2025年12月11日木曜日

【12日目】行くか、行かぬか、同窓会

 

こんにちは!にしこです。


年末は日にちが経つのが早いですね。12月ももう中旬に入ります。そろそろ今年を振り返ってみようかなんて思う時期でしょうか。


私のこの一年は何十年ぶりかという同窓会がいくつかあり、懐かしい再会が多い年でした。



でも、


同窓会、


これ、ビミョーな会ですよね。


同窓会のお知らせを受け取った時、出席にマルするか、欠席にマルするか、迷う方は多いのではないかなと思います。出席か欠席か簡単にマルできたらどんなに良いかと思うのですが、私はかなり考え込んでしまうほうです。特に歳を重ねてからの同窓会は、若い頃のそれより、ビミョー度は数百倍パワーアップしている気がします。そのビミョーさは以下のような理由かと思います。



● 同窓会を迷う理由の一つ目は、思い出の中からやってくる過去の自分に再会することになること


● 同窓会を迷う理由の二つ目は、これからどうなるのか将来の自分が思い浮かぶこと


● そして同窓会を迷う最大の理由三つ目は、友人と比較していまの自分と直面することになること




同窓会、


行くか、行かないか、いつも迷います。


「近くの親戚より遠くの友人」とも言うしなあ。何十年も会っていない友人には会っておきたい気がするし、それにこの機会を逃したらもう二度と会うことのない人もいるかもしれないし。などと思いつつも、でもなあ… と気持ちは行ったり来たり。


それでも私は、結局は出席にマルしてしまい、同窓会のあと家に帰ってから、いろんな意味で重い気持ちを抱えてしまうタイプなのです。



実はこれから今年最後に、とある同窓会が一つ控えているのですよね。これも迷いに迷ったあげく、出席にマルしたのですが。楽しく過ごせるといいな。仲の良かった友人が集まる会だし。それも何せ十年ぶりだから。きっと楽しいだろうな、と言い聞かせている自分がいます。


まあきっと楽しいでしょう。楽しい、楽しい… 楽しいかな?


楽しいといいなあ!

ではまた。



つぶやきびと:にしこ


育てているコーヒーの木





2025年12月10日水曜日

【11日目】記憶の「納まり方」

 水曜日担当のえみです。

今年は様々な場所で「対話」について考える機会があり、また「対話」が生まれる場とは?ということについても考える機会がありました。

意図的に、あるいは意図せずにそういう場に身を置くことがあり、自分自身でも頭では理解できないながらも、まさに体験してみて、自分の中に対話ってこういうことなのかな?というものを形作っていくような感覚がありました。

 

あるとき、自分のことを語る機会がありました。

私の中の一番古い記憶で、三輪車に乗って、後ろの足をかけるところに頼まれていた卵パックを載せて運ぼうとしてた時、坂道で落ちてしまい、卵が割れてしまいました。どうしよう、怒られる、いろんな感情があったように思います。そんな話をしました。

 

なぜ、その場でその話をしようとしたのか、思い出せないのですが、話しをして、聴いてもらいながら、その時の感情が沸き上がって、泣きたくなるような切ない気持ちになりました。

私の中で話すはずもない、話す機会にも恵まれない小さな記憶だったのですが、なぜその場で話そうと思ったのか、聴いてもらいたいと思ったのか、いまだに謎です。

ただ、それを話してみたら、なんだかその記憶の自分の中への「納まり方」が変わったというか…悲しくなくなった、とかポジティブな記憶になった、といかそういうことでないのですが、まさに「納まり方」が変わった、としかいえない体験でした。

その納まり方の変化は、今までの形と違う寂しさを運んできた(自分の中で秘めていたことで保っていた記憶に対する哀愁が減った?)ともいえるのですが、まさに何かが変わったと感じた一件でした。

 

納まり方が変わる体験、その後も何度かあり、これまで秘蔵していた記憶が、とあるタイミング(訪れないときもありますが…)で表に出されることに対して、ワクワクする気持ちと、もったいないような、そのまま秘めておきたいような気持の両方を味わうことになりした。

 

皆様は、そんな体験はありませんか?

(つぶやきびと:えみ)


                

               頂き物のアドベントカレンダー

                何が出るのかワクワクです


2025年12月9日火曜日

【10日目】リカバリーについて皆で話す時間

 しっぷろアドベントBlog、10日目となりました。
朝晩、冷える感じはしつつも、それでもなんだか12月にしては暖かい気もします。みなさんの地域はいかがでしょうか。

さて、先日とある所で、精神障害当事者同士で「リカバリーってなんだろう」ということについてみんなで(12名くらいだったかな?)話す機会に恵まれました。

その場では「(教科書的には、または研究などでは)リカバリーは○○○○と言われたりしています」…といった話が登場しない場で、当事者だけでああでもない・こうでもないと意見交換したり、時に静かな時間が流れたりして、とても心がホクホクする温かい時間でした。

みなそれぞれにリカバリーさせたい事や、望む方向があると思うのですが、他の誰かの考えを聞くことを通じて、私自身もいま自分が思う方向性ってどこだろう…?と、自分の心の声に耳を澄ませてみる勇気をもらえた気がしました。

私自身が、はじめて「リカバリー」という言葉を精神保健分野の文脈において聞いたのは、2009年だったと記憶しており、当時通っていた精神科デイケアの中での出来事でした。そして2009年は、認定NPO法人コンボさんが、リカバリー全国フォーラムの第1回を実施した年でもあり、日本においてまさにリカバリーの風が吹いた(当時はそよ風では無くて、突風が如く)頃でもあり、こうして振り返ると時代の波の恩恵を多分に受けたと感じています。

2009年から今日に至るまで、気がつけばリカバリーの言葉が沢山行き交う世界に身を置いてきたように思います。それはとても心躍る経験でワクワクしたり・ドキドキしたり…。時に息切れすることや、リカバリーってもういいよ…なんだか疲れたな…という時もありました。それでも、いまもまだ、皆でリカバリーって何だろう?という話題がでる場に身を置かせて頂いています。

リカバリーという言葉や概念、考え方に出会った時の自分の願いや想いと、いま思うことは少しずつ変化をしてきていると思うのですが、みんなで色々と言葉を交わしたあとに、自分の手元に書いたメモは「(いまの私にとって)リカバリーは自分をゆるすこと」と書いたのでした。書いてみて、ああこれは2009年当時の自分には書けなかった言葉だっただろうな…という気持ちが湧いてきました。

みなさんにとってのリカバリーはどんなものと言えそうですか?いつか聞かせてくださいね^^

先日、出かけた九州でのクリスマスツリー。キラキラ~☆


(つぶやき人:りえちん)


2025年12月7日日曜日

【8日目】ネガティブだっていいじゃない


 こんばんは!1週間ぶりのこんばんは。ながおかもんです(。◝‿◜。)

アドベント2週目🕯ブログも2周目に入りました。


今回のタイトルは「ネガティブだっていいじゃない」。

自分の感じたことを安心して話せたり、緊張しないで気をはらないで、自分のあるがままでいられる世界ってどんな状況だろうと思うのです。

生きていく中でどうしても良いことだけじゃなくて、乗り越えなくてはいけないこと、やりたくないこと、想定外の悲しいことなんかも起こったりするし、それは避けられないことだと思います。そういう時は私はどうしても前向きに明るくいれないタイプです。よかったことを拡大して大きく捉えたり、「頑張ろう!」って思えない。かえって無理に明るく前向きにすることが、心のひっかかりを膿ませてしまうような感じを覚えます。

なんとかなると思うし、良いこともあるし、きっと乗り越えられる。

そこは信じているけど、心がひっかかったり、悲しかった、辛かったと感じたことを大事にしてもいいんじゃないかと思います。だってそう思ったし、そこで悲しかった私が存在したのだもの。しっかりネガティブするから、切り替えられる。

ポジティブは大事なことだけど、ネガティブを感じないこととも違う。その時感じた気持ちはその人そのもの。ネガティブな感情も自分のありのままとして、語っていいと思うとすごくホッとするし、そういう場があるから前に進めるなと思います。

傷ついたことや悲しかったこと、その時に感じたことを出して良いと思える感じって大事。

ネガティブだっていいじゃない。人間だもの。


…と有名な詩人風に今日のブログを締めたいと思います。


つぶやきびと:ながおかもん



羊毛フェルトのクリスマス人形。可愛い。

2025年12月5日金曜日

【6日目】人と過ごすこと

先日、自分にとってはとても動揺するできことがありました。

いろいろな事情があり、具体的なことは話せない。でも、いろいろな思いや感情が出てきて、そのことを何度も考えてしまう。

そんな状態にあったときに、そのできごとそのものについてではなくて、そういう気持ちに陥る状態になっていることを、ただただ聞いてもらえる機会がありました。

5分間というとても短い時間だったのですが、じっと聞いてもらえました。

誰かが横にいてくれた、私の話を聞こうとしてくれた、思いを受け止めようとしてくれた。そのことで、驚くほどに、気持ちが楽になりました。

苦しさも含め、私の思いを大切に扱ってもらえたというあたたかさを感じました。

人とのやりとりで誰かを傷つけてしまうときや、自分が傷ついてしまったりするときもあるけれど、でも、人がいることでこんなにも救われたり楽になることがある。

ピアサポートも、看護も、人がそこにいて、相手の声に耳を傾ける、そこにその力強さがあるのかなぁ、などなど考えています。

ほかにも、2019年12月4日に亡くなられた中村哲さんのことなど、さまざまに考えたことなどがあるのですが、書きたいことをまとめられないので、今日はここまでで。

つぶやきびと:ゆっきぃ




2025年12月4日木曜日

【5日目】「人権」ってなんだろう?


こんにちは!にしこです。

今日は私にしてはすごく真面目な話をしたいと思います。それは、


「人権」


について、です。この言葉は病気や障害の当事者にとって、常に重要な意味を持つ言葉です。当事者運動は損なわれた人権を求める運動であったし、「リカバリー」という概念も人権意識の中で広がってきました。




でも、ひとたび

「人権ってなんだろう?」

という問いの前に立つとき、私はいつも頭の中が綿菓子のようになってしまいます。



考えかたとしては、

「ひとが人として生まれる時に生来もつ普遍的な権利」

なのかなと思いますが、具体的な形を思い浮かべようとすると、その姿は曖昧模糊となってしまうのですよね。




「そんなの、世界人権宣言をたどれば書いてあるじゃないか」

という声も聞こえてきそうですが、それはいわば法制度的な枠組みの話。どこかの「特定の人たち」がその人たちの持つ「特定の価値観」をもとに定めたものです。想像するに西欧の人たちが、その思想史的流れの中で考えたものじゃないかと思うのです。



現在、そうした誰かが定める形の「人権」の限界が見え隠れしてきています。実際、現代世界の紛争の多くが「人権擁護」の名のもと起こっています。プーチンの戦争はウクライナ領内のロシア人の人権を守るためと称して始められたものだし、ネタニヤフの戦争も奪われた人質の人権を守るためとして始められています。そしてそれらの戦争により甚大な人権侵害が引き起こされています。こうしてみると私たちは、個人の都合や時代の流行に左右されない、もっと普遍的な人権概念を共有するべきなのかなと思いますが、現代の情勢ではそうもいかないようです。



話が大きくなりすぎたので「人権」という言葉の曖昧さについて、もっと身近な例を考えてみます。木山幸輔先生はそのご著書でこんな例をあげています。「あなたが台所の棚に大事に保管していたウイスキーを、ルームシェアしている友人があなたの許可を得ることなく飲んでしまった場合」です。このケースであなたがもし人権侵害として友人を非難したとしても、周りの人は直感的に、これを「人権問題」としてはあなたを擁護しないでしょう。でも一方で、あなたは「人間が財産権を保有することは世界人権宣言第17条に書かれている」と主張することもできるわけです。もし仮にこの問題の解決策として、ウイスキーの値段によって人権問題かどうか判断するとしたら、人権の普遍性はたちまち揺らいでしまいます。




このように「人権」という概念を突き詰めるにつれ、私は霧の中に迷い込んでしまいます。

ただ言えることは、私たちは「人権」について学び、考え、意識し続けなければならないということなのかなと思います。



今日12月4日から人権週間が始まります。世界人権宣言が1948年12月10日に国連総会で採択されたことを記念するものだそうです。それにちなんで、私も「人権」について思いを馳せてみました。




※ 文中紹介した木山先生のご著書は以下です。

木山幸輔(2022) 「人権の哲学 基底的価値の探究と現代社会」東京大学出版会.


ではまた!



つぶやきびと:にしこ


なんとなくりんご



2025年12月3日水曜日

【4日目】冬の夜長に本はいかがでしょうか

 

しっぷろアドベントブログ、始まりました!

水曜日担当のえみです。

 

冬なのにポカポカしたり、急に寒くなったり…。

皆さま、体調はお変わりありませんか?

私は眠気が強かったり、喉が痛かったり。1年ぶりの冬を味わっています。

 

さて、久々のアドベントブログ、何を書こうかな、と思っていましたが、最近面白かった、読んでよかった、という本について書きたいと思います。

 

それは津村紀久子さんの『水車小屋のネネ』。

 

2人の姉妹がとある事情のために家を出ました。生活のために仕事する必要があり、姉が家から遠く離れた蕎麦屋で働くことになり、10歳の妹もついていきます。

蕎麦屋のそばは新鮮でおいしく、その秘密は水車の力を利用した挽きたてのそば粉。そして、その新鮮なそば粉を作るために大活躍しているのが、ヨウムの『ネネ』です。

ネネの世話をしていた蕎麦屋のおじいちゃんが亡くなったので、ネネのお世話もかねて姉がその蕎麦屋で働くようになりました。

蕎麦屋さんも絵描きのおばあちゃんも、友達のお父さんもみんな温かい人たちで、姉妹が様々な人に支えられ、大人になってからは様々な人を支えるようになっていきます。

そして、その真ん中にはいつもヨウムのネネがいて、町の人々を結び付けていきます。

ネネがいる40年間、その年代ごとに丁寧に書かれた物語です。

 

端正な文章はもとより、人が人を支えるのはこういうことなのかもしれない、と自然に思えるような本です。そして、ネネがいる水車小屋のような場所がいろんなところにあればよいな、とも思います。

図書館から借りましたが、ぜひ自分用に購入したいと思っています。

冬の寒いとき、心を温めるのにぴったりな『水車小屋のネネ』、ぜひ読んでみてください。

(つぶやきびと:えみ)



              自宅にあるクリスマスグッズシリーズ

                季節感がない我が家の中で

                最後までたどり着けるか…?




2025年12月2日火曜日

【3日目】ピアサポートに従事するスタッフの学びについてあれこれ

 アドベントBlog、火曜担当のりえちんです。
早速に火曜中に滑り込み…?滑り込めてないかも…な感じです。

11月、12月は各自治体単位で行なわれている障害者ピアサポート研修のお手伝いであちこちお邪魔する日々が続いています。障害者ピアサポート研修では精神障害の方に限定しない、多様な障害の方々や、ピアサポーターと共に働く事業所職員が共に参加する研修でとなっており、令和2年度から予算化された国の地域生活支援事業の「障害者ピアサポート研修事業」として実施されるようになりました。

そして令和3年度の障害福祉サービス等報酬改定において、ピアサポートの専門性がピアサポート体制加算、実施加算という形で評価されたことにより、各自治体で現在、研修が展開されています。(参考:令和5年度厚生労働省障害者総合福祉推進事業 「障害者ピアサポート研修事業における障害当事者の参画の 実態把握及び方策についての調査研究」  障害者ピアサポート研修事業 ガイドブック https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/001282757.pdf より)

このような研修に少しですがお手伝いしている身として思うのは、これらの学びはあくまで入口研修ということ。ですが、まずはその入り口が限られた都市部だけではなく、全国どこに住まう人でも学びに手を伸ばすことができる、というはじめの一歩の大切さを感じます。

そしてピアサポートに従事する障害当事者の方には、是非是非ここをスタートととして、学びつづけることを一緒に模索できたらと常々思っています。というのがこの研修で行っているのはあくまで入口研修で、学びの内容も限定的です。もともとピアサポートに従事して働く人向けの学びのもっと手前には、「働く」ということすら脇においた、ただただ”人と人との交わりあい・わかちあい・癒しあい”的なことを目的としてピアサポートの営みがあり、そういったまなびの場も実は地域や小さな活動などで沢山あるなと感じています。

こういった障害者ピアサポート研修に至る前の、それら小さな営みのなかにリカバリーの種が眠っているように思いますし、ピアサポートの価値を心の中心において働くためには、自分自身がピアサポートのちからを身をもって感じたり、信じられることが大事だとおもっています。私自身はそのようなシンプルな当事者仲間同士での日々のやりとりの積み重ねが土台にあるので、ついこんなことを言ってしまうわけですが…。

と、ここまでで文字数が長くなってきた気がしますので、今日は一旦ここまでで^^



(つぶやき人:りえちん)

2025年12月1日月曜日

【2日目】もう12月

 みなさま、ご無沙汰をしております。

気づけば12月。あっという間にここまで来てしまいましたが、わたしは今年、挑戦したことがあります。

「湯船に浸かる」こと、「寝る」こと、を意識してできるだけ実践すること。

なんだそんなことか、とお思いになる方も多いと思いますが、わたしはどちらも本当に好きではなくて、できることならお風呂はシャワーで済ませたい(本当はお風呂自体もキャンセルしたい)し、できることなら寝たくない(寝るのがもったいない)。ですが、どうやらどちらも大事した方がよいらしい。しかしなかなか自分が実践することは難しいものです。しかし、この1年かけてすこーしずつ慣れさせてきました。

動機は単純。夏フェスに負けない身体をつくることと、安定した情緒と体力で仕事を頑張りたいという思いからでした。特に夏フェスに対するモチベーションは高いので、真夏のお風呂もこれは鍛錬と思いながら過ごして参りました。

そしてむかえた冬。すこしばかり効果はあるようです。寒くて身動きが取れないという時間は減ってきたようにも思うのです。寝る時間が減りそうなときは他の日でバランスをとるようにして、出来るだけ1週間を調整するようになりました。


嬉しいのは、こころやからだのバランスを取る努力を自分ができていることと、そういうわたしの変化をあたたかく見守る仲間がいてくれることです。

しっぷろの定例会議では、毎回最初に「近況報告」を言い合います。その際、わたしは「前よりお風呂に入れるようになった」だの「寝るように意識している」など、ちいさなことを報告します。それをまろやかにうなづいてくれて頑張りを認めてくれる人たちがいるので、自分でも語りながら「そういえば、前回はこうだったな。」という気づきを得ながら続けることができました。

意識して、実践して、語って、聴いてもらうことの意味、これについてもまたどこかで語りたいと思います。

とりいそぎ、昨日はこのブログと格闘して早く「寝る」ことができなかったですが、今日の睡眠で帳尻を合わせたいなと思います。


もう冬です。みなさん、どうかご自愛くださいね。

夜の空にはオリオン座が見守っていてくれて、うれしいみどりんでした。

2025年11月30日日曜日

【1日目】アドベントブログ2025はじまりました🎄


 こんばんは!1年ぶりのこんばんは。ながおかもんです(。◝‿◜。)

今年もしっぷろメンバーによるアドベントブログ🎄が始まりました。クリスマスまでの期間、毎日投稿チャレンジ!今年は、本当のアドベントに合わせて本日からのスタートです🕯今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ!


さて今日は、日本の障害者に関する法律の整備について感じていることをお話ししようかなと思います。

2016(平成18)年、国連が「障害者権利条約」を制定してから、日本は障害者権利条約の批准を目指して、国内の障害者に関する法律を整備していく訳です。

障害者権利条約は「わたしたち抜きで私たちのことを決めないで〜Nothing About Us Without Us〜」をスローガンに、社会の一員としてあたりまえの機会を均等に得るようにさまざまな権利の保障を示していたもので、保護の対象ではなく「権利の主体」であることを示しています。

日本においても、障害者権利条約を批准するために、障害者基本法や雇用、福祉サービスや差別解消法(合理的配慮)など様々国内法を整備して、平成26年に無事批准することができたわけです。

この流れを私は毎年説明する機会があるのですけれど、その中で特に心が痛むのが、障害者虐待防止法が制定されたのもこの流れであったということなんです。障害者虐待防止法が成立したのは平成23年。令和になったけど、ついこないだじゃないか…と思います。

自分が障害者だったら、虐待を防止する公的なものが何もないなんてとても恐ろしいことだと思うのですね。平成23年はすでに私はPSWとして働いていたけれど、当時はその恐ろしさに気づいていなくって、本当に反省します。

法律は後追いだから…という考え方もあるかもしれません。でも障害者権利条約批准の流れで整備されたものって、あたりまえのことをあたりまえに戻していく作業で、これまでできていなくて本当に申し訳ないというような類のものだと思っています。法律を教えているときは、「権利として得た」のではなく、「本来持っているべきものを取り上げてしまっていてお返しした」という認識でいるように伝えていますが伝わっているかな…。伝わっているといいな。

本来は守られているや本人の手元にあるべきものがなくなっていて、それに気づいていないまま過ぎていることがたくさんあるのだと思います。

そんなことを最近思いました。1日目から固い話になってしまいました汗

クリスマスまでどうぞよろしくおつきあいくださいませ!


つぶやきびと:ながおかもん(。◝‿◜。)


今日はアドベント1週目🎄

2025年11月17日月曜日

祝!IPPO賞

 祝!IPPO賞 賞


しっぷろで共に活動しているりえちんが大いに関わっている「東京大学医学系研究科 医学のダイバーシティ教育研究センター」が、IPPO賞(日本精神障害者リハビリテーション学会 実践賞)を受賞いたしました!

りえちん、東京大学医学系研究科 医学のダイバーシティ教育研究センターの皆さま、おめでとうございます!

ぱちぱちぱちっ。


IPPO賞は、日本精神障害者リハビリテーション学会が、国内の精神科リハビリテーションの機関や地域の支援機関・団体を表彰する賞です。



受賞講演をするりえちん



授賞式後に喜び合う仲間たち。

なお、同時に一般社団法人Q-ACTさん受賞されています。Q-ACTさんもピアスタッフの採用を始められましたし、ピアスタッフが広がっていると感じました。

(かや)

2025年5月31日土曜日

426クロスワードパズルの答え!

 こんにちは。しっぷろです。

あっという間に5月も末。みなさん、新年度のおつかれは出ていませんか?さて、今日は先月の「しっぷろの日(4月26日)」に発行したしっぷろ通信〜おたのしみ版〜でご紹介したクロスワードのキーワードを発表します。
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キーワード:「リカバリー」
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でした!
みなさん、いかがでしたでしょうか・・?
  
今回、このクロスワードはしっぷろメンバーの有志で作成しました。精神保健福祉に関連したことばを組み合わせることを意識しましたが、なかなか頭の体操になって面白いものでした。みなさんにも楽しんでいただけていたら嬉しいです。また、今後も「しっぷろ通信」の発行をしたいと思っておりますので、ゆるりとお楽しみにしていてください。

ではでは、梅雨が近づいてはいますが、みなさまどうかご自愛くださいね。

雨の日は苦手ですが、そんな季節でもわたしの最近の密かな楽しみは、存在感を増してきたあじさいの葉っぱとつぼみを探すことです。みなさんは、何色のあじさいに心惹かれるでしょうか。

(しっぷろメンバー:みどりん)


2025年4月26日土曜日



 2025年の4月26日です。

世界知的所有権の日、リメンバーチェルノブイリ、よい風呂の日などとあるようですが、わたしたちしっぷろでは、し(4)っぷ(2)ろ(6)の日だと勝手に名付けてみました。


しっぷろは5年を迎えているそうです。5年、ってね、たかがされどの5年間です。

HP上に現れていないこともあるのですが、わたしたちは毎月ミーティングを行っていて、どんな企画を練ることができそうか、いまのみんなの状態はどうか、などを話し合っています。

少なくともわたしにとって、この5年続けてきたつながりというのはとても意味のある大きなものだなあと感じています。

インタビューやQ&A本の紹介などにご協力くださっている方、またアップデートがすごく頻繁ではなくても見にきてくださる方、コメントをくださるかたもいらして、みなさまに助けていただいています。いつも、ありがとうございます。


そして426の日にかけて、メンバーでちょっと練ったものがありますので、また近日中にみなさんへ生存報告をしたいと思います。どうか、お楽しみに。

春を感じる今日この頃、みなさんも良い1日でありますように。

2024年12月24日火曜日

13日目:じぶんを信じること

 本日は12/24。

しっぷろアドベント2024、今日が最終日です。ぜひともかっこいいことを書きたいのですが、ながおかもんのいうとおり、「できることはできるし、できないことはできない」。無理してはダメですね。


今まで、わたしは割と「書くこと」が好きだったのですが、なんだか今年は書くことを難しく感じるようになっています。なぜなら、今年は自分の作った文章を見てもらった時に「これでは伝わらない」「伝える気があるのか」などとご指摘をいただくことがあり、自分が良しと思っていたものってなんだったのかな、、、とわからなくなることが続いたのです。書くことが好きだっただけにショックもあって、ますます自分の見えている世界の基準への信頼が揺らいでしまいました。たしかに自分への過信があったかもしれず、そこは冷静に反省して向上していきたいところではあるのですが、いずれにせよ。ちょっと書くことが怖くなってしまいました。

自分を信用できないとき。それは昨年立て続けに忘れ物をした時にも感じました。仕事で失敗続きのときもそうです。自分を信用できないって、すごく足場が揺らぐ気がして怖いし不安で、ちっちゃくなってしまいますね。そんな経験、みなさんにもありますでしょうか。そんなとき、みなさんはどんなふうにしていますか?


わたしは、と思いを馳せると、このメンバーブログにあった「閉じる」というワードが浮かびました。そして、以前はりえちんの言うように、せざるを得なかったのを、最近は自分を大切にするために意図的に能動的に「閉じておこう」とできているかもしれません。これ以上開いて頑張っちゃうと、どんどんとご指摘やご助言がめりめりと自分のなかにめりこんでしまってよりダメージが大きくなってしまうのがわかる。なので、「すみません、一旦入ります・・!」って感じでしょうか。前はそうやって能動的に閉じる前にエネルギーを使い果たしてしまい、空き地の真ん中で無防備に大の字になり、「もう好きにしてください・・・」と攻撃を浴びるままにしてしまったのですが、最近はそこに至る前に自分を守れているのかもしれません。「逃げる」と思うと後ろ向きな気がして罪悪感もうまれるのですが、でもエネルギーを溜めるためと思うと、理性的な行動でもありますよね。りえちんが今年の10日目のブログで書いておられた武田さんのおことばに、わたしも救いをいただきました。そして、そういった試行錯誤をしている自分を思い返してみると、愛おしいものかもしれません。

みなさんがどんな状況にいまおられるかはわかりませんが、すこしでもあったかい場所で、ご自身を信じたり大事にしたりしている感覚をほんのりとでも持てる時間がありますように。

良い、お年を、お迎えください。


つぶやきびと:みどりん

2024年12月23日月曜日

笑い、笑われる、笑いあう

月曜担当のかやです。アドベントもすっかり過ぎて年の瀬に書いています💦

精神的につらいときにはお笑い番組がしんどい、見られない。そんな話を聞くことがありますし、わたしもその例に漏れずです。クリスマスの時期はみんな楽しげに見えて寂しくなる。そんな話はよく見聞きしますね。どちらも自分の置かれている状況を見せつけられるからかも、と思ったりしています。


コント番組や漫才のグランプリの類は、たまに見るのですが、面白いと思えるものはけっこう少ないかもしれません。たいていのお笑いは、いわゆる世間の普通とのギャップをネタにしていると感じていて、かみ合わない会話とか、ちぐはぐな格好やカップルとか、高望みをしすぎる人たちとか、そのような設定をしがちと観察しています。


人が面白いと思う場面の一つは、普通や当たり前とのギャップ、あり得なさであることが多いと思います。上のようなシーンを笑いのネタにすることは当然のことかもしれません。人の失敗を笑うのもそうですし、自分の失敗を笑い話にするのも、何かしらおかしいときが多い。


障害のある人も、コミュニケーションがかみ合わないことがしばしば起こりえますから、お笑い番組を見ていて、自分も含めて障害のある人が笑われてるのかな?という感覚を抱いてしまうことがよくあるのです。


不思議なところは、笑われていると思うことは常にではなくて、体調や状況次第である点です。自分とは直接関係がないはずのネタを見聞きして、自分は笑われる側だ、と感じたときにつらいんですよね。


笑う人、笑われる人の構図になるとちょっとしんどい。


とはいえ、自分の過去を振り返って、失敗が笑い話にできると前に進める感じがします。


自分にとって辛かったり、恥ずかしいと感じている失敗を、同じように経験している人が笑いのネタにしているとき、その話を聞いていると自分が揺らぐことがあります。余計に辛くなることもあれば、そうかー、この人はあの出来事を笑えるのかーと、失敗をすこし外から眺める体験をすることもあったなぁと思い出されます。


笑い合える場面は楽しい。


笑い合えるまでにならなくても、失敗談を笑えるロールモデルは、ピアサポートにとって大事な要素なのではないだろうかと感じています。


ただ、失敗談を笑い話にすることで、成功者ちっくな雰囲気も醸し出すかもしれません。誰も傷づかないような笑い話には、ちょっとしたコツとか、話し手の姿勢とか、何かあるのでしょうね☺️。