷でゆったり過ごすのが最高でした)、などなど、魅力も盛沢山だったのですが、

 

未だ、20年たっても忘れられないのが、車窓に広がる、美しい緑と青い空の光景です。ここは日本か、と思ってしまうほどの美しさで、言葉を忘れるほどでした。

うまく説明できないのですが、すべての世界が美しい森で構成されて
いるような錯覚に陥る、想像の世界にいるかと思うほどの美しさ、というのでしょうか…緑をかき分けながら進む電車の車窓から見えた景色の美しさは今でも目に焼き付いています。

 

その後の四国訪問は徳島だったのですが、時間が限られており、徳島ラーメンを食べて終わってしまいました(´;ω;`)。残念…。

 

是非また時間ができたら、四国一周旅をしたいなあと思っています。

若いときの自分とはまた違った気持ちを持つのではないか、とドキドキしつつ、楽しみにしています。

            曇り空に飛行機雲が一筋走っていました

(つぶやきびと:えみ)

2022年12月16日金曜日

20日目:地道に一歩一歩。

 アドベントブログももう20日目。

メンバーそれぞれの思考やスタンスが透けて見えるブログは読んでいて面白いですね。

しっぷろはメンバーがちょうど7人いるので各曜日を各人が分担しており、わたしは金曜日の担当というわけですが、そんな金曜日もあと11分で終わろうとしています。(そしてウンウン唸って書いていたら過ぎてしまいました;;)


先日、SERLA(特定非営利活動法人 免疫・膠原病に関する支援・教育・研究のためのネットワーク)さんの「ピアサポートについて考える」というワークショップに、しっぷろメンバーのにしこさんと一緒に参加してきました。ピアサポートについて研究をされておられる伊藤智樹先生のお話をもとに、膠原病をお持ちである方々などがそれぞれにピアサポートとの出会いやいまなさっている活動について伺いました。

実際にピアサポート活動として場を作っておられる方のお話では、同じ体験を持つ人と安心して繋がれる「場」の重要性と、その場へのアクセスしやすさ、そういう場やいろんなひとが共存できる「社会」があることの必要性について触れられていたように思います。コロナ禍によって対面での「場」の交流が難しいことから、SNSを通しての交流も増えたメリットとデメリットについても改めて考えさせられました。

やさしい社会をつくっていくことは、ひとりでできるものでもないし一朝一夕にできることでもありません。でも自分の身近なところからでも目指す世界を広げていけたら、少しずつ変わるのかもしれないとおもっています。理想論かもしれないけれど、地道に、一歩一歩。

わたしにとっての一歩として、こうしてワークショップに参加することは大きなものでした。膠原病については、身内がかかっていたものの全くわかっていないことばかりでした。わからないことって距離ができてしまってよりより傍観者になりがちなのですけれど、そう言うスタンスがまわりまわって偏見を生むのだとも思います。知らないことを知っていく、知ろうとすることをやめない、そんな一歩を歩みたいと思います。

(つぶやきびと:みどりん)


2022年12月15日木曜日

19日目:時に一歩下がってみること

 なんと来週はもうクリスマスなのですね、はやい…。

さて今日は何を書きましょうか。前回は、身近なピアサポートについて書きました。なので、今日はお仕事的な意味あいでのことに少し触れてみようかなと思います。


私自身の病気になってからのピアサポート体験という意味では、デイケアに行きはじめた当初のことをよく思い返します。何もかも失って(当時はそんな気持ちでした)家にずっと引きこもり、外出は通院のみ。そんな生活をしていたところに「うちにもデイケアできるよ」と主治医に言われて、よくわからないけど行ってみたんですね。

でも行ってみて驚きました。こんな惨めなのは自分だけだ、と心の中で思っていたけど、そこには笑顔でおしゃべりしている同じような年齢の子たちが沢山居たのですね。なんだかスッと肩の力が抜けたことを覚えています。そこからデイケアの仲間と仲良くなって、デイケアが終わってからは、いつもみんなで近くのお店でお茶会していました。(その思い出のお店はもう閉店してしまったのが悲しいけれど)きっと似たような体験をされている方、いらっしゃるんじゃないかな?^^ そんなことを思い返すときに、ふと思うことがあります。

  

ピアスタッフやピアサポーターとして、利用者さんや患者さんと関わらせて頂くときに、もし利用者さん同士がよい関係や、素敵なやりとりをされている時には、すっと一歩下がってみること(関わりを遠慮してみること、保留してみること)なんかも上手に混ぜながら、働くことができたらいいなぁって。


一歩下がった時に、利用者さん同士が素敵なやりとりをされているのであれば、わざわざ割って入らなくてもいいですよね。つまり、その人達同士のピアサポート関係をそっと応援することも大事だなぁって。

入職したばかりの頃は特に、「何かしないと」感に押されてしまうことがあると思うのですが、ときにパワーセーブモードで働くことが余白を生んで、良いように作用する場合もきっとあるなと思うんですね。もちろん仕事という意味では「ON」でありつつもパワーセーブモードといいますか。


そのあたりも、また他のピアスタッフやピアサポーターの方とお話を重ねていきたいなと思っています。来年や再来年(再来年はさすがに先過ぎる!?)には、しっぷろでもピアスタッフやピアサポーター同士での継続的なお話会みたいなとをやりたいな~とひそやかにたくらみ中です。


では今夜はこのへんで。

(つぶやき人:りえちん)





2022年12月14日水曜日

18日目:「禁じ手」の経験談

こんにちは!にしこです。

このところ、ピアスタッフの方が集まる場に参加させていただく機会が多くあります。そこで語られるさまざまな経験のお話にいつも感動します。ピアスタッフは「経験による専門家」で、その経験はきく人に、勇気や希望、生きていく力を与えるものだなあとつくづく実感しています。 


でもですね、最近私は、誰かとの対話においては、経験に基づく話でも「禁じ手」ともいうべき経験談があるのではないかと思っています。それは「分かり合えないことを前提とした経験談」です。

 

具体的には「あなたは経験していないからわからないだろうけれども」とか、「あなたは経験が浅いからまだわからないだろうけど」といった文脈で語られる経験談です。


例えばそれは、

「あなたは入院の経験がないからわからないだろうけど、私はね...」

「あなたはこの病気の経験がないからわからないだろうけど、私はね...」

「あなたは結婚していないからわからないだろうけど、私はね...」 

などなどでしょうか。


経験に基づく話も、「あなたは経験していないからわからない」という前提で話してしまうと、相手は黙るしかなくなってしまうわけです。そうなると、お互いの間に断絶が生まれてしまうし、そこにピアサポートや対話が入る余地は無くなってしまいますよね。

 


なぜこんな話をするかというと、最近、私自身が苦い失敗体験をしたからです。


それは大学院のゼミでのこと。就労支援のあり方みたいな話になって、議論が白熱した時に、私はつい、「企業に勤めた私の経験から言って...」と発言してしまいました。つまり、「福祉現場のあなた方は企業勤めの経験がないからわからないだろうけど」という文脈で相手の言説を封じ込めてしまったわけです。こうなると、相手は黙るしかないですよね。しまった!と思っても後の祭り。自分の発言を思い起こすと、とても苦々しく、そして恥ずかしい気持ちでいっぱいです。

 


こういうの「経験の権威化」とでも言ったらいいのでしょうか。経験談は、ややもすると暴力的にすらなるんだなあ、とつくづく思い知りました。とはいえ、失敗から学ぶことが大事です。今後の戒めにして、同じ轍(てつ)を踏まないようにしたいと思います。

 

ではまた!

 

つぶやきびと:にしこ




2022年12月13日火曜日

17日目:人として出会う

先日、ある講座(リカバリーカレッジの講座)に参加して、とても新鮮で楽しい経験をしました。

自分にとって意味のあるもの(自分の人生を有意義にさせるだったかも。)の写真(その講座では、ミーニングフル・フォトと呼んでいました)を一週間で9-12枚撮影してきて、それらについてほかの人に紹介してもいい人は、ほかの受講者に見せながら話す、というワークです。

これが自分にとって、とても楽しくて発見の多い時間だったのです。

自分についての気づきがあったのはもちろんなのですが、私にとっては、それより何より、ほかの人の撮った写真を見せてもらってその人のお話を聴いたことが、すごく良い時間だったんです。

知らない人(同じ受講者だというだけで、知り合いではない人)だったとしても、その人の大切なものだったり、自分にとって意味があるものやこと、人について話してくれるのを聞いているだけで、その人にぐっと引きこまれる感覚があり。

もともと知り合いだった人についても、その人が日常の中でいいなと思った場面の写真などを見せてもらってお話をきくことで、そういうことに幸せを見出したりしているのですね!と、それまで知らなかった一面を知ったり。

話してくれた人と、人として出会えた感じがしたのでした。

これは、これまでの「相手を知る」とはなんだか違うぞ?と思って考えました。

よく、精神保健の支援においては、その人の力や強み(ストレングス)を知って、そこを大事にしましょう、と言うし、それはとても大切なことと思いつつ、誰かの力とか強みを「情報」として知っても、その人のことを知ったという感覚をあまり持てないこともけっこうあることを思い出しました。

情報としてその人のことを知るのと、その人にとって意味あることをその人の言葉で話してもらうのでは、全然違うんですね。言葉にすると簡単なのですが、これを実感として感じたのでした。

ピアスタッフも含め、支援の仕事って、情報として誰かのことを知ることが増えてしまう面があると思うのですが、人として出会うということを毎回していけたら、相手に抱く感覚や関係性がもっともっと人間らしいものになるのではないか、そんな風になれたらいいな、とこの体験から感じました。

つぶやきびと:ゆっきぃ



2022年12月12日月曜日

16日目:ピアサポート、かみあわないもの

月曜担当のかやです。みごとにすっぽかしてしまいました。すみません><

忙しく余裕がないのもありますし、サッカーW杯にちょっとしたトラウマがあり、体調がよくありません。その昔にサポーターに囲まれて怖い思いをしたこともあって、W杯の時期は緊張しながら過ごしていることが多いです。今季、久しぶりにパニック発作が起きて、なかなか治らないものだと痛感しました。なにしろサッカーの話題から遠ざかって生活することがなかなか難しい。いやはや。


パニック発作のしんどいところは発作自体ももちろんのこと、再び発作になったら、、、という予期不安でしょう。再び発作が起きたら?という怖さは、なかなか経験してみないと分かりづらいものだなぁと思います。似たような経験をしていることで、想像力を働かせやすく、理解や共感しやすいことはあるだろうなぁと思います。よくあるピアサポートの特徴というか効果ですね。


一方で、同じような経験をしているからといって、相手のことを想像しやすいことは全くない、ピアスタッフにとって経験ではなくて当事者という立場が大事なのだ、というピアスタッフも知っています。確かにそこも大事です。


ピアスタッフのよりどころが、経験に根ざす者か、立場に依る者かの主張は、どちらも間違っていないでしょう。でも、間違っていないからどちらも正しいではなくて、どちらをより大事にしたいかは、それぞれ主張する人の思い、意思なんだろうとも思います。


私が今の仕事をはじめた頃は、(少なくとも私の地元では)ピアスタッフには期待もありつつ、専門職と一緒に仕事をすることへの抵抗感や不信感の方が強かったように感じています。ある方からは、専門職と協働して支援するような活動をピアサポートと呼ばないでほしいと言われたこともありました。その後の世相の変化は大きいもので、今では加算になるまでにピアスタッフが注目されるようになりました。


いろいろな人のピアサポートへの思いがせめぎ合い、ぶつかるのでしょうね。だから、かみ合わない。もっと言えば、どんな活動をピアサポートとしたいのか、という意思のあらわれだと感じています。ピアサポートの根底は同じだと信じたいところですが、あやしいかもしれないですよね。それは、どんな人とつながりたいか、気持ちをシェアしたいか、を問うているように思います。


個人的には、パニック発作の予期不安について誰かと話し合えるといい気分になることがあります。人には共感されにくいことを、共感してもらえると素直に安心するし、希望が持てます。