2022年12月11日日曜日

15日目 :正しさのベクトルの隙間

 こんばんは。ながおかもんです。
アドベント3週目に入りましたね。ブログの担当も3周目となりました。

先週は心奪われたyoutubeチャンネルについてご紹介しました。「心奪われる」とはわりと綺麗に表現させてもらっていて、自分の中で「これは素晴らしい!」の最上級表現は、「心の中でスタンディングオベーション」です。自分の中の全部が総動員されて、スコールのような拍手、指笛、そしてブラボー!の声、そんな感じです。


今回も私の心の中でスタンディングオベーションが起きた作品をご紹介したいと思います。
映画「護られなかった者たちへ」(瀬々敬久監督、2021年公開、配給:松竹、主演:佐藤健、阿部寛、清原香耶)です。
東日本大震災直後の宮城県(おそらく石巻市か気仙沼とか海沿いの街)が舞台となっていて、さらにそこから10年後に仙台で発生した殺人事件から物語が始まります。登場人物がそれぞれ被災という痛みを抱えながら生きていて、生活保護の問題もこの映画においては大きなテーマとなっています。


詳細はネタバレになるので控えますが、置かれている立場によってそれぞれの正しさのベクトルがちょっとずつズレていってこぼれ落ちる人がいる。正しさが合理化を産んでそこからこぼれていく人たちがいることをとても深く、深く考えさせられました。そして、正義は人を救うし、あるところでは人を深く傷付けたり、正義によって取りこぼされたものは取り返しのつかないことになることになり得るのではないかと考えます。人を助けることを生業にする以上、自分が翳した正義や正しさの影になってしまった事柄について、抱えていく必要があるんじゃないかということを考えました。

何が正しいとか誰が悪いとはそういう一義的なものを考えたのではなくて、それぞれがその時の正しさで生きていて、それがどういうことになるのかということを考えさせられた映画でした。


舞台が仙台市の「若葉区」となっていて、あきらかに「若林区」と「青葉区」を合わせたものだなということがわかるのですが、若林区で10数年働いていた私としては、そこも愛着ポイントでした。


なかなか重たい映画ですが、興味を持たれた方は是非!


ちなみに私はこの映画を見てから、佐藤健くんと清原果耶ちゃんから目が離せません👀


アドベント3週目です🎅


2022年12月10日土曜日

14日目:一人で勝手にアナザースカイ~福島編~

 

1つ目のアナザースカイ、大学から就職まで過ごした私の思い出の地、福島です!

 

大学入試の時、緊張で縮こまる中、大学の窓から見えた透き通るような青い空と美しい山並みは今でも忘れられません。

そこから私の福島愛が始まりました。

福島は浜通り、中通り、会津と3か所に分かれ、都会の中通り、海が楽しい浜通り、歴史と美しい自然あふれる会津、とそれぞれ違った魅力があります。

2010年に就職のために福島を離れた私にとって、2011年の東日本大震災は、自分がお世話になった、大事な方々を失ってしまうのではないか、という恐怖をもたらすものでした。

その後、しばらく浜通りや会津の病院に定期的にお伺いする機会を持たせていただき、当直をしたり、訪問診療チームに入れていただいたりしました。皆様の温かな歓迎に、私自身が温められるような体験でした。

 

その後、仕事などが忙しくなり、中々福島を訪れることができなかったのですが、今年の夏、ようやく念願の福島に行くことができました。

中通り、会津、浜通りを2泊3日でめぐる、という強行軍を最初は予定していましたが、移動距離で断念。中通りでは大学や大学生時代に住んでいたアパートをめぐり、大好きだった喫茶店に行き、大学時代友人といった観光地に行き、なくなってしまった店を惜しみ(トロビール、と呼ばれる美味しい料理が失われてしまった…)、2日目は浜通りに行き、おいしいジャガイモ料理(なぜか海産物ではない)を食べ、海を間近に見てきました。

道を走っているときに間近に迫る木々や、広い空を見て、自分の成分が何からできているんだろう?ということをじっくりと思い出す旅でした。

今でもたまに福島の空を思い出して、恋焦がれる日々です。

今頃は雪も降っていますでしょうか。

福島の皆様、今度福島の空の下でお会いできると嬉しいです(*^^*)

 

          
     家の近くの大型施設が取り壊されたら広い空が見えてびっくりしました

(つぶやきびと:えみ)

 

2022年12月9日金曜日

13日目:自分の器

 ある一定以上の温度にならないとどうしても動けないことに気づいたみどりんです。

そんな時は、暖房をつけて暖かいものにくるまって動き出せるまでじっと待ちます。前は無理して動こうとしていたけれどそれは辛いばかり。いろんな意味で「自分の身の丈を知る」ことの大切さを感じています。じっとしているのは無駄な時間を過ごしているようで、結局のところエネルギー消費を最小に抑えて次に動くために蓄えているのです。自覚して、待つことを覚えました。


さて。

ひととの関わりって、すごく弾力がありますよね。タイミングやコンディションによって、ぐぐっと近づくこともあるし、付かず離れずのときもあるし、割と姿が見えないなぁってくらい離れてしまうこともある。そういうのは、出来ればナチュラルで自然発生的だといいですよね。むりしてしまうと、それこそすごくエネルギーをつかう。

ちょぴっと苦手なひととなんとかうまくやろうとガンバルことで疲れちゃうのもそうだし、ぐぐっと近づいた人との関係性がうれしくてガンバっているあまり、気づいたら自分らしくいられていないなぁと思うこともあります。

なかなか自分の思っているより自分の器って小さかったり浅かったりして、はみ出ちゃうものも色々あるみたいです。

そんな時、ついつい自分の器にため息をついてしまうけれど、どうせならこの小ささを嘆くより、自分の器の適正なサイズを知り、この器が生きるように磨いていきたいものです。

なんだか抽象的なお話しになってしまいました。

が、今日はそんなかんじがむりのないところみたいです。

(つぶやきびと:みどりん)


2022年12月8日木曜日

12日目:ピアサポートはとっても身近

 肩と背中がバキバキのりえちんです。


さて、お互いさまの関係って、日常生活のなかで本当に沢山ありますよね。または、お互いではなくても、恩送り的なこととか。(※恩送りって、多分助けてくれた人に直接なんらかお返し的なことをするのではなく、別の人に助けてくれたバトンを渡していく…ことだったような…)


○○について困っている時などに、相手が察してくれたり。もしくは○○について直接聞いてもらったり。そんな風に自分の困りごとや気がかりについて、「そうだよねぇ、困るよねぇ」とか「わたしもそういうことあったよ」とか何気ない一言に、気持ちが楽になることってよくあるなーと。さりげない応援の気持ちを示してくれるとかもそうかな。

 

そして、つい昨日、背中や肩がバキバキの私を見通してくれたのか、お役立ち情報を送ってくれた職場の方がいまして、驚いたと同時に、ナイスタイミング過ぎて感激したのでした。このことがピアサポートなのかどうか、わからないけど。でもそれがピアサポートじゃなくても別に構わなくて、なんというか関係性のなかに暖かくて優しい気持ちがやり取り出来たことがとてもうれしいのと感謝だなーと思ったのでした。


そして、こんな風な心がホワァっと暖かくなるようなやりとりを重ねられる人と、大切に関係性を築いていきたいなぁとか、余裕が無くなってしまう時もあるけど、でもなるべくそんな風でいたいなぁと思ったのでした。


(つぶやき人 りえちん)

2022年12月7日水曜日

11日目:福岡訪問記 〜 第10回全国ピアスタッフの集いに参加して

 

こんにちは!にしこです。

 

先週末、12月3日(土) 〜 4日(日) の2日間、福岡にて、全国ピアスタッフの集いが開催されました。3年ぶりの対面開催(オンライン併用)ということで、私も福岡に行って参加してきました。対面で会えるのはいいですね。とてもとても楽しかったです。

 

1日目は、オープニング、実行委員長の磯田重行さんの素晴らしい開会の挨拶に大いに感動し、続く基調講演、相川章子先生のお話で多くを学ばせてもらいました。そのあとの分科会はどこにしようか迷ったけど、訪問看護ステーションReafさんの分科会に参加させてもらいました。訪問看護は、医療の枠組みで行われる支援ですが、ときに精神保健福祉士も参加することで、ソーシャルワークの視点も入れられたらより良いものになるだろうという学びをいただきました。

 

2日目の午前は「ピアスタッフだからこそできること」という分科会にパネリストとして参加しました。私は、研究活動から得た気づきとしての「ピアならでは」と、私なりに考えるピアスタッフの可能性について発表しました。緊張したけど、なんとか乗り切りました。

 

発表の中でピアスタッフの可能性の一つとして、利用者のトラウマに配慮したピアサポート、トラウマ・インフォームド・ピアサポートについてお話ししました。これについて、指定発言の方から「利用者のトラウマもだが、ピアスタッフ自身もトラウマを抱えている場合もある」という発言をいただきました。そこは私の盲点だったなあと気づきました。ピアスタッフが自身のトラウマを扱いつつ、利用者のトラウマにどう配慮するかというのはこれからのピアサポートワークの課題かなと思いました。

 

2日目の午後は今回の大会テーマ「何が楽しいのか?本当に楽しいのか?〜これからのピアスタッフとは」に沿ったシンポジウムでした。福岡で活躍するシンポジストの皆さんのお話は、本当に素晴らしかったです。福岡のピアスタッフの層の厚さに驚きました。

 

シンポジウムでは、ピアスタッフとして何が楽しいのかという話をたくさんもらいました。お話を聞かせてもらう中で、仕事として楽しいことももちろん大事だけど、その仕事に誇りを持てることも大事かなという感想を私は持ちました。また楽しさも誇りも持てなかったとしても、日々の仕事をコツコツ、それこそ何十年も積み上げることも尊いことかなと考えました。ピアスタッフがそんな職業になっていくことに期待したいと思いました。

 

集いを通じて、たくさんの方々と交流できたのが何よりも嬉しかったです。企画してくださった、福岡の実行委員の皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。

 

帰りは福岡空港で、分科会をご一緒した方とお茶をしました。時を過ごして危うく飛行機に乗り遅れるところでした。飛行機が遅延したおかげで助かりました。危なかった!

 

ではまた!

 

つぶやきびと:にしこ



会場となった西南学院大学の一画です



2022年12月6日火曜日

10日目:わかってもらえたってどんな感じ?

誰のことも本当にわかることはできないし、誰にもわかってもらえなくていい、本当にわかってもらえることなんてない、と基本的には思っているのですが、たまに、なんだかわかってもらった感じを得てしまうことがあります。

そんなときの、心がほどけてしまった感覚。みなさんは経験ありますか?

わかってもらうことを期待していないときに、予想外にわかってもらってねぎらわれちゃったりすると、不覚にも涙が出てきちゃったり。

それと、私の場合、どんな苦しさの中にも、我ながら滑稽な部分があるのですが、わかってくれた感じの人とは、なんだかその経験のこっけいな部分を一緒にゲラゲラ笑えたり。

この、心が緩んじゃう感じ、ほどけちゃう感じは心地よいのだけれど、こんな感覚を相手に起こさせたいと思っても狙ってできるものではなくて。

でも、わかってもらえた感覚のときに起こりやすいとしたら、相手をわかろうとするってことが大事なのかな、と考えたり、わかってもらえた感覚とは、つまりは受け取られたという感覚なのではないか?と思い直したり。いずれにしても、相手の気持ちや言葉に関心を寄せるってことなのかな、と思ったりしています。

つぶやきびと:ゆっきぃ



2022年12月5日月曜日

9日目: 一本釣り 誰も使わないピアスタッフ用語集その弍

グッと冷え込むようになりました。我が家でも石油ストーブに載せた薬缶がシュンシュン鳴っております。こんな寒い日にはたい焼きをほおばると嬉しくなります。慌てて食べると熱々のあんこで火傷してしまうやつですね。

たい焼き好きな人の間では「天然もののたい焼き」、「養殖もののたい焼き」という言葉があります。一つの型で何匹も焼かれるたい焼きが「養殖物」。量産しやすい。一匹ずつの型を手で焼くものが「天然もの」。手間がかかり熟練の技が必要だとか。

個人的には、天然ものは皮がパリッと香ばしく、見かけるとついつい買ってしまいます。天然ものは昔から「一丁焼き」と呼ばれていたそうですが、「養殖もの」、「天然もの」という呼び方はユーモラスでもあり、人に蘊蓄を語りたくなります(ほら今も)。

「一本釣り」の言葉は、ピアスタッフ業界では、事業所の雇用主が利用者を職員として採用することを指す俗語です。一本釣りは、マグロとかカツオを獲るときの方法だと思いますが、人を採用する、リクルートする場面でよく使われるようで、どちらかといえば「引き抜く」という意味合いのようです。

利用者の集団の中から、この人は能力が高いとか使えそうだ(ピアサポートとの観点で良い人かどうかはさておき)と判断された1人を利用者から登用することが現実的に起きていることだと思われます。利用者を全員ピアスタッフとして採用することはあり得ないでしょうから、一本釣りなのでしょう。

原則として、自事業所の利用者を採用しないことが推奨されています。現実としてよくある話ですし、うまく行っている例もありますので、一律にダメだというわけではありません。その辺りは「障害者ピアサポート研修 専門研修テキスト」や「ピアサポートの活用を促進するための事業者向けガイドライン」にて触れられているので興味がある方は紐解かれると良いでしょう。

一本釣りではなく、有能な?ピアスタッフがヘッドハンティングされるような業界になるのはいつのことでしょうね。





2022年12月4日日曜日

8日目:チャレンジとそれを支える人の姿勢

 こんばんは。ながおかもんです。

仙台では先日初雪が降りました⛄️。寒さがキンとなり冬が本格的に始まった感じです。(それなのに冬用コートをまだ出していない…マフラーはかろうじて…)

さて、最近気に入って見ているYouTubeチャンネルがあります。受験生が進学(主に大学)の資金を得るために受験内容や志望理由、将来のプランなどをプレゼンテーションして、事業家(主に塾経営者)が出資の可否を決めるという内容です。10代〜20代の若者がそれぞれの背景を持ちその中で進学をしたい理由について語る姿はとても心を奪われますし、今の若者の置かれている状況やそれに対する考え方なども知ることができて、視点がひらかれる思いです。

その中で、メンタル不調を抱える受験生が志願者で登場している回があります。彼らはメンタル不調や発達障害により大学進学や大学生活が頓挫した経験を経て、もう一度チャレンジしたいと志願しています。困難な経験を乗り越えて自身の病気や障害をオープンに語り、さらにその先の希望を語り、再起をかける様子はまさにリカバリーを歩む姿であり、その姿に心を打たれます。

さらに、私が心を奪われたのは、彼らに声をかける事業家の方達でした。印象的だったこととして、一つは「塾にもメンタル不調の生徒がくるのでこういう方に講師として働いてほしい」とメンタル不調の経験に対する好意的な声が多かったこと。もう一つ、とてもとてもハッとさせられたのが、塾経営者で医師でもある細井龍先生の「病気もあって思い切りやり切ることができなかったんですよね。ぜひ思い切りやりきってください。」との言葉でした。体調や再発を気遣う言葉もありましたが、病によりたくさんのことを断たれてきた志願者の真の想いを理解するこの発言は、何よりも本人を支持する言葉であり、心から心から感動しました。そしてきっとご本人も真の想いを理解してもらった経験がこれからの歩みの支えとなるのではないかと思います。

私はこの件で細井先生から目が離せなくなっているのですが👀、チャレンジを支える側の在り方についてすごく考えさせられています。よき支え手になりたいと思いつつも、容易なことではないなと日々感じています。それでも私自身も諦めずに、チャレンジの良き支え手になるよう精進していきます。


アドベント2週目です🎄

2022年12月3日土曜日

7日目:一人で勝手にアナザースカイ

 

昨日朝歩いていて、曇り空を眺めていたら、遠くでボオーッと汽笛のような音が響きました。近くに海があるわけでもないのに、でもその音が聞こえたことに特に不思議な気持ちを抱くわけでもなく…という体験は皆様にはありませんか(笑)?

 

季節ごとに思い出が積み重なり、ここまで来た年月が突然よみがえるような体験をすることがあります。夏の暑い日に小学校で過ごした一コマが思い出されたり、秋の空に漂う乾草のような香りをかいで、田舎で過ごしていた日々を思い出したり…

 

昨日、そんなことを思っていたら、天啓のように「そうだ!自分の大好きな土地について書こう!」と思い立ったので、私のパートでは「一人で勝手にアナザースカイ」を書きたいなあと思います。

私のアナザースカイは、懐かしくて、いつも思い出して、また行きたい、住みたいと思うような気持ちがぎゅっと詰まった場所、コロナ禍になり、中々移動が難しくなる中でも、恋しいなあと思うような場所です。

 

皆さま、どんどん冬らしくなってきましたが、今どちらで過ごされていますでしょうか?

しっぷろブログは全国から見てくださっているので、私のアナザースカイが皆様のお近くだったらなあと思いつつ…

 

それではこれから12月24日まで、よろしくお願いします!



埼玉県から見えた富士山です

2022年12月2日金曜日

6日目:○○として定義づけられること

 こんばんは。

あっという間に12月が来ましたね。寒いのは苦手ですが、手首と足首を温めてなんとか気持ちを和らげています。

さて、今日わたしは、以前しっぷろで行っていた学習会についてもう一度振り返っていました。ImROCの「ピアサポートワーカー:理論と実践」の資料を用いてコアとなる原則について、意見交換をしていたことを思い出し、もうちょっとぐるぐるしたいと思ったためです。原則①「相互性」について取り扱った学習会の記録は、2021年11月3日のblogにもあがっています。学習会で使用した部分は、再度以下に引用させていただきます。

ImROCの「ピアサポートワーカー:理論と実践」

(5. Peer Support Workers: Theory and Practice)

https://imroc.org/resource/5-peer-support-workers-theory-and-practice/ 2022/12/2アクセス


「コアとなる原則」①Mutuality(相互性)

サポートを与えたり得たりするピア達の経験は、決して同じではありません。しかし、精神保健施設で働くピアワーカーは、共に働く人々(※利用者さん・患者さんのことを指す)の経験の一部を共有しています。彼らは、共通のメンタルヘルスの課題、私たちの社会で「精神的な患者」として定義されることの意味、そして混乱、孤独、恐怖、そして結果として生じる可能性のある絶望について理解しています。


このなかで、今日のわたしは、「社会の中で『精神的な患者』として定義づけられることの意味」という部分が気になりました。

先日、地域のケア会議に参加をさせていただいた折、わたしは診療所の看護師という立場で参加をしました。その際、参加者の方との意見交換の中で、「病院には行きたくない」「行くと『患者』として扱われる」といったお言葉を聞いて、あぁ、そのように受け取られる一面も大いにあるだろうと自覚して反省した体験と重なったからかもしれません。

診療所の中にいると、わたしたちが出会うのは一面的に言えば「患者さん」ということになります。でもお話を伺えば、昔から踊りをやられている師範代の方もおられれば、日々学業とアルバイトをしながら生活されている方もいるし、毎日玄米や野菜にこだわりをもってご飯をつくられている女性も、学生から人気だった先生もいらっしゃる。それなのに、単なる「患者さん」というひとことに閉じ込めてしまっては、世界が狭いし色彩も広がらない。なによりも失礼なことです。

振り返ってみると、自分も、入院した時は本当に「患者さん」になっていました。白衣の人になんだ偉そうにと反発する気持ちと、でもそれは大声で言えない感じもあって、諦めみたいな気持ちが湧いてきます。

とはいえ、「わたしは○○だから」と勝手に自分についても定義づけしてそこで逃げちゃうこともあることにも気づきます。

なんで定義をするのだろうと考えると、楽なのだと思いました。「○○だから」としてしまうことで思考をそこでストップできるし、分類できれば話が早い。

でも、ひとはそんな簡単なものではないんですよね。それはひとの可能性や存在に対して失礼なことだと、改めて思います。自分自身にも、失礼なのだと思いました。


まずは明日の仕事も「患者さん」に会いに行かないで、その「ひと」に会いにいく。わたしも、「看護師として」そこに行くのではなくて、「わたし」としてそこに在りたい。

・・・ちょっと綺麗事すぎるかなぁ・・・。そんな思いもあるけれど、でも、ほんとに、そこは忘れたくないなと思います。

「相互性」という大きなところからは少しずれてしまうのですが、そんなことをぐるぐると考えた夜でした。

(つぶやき人:みどりん)


2022年12月1日木曜日

5日目:いるけどいない

 今日から12月ですね!

ここ2,3年、私の個人的な気になり事といいますか、関心事といいますか。

いわゆる精神的な困難や、それに伴う生きづらさを経験している(または、していた)人の中には、いわゆる精神障害当事者以外にも、今まさに働いておられる看護師、精神保健福祉士、心理士、医師…などのいわゆる医療や、または福祉の場での支援の担い手の方も沢山いらっしゃるよなぁ…、その方たちは日々の働きの中でどんなこと感じているのかなぁ…といったことが頭を巡ります。特に、精神保健領域で働いておられる上記の方たちのことがひそやかに気になっています。


なんというか、ピアスタッフやピアサポーターは、その立場性が精神的な困難を持ちながら生きているよ、ということを表明しているわけで、そこを自分が引き受けさえすれば自分自身の働き方の折り合いみたいなものは、ある程度つけ易い部分があるのではないかと思うのですね。

けれども、実は自分も精神科に通院しているよとか、過去に入院の経験もあったんだよ、という支援職の方ももちろんいらっしゃるわけで。そして、それを表明せずに精神保健領域で働くことは、きっと思うことが沢山あるだろうなぁと想像します。なお、そういう方が支援の担い手としていてくださることは宝だと思っています。

けれども職業性質上、または職業倫理上、ピアスタッフやピアサポーターのような自己開示の仕方とはまた違いますよね。看護師、精神福祉士、心理士、医師…などの場合、確かに困難の体験を有しているけれども、いるけどいない、みたいな感じになっていることも沢山あるだろうなぁって。なので、きっとご本人だけが手にしている苦労とか、それこそピアスタッフやピアサポーターの視点にはない苦労などがきっとあるだろうなあと思うのです。


なにが言いたいか、自分でもまだうまく言葉にできないのですが…。昔は、それこそ精神科につながった頃はそんなこと考えたこと全く無かったなぁって。よく考えてみれば、生きている人みな、それぞれに日々色々な事があって、嬉しいことも、つらいことも無いわけないのに、それでも昔はそこに思いが至っていなかったなぁと。


こころの元気に関わるみんなが、職種とか関係なしに、いろいろな視点や経験をわかちあったり、お互いの力にしていけたら豊かだよなぁとか。そして辛い時、胸がキューっとなった時とかも職種とかを越えて、互いにこころ癒える交わりが持てたら、一人で無理を抱えなくてもよくなったりしないかなぁとか。そんなことをグルグル考える日々です。





(つぶやき人 りえちん)



2022年11月30日水曜日

4日目:年末年始の過ごしかた


こんにちは!にしこです。 

早いもので明日から十二月、師走ですね、

 

あなたは誰と新年を迎えますか。大切な人や家族と過ごす人もいれば、なかにはふるさとを離れて、ひとりで家族のことを想いながら、お正月を迎える方もいるかもしれません。あなたが想うように、あなたの大切な人もきっとあなたのことを想ってくれていることでしょう。来年も皆さんに良い年が訪れますように...

 


… とこのようなフレーズを聞いて、「何をきれいごとを」と感じる人、いらっしゃいませんか。けっこう多いんじゃないのかな。私もそうだったから。私の場合はテレビからこのようなフレーズが流れると落ち込んだかな。

 

昔は、年末にこのようなフレーズを耳にすること、多かったですよね。特に紅白とかはその最たるもので。年末年始は、帰省して家族と過ごすのが当たり前とされていましたからね。いまはネット時代だし、テレビもずいぶん配慮が進んで、こうした型通りのフレーズを流すことは少なくなったけど。

 

私も社会から孤立した生活を送った時期がありました。両親は亡くなり、兄弟もおらず、帰るふるさとはない。親戚は遠方で疎遠、暮らしている東京に友人もおらず、失職しているので仕事仲間もいない。そんな状況での年末年始は辛かった。年末年始は特に自分が独りなんだという現実を突きつけられる気がして。

 

元日は、通っていた生活支援センターが、一日だけ開所して、おせち料理を振る舞ってくれていました。それは確かにとてもありがたかったのだけれど、こころの空白を満たすというわけにはいかなかったです。かえって、むなしい気持ちが募ったりして。他に私と同じように独り身の人も来ていたので、その人たちとピアサポートみたいなものが生まれてもいいようなものだったけど、そうはならなかった。なぜかな?

 

生活支援センターの元日の催しは、善意にあふれたものだっただろうけど、やはり福祉の枠組みで行われていたのに限界があったのかなと思います。もちろんとてもありがたいと感謝しつつも、どこか施しを受けている感覚は拭えなかった。アパートの冷たい部屋に帰ってから、寂しさがいっそう募ったのを思い出します。そのセンターにピアスタッフが一人でもいたら違っていたのかな。

 

この年末年始、ひとりで過ごす方、なるたけ心おだやかに過ごされますようお祈りします。

 

では、また!

 

つぶやきびと:にしこ





2022年11月29日火曜日

3日目:聴くこと

「聴くこと」ってとても大事だなぁと思っていて、私の目標は、聴くことのできる人になることです。 

でも、これが、ほんと、難しい。心の底から聴く、心から耳を傾けるって、なかなかできないものだなぁと感じています。

誰かの話を心から聴く、相手の声に心から耳を傾けるといったことができるのはどんなときかな、ということを考えると私の場合は、「相手が私の知りたいことについて語ってくれているとき」、「その人にとってすごく大事な話をしてくれていると感じたとき」、「すごく惹きつけられたり引き込まれたりしてるとき」とかかなーと思います。

逆に言うと、相手の話をちゃんと聞けていないときって、この話はこういう話だなと勝手にわかったつもりになっていたり、たいしたことじゃないと勝手に見積もってしまっていたり、そもそも関心を向けていないときとか疲れちゃってるときなんですよねぇ。

そのようなわけで、「聴く」ということをするときの、いろんな人の心構えを聴いたり自分なりに考えたりして、まずは自分の体調を整えた上で(これもなかなか、、、ですが)、相手や相手の話に関心を向けて、まっさらに、先入観やこれまでの記憶を脇に置いて、そこに自分の知りたいことがある!と思いながら聴くと、ちゃんと聴けるのではないか、と自分なりに思っています。

でもそのことをすぐ忘れちゃって、たまに思い出して実践して、ああ、聴けたかも!って思って、またすぐに忘れて、ちゃんと聴けなくて自己嫌悪、というのを繰り返しながら、修行を続けています。

ただ独り言を書いている気もしつつ、でもピアサポートにもすごく関係すると思っていて、私の大好きな意図的なピアサポート(IPS)でも、聴くことをすごく大事にしているので、しっぷろアドベントブログに書いてみました。そしてこの、なんでもありな感じもきっと良いに違いないと思っています。ありがとうございます!

つぶやきびと ゆっきぃ



2022年11月28日月曜日

2日目:dogfooding 誰も使わないピアスタッフ用語集その壱

ドッグフードを食べる(Eating Your Own Dogfood )

あるいは、ドッグフーディング (dogfooding)

IT業界で働いているときに知った言葉でした。ドッグフードの製造会社が「自社で製造しているドッグフードを食べる」ことで品質を確かめるように、エンジニアが自社の製品を使いながら開発したり、自社の製品を日常的に使うことを言います。製品を提供する会社が、自分たちも使い手となって、製品の質を向上させていくことです。

開発途中の製品は不具合がたくさんあるので、日常的な使用に耐えないことがよくあります。すぐに落ちてしまう、とか、データが消えてしまう!とか。難がある開発途中のものをあえて使い続けることで、不具合を早期に発見、修正できる可能性が高まるわけですね。

MicrosoftもAppleといった著名な企業においてもドッグフーディングは行われていたそうです。余談ですが、わたしがドッグフーディングを知ったのはMicrosoft Windowsの開発物語を読んだからでした。

さて、ピアスタッフは、自分たちが提供しているサービスを利用する立場でもあります。現在進行形でサービスを使っていなくても、近い将来に、あるいは過去に使っていたかもしれません。ピアスタッフはドッグフードを食べているのです。

自分が提供しているサービスや支援を自分が利用できるのか?と尋ねられればどうでしょう。対等性とか口にするのだったら、即答したいところですが、答えに窮するだろうことも想像できます。自分の拙いコミュニケーション能力での面談を受けたいだろうか?とか。視野を広げて、紹介している作業所や病院は自分が安心して利用できる場所だろうか?とか。

一般的な医療はさておき、精神科医療や福祉では、サービスの担い手が使い手になることをあまり想定してないように思います。自分が消費しないものを提供している意味あいでは、ドッグフード製造会社と似ているかもしれません(だから悪いとかそういうことではなく)。

ピアスタッフは、この精神科医療や福祉の世界で、サービスや支援のよくないところに胸を痛めつつ、より良いものへと改善させられる存在です。ドッグフーディングできるからこそ、より良いものになる可能性が生まれます。そうありたいと思います。


2022年11月27日日曜日

アドベントブログが始まりました🎄

 こんにちは!ながおかもんです。

今日11月27日はアドベント一週目です。今年もしっぷろメンバーでアドベントブログを書こう!ということで、1回目は私、ながおかもんがお送りいたします(。◝‿◜。)

このブログで何を呟こう…みなさんに何を伝えようと考え始めると今の私にとってはすごく難しいことで、人に伝えることができるってなんて素晴らしい能力だろう、と、他の人のいろいろな発信を眺めています。

自分には伝えることが難しいと思った先にどんなことが起こるのか。それは口に出すのをやめてしまうことなのですが、それもそれでとても後ろ向きな選択だと思うので、頑張って口に出してみたりしています。

そういえばオンラインでのコミュニケーションがあたりまえのことになってきましたが、オンラインでのコミュニケーションって割と「話すこと」が媒体となるような気がします。リアルな場面だとその場に存在すること自体が媒体になるので、話さなくても関係ができていく感覚があります。四角の画面を超えたオンラインコミュニケーションツールが何かできると良いのかなぁ。

そんなことを考えていたのは、そうそう、ピアサポートに関連したことをこのブログではお伝えしたくて、私の今身近にあるピアサポートは、「あ、同じだね」となんとなくわかりあうことではないかなと思っています。分かり合ってお互いの存在を尊重し合うような感覚です。そんな中で、「分かり合えないよね」を分かち合う感覚もあるんじゃないかなぁと考えました。わかってもらえないからわかってもらおうとするのではなく、お互いに、違う存在(考え)だねということを分かち合うと、意外とそれが良い関係につながるんじゃないかなとか、そんなことを考えていました。それが案外と多様性を認め合う環境につながっていく気がします。「話すこと」「伝えること」だけではそれは難しいなぁと思う今日のこの頃なのでした。

ということで、アドベントブログ一発目はながおかもんがお送りしました(てへ)。

今日から12月24日までしっぷろメンバーが日替わりでブログを更新します!しっぷろブログと一緒にクリスマスを迎えましょう⭐️