2022年12月2日金曜日

6日目:○○として定義づけられること

 こんばんは。

あっという間に12月が来ましたね。寒いのは苦手ですが、手首と足首を温めてなんとか気持ちを和らげています。

さて、今日わたしは、以前しっぷろで行っていた学習会についてもう一度振り返っていました。ImROCの「ピアサポートワーカー:理論と実践」の資料を用いてコアとなる原則について、意見交換をしていたことを思い出し、もうちょっとぐるぐるしたいと思ったためです。原則①「相互性」について取り扱った学習会の記録は、2021年11月3日のblogにもあがっています。学習会で使用した部分は、再度以下に引用させていただきます。

ImROCの「ピアサポートワーカー:理論と実践」

(5. Peer Support Workers: Theory and Practice)

https://imroc.org/resource/5-peer-support-workers-theory-and-practice/ 2022/12/2アクセス


コアとなる原則」①Mutuality(相互性)

サポートを与えたり得たりするピア達の経験は、決して同じではありません。しかし、精神保健施設で働くピアワーカーは、共に働く人々(※利用者さん・患者さんのことを指す)の経験の一部を共有しています。彼らは、共通のメンタルヘルスの課題、私たちの社会で「精神的な患者」として定義されることの意味、そして混乱、孤独、恐怖、そして結果として生じる可能性のある絶望について理解しています。


このなかで、今日のわたしは、「社会の中で『精神的な患者』として定義づけられることの意味」という部分が気になりました。

先日、地域のケア会議に参加をさせていただいた折、わたしは診療所の看護師という立場で参加をしました。その際、参加者の方との意見交換の中で、「病院には行きたくない」「行くと『患者』として扱われる」といったお言葉を聞いて、あぁ、そのように受け取られる一面も大いにあるだろうと自覚して反省した体験と重なったからかもしれません。

診療所の中にいると、わたしたちが出会うのは一面的に言えば「患者さん」ということになります。でもお話を伺えば、昔から踊りをやられている師範代の方もおられれば、日々学業とアルバイトをしながら生活されている方もいるし、毎日玄米や野菜にこだわりをもってご飯をつくられている女性も、学生から人気だった先生もいらっしゃる。それなのに、単なる「患者さん」というひとことに閉じ込めてしまっては、世界が狭いし色彩も広がらない。なによりも失礼なことです。

振り返ってみると、自分も、入院した時は本当に「患者さん」になっていました。白衣の人になんだ偉そうにと反発する気持ちと、でもそれは大声で言えない感じもあって、諦めみたいな気持ちが湧いてきます。

とはいえ、「わたしは○○だから」と勝手に自分についても定義づけしてそこで逃げちゃうこともあることにも気づきます。

なんで定義をするのだろうと考えると、楽なのだと思いました。「○○だから」としてしまうことで思考をそこでストップできるし、分類できれば話が早い。

でも、ひとはそんな簡単なものではないんですよね。それはひとの可能性や存在に対して失礼なことだと、改めて思います。自分自身にも、失礼なのだと思いました。


まずは明日の仕事も「患者さん」に会いに行かないで、その「ひと」に会いにいく。わたしも、「看護師として」そこに行くのではなくて、「わたし」としてそこに在りたい。

・・・ちょっと綺麗事すぎるかなぁ・・・。そんな思いもあるけれど、でも、ほんとに、そこは忘れたくないなと思います。

「相互性」という大きなところからは少しずれてしまうのですが、そんなことをぐるぐると考えた夜でした。

(つぶやき人:みどりん)