月曜担当のかやです。アドベントもすっかり過ぎて年の瀬に書いています💦
精神的につらいときにはお笑い番組がしんどい、見られない。そんな話を聞くことがありますし、わたしもその例に漏れずです。クリスマスの時期はみんな楽しげに見えて寂しくなる。そんな話はよく見聞きしますね。どちらも自分の置かれている状況を見せつけられるからかも、と思ったりしています。
コント番組や漫才のグランプリの類は、たまに見るのですが、面白いと思えるものはけっこう少ないかもしれません。たいていのお笑いは、いわゆる世間の普通とのギャップをネタにしていると感じていて、かみ合わない会話とか、ちぐはぐな格好やカップルとか、高望みをしすぎる人たちとか、そのような設定をしがちと観察しています。
人が面白いと思う場面の一つは、普通や当たり前とのギャップ、あり得なさであることが多いと思います。上のようなシーンを笑いのネタにすることは当然のことかもしれません。人の失敗を笑うのもそうですし、自分の失敗を笑い話にするのも、何かしらおかしいときが多い。
障害のある人も、コミュニケーションがかみ合わないことがしばしば起こりえますから、お笑い番組を見ていて、自分も含めて障害のある人が笑われてるのかな?という感覚を抱いてしまうことがよくあるのです。
不思議なところは、笑われていると思うことは常にではなくて、体調や状況次第である点です。自分とは直接関係がないはずのネタを見聞きして、自分は笑われる側だ、と感じたときにつらいんですよね。
笑う人、笑われる人の構図になるとちょっとしんどい。
とはいえ、自分の過去を振り返って、失敗が笑い話にできると前に進める感じがします。
自分にとって辛かったり、恥ずかしいと感じている失敗を、同じように経験している人が笑いのネタにしているとき、その話を聞いていると自分が揺らぐことがあります。余計に辛くなることもあれば、そうかー、この人はあの出来事を笑えるのかーと、失敗をすこし外から眺める体験をすることもあったなぁと思い出されます。
笑い合える場面は楽しい。
笑い合えるまでにならなくても、失敗談を笑えるロールモデルは、ピアサポートにとって大事な要素なのではないだろうかと感じています。
ただ、失敗談を笑い話にすることで、成功者ちっくな雰囲気も醸し出すかもしれません。誰も傷づかないような笑い話には、ちょっとしたコツとか、話し手の姿勢とか、何かあるのでしょうね☺️。