2023年12月20日水曜日

18日目:夜は暗くてはいけないか


こんにちは!にしこです。


Silent night, Holy night ...


きよしこの夜、今年もクリスマスイブが近づいてきました。夜の街は賑わい、光で溢れています。LEDのイルミネーションで彩られた眩い夜を、聖なる夜に厩で生誕されたというイエズス様は予見されていたでしょうか。

 


現代を生きる私たちの夜はどんどん明るくなってきています。テレビなどで人工衛星画像を目にする時、人工の光で輝く夜の地球の明るさには驚かされます。特に列島全体が明るく映し出される夜の日本は、明かりをたどれば日本地図をそのままなぞれるかのようです。


私たち人間は歴史的に「明るさ」を求めてきました。焚き火や松明などの原始的な明かりから始まり、灯明、行燈、蝋燭、そして、ガス灯、白熱電球、蛍光灯、LEDへと続く技術の進歩と、照明インフラ整備を含む文明社会の発展に伴って、夜はどんどん明るくなっていきました。ですが、ここにきて明るさの追求に疑念を呈する議論も出てきているようです。地球温暖化や省エネルギーの観点だけでなく、夜行性の動物・昆虫の営みや、サンゴの産卵など自然界の生態系に人工光がもたらす影響、すなわち光害(ひかりがい)への懸念から、警鐘を鳴らす科学者の方がいます。

 

明るすぎる夜は、地球環境に影響を及ぼしますが、私たちの内面世界にも少なからず影響を与えているのではないかという気がします。

 

私の幼少期は、蛍光灯が主流でしたが、白熱電球も生き残っているという、そんな時代でした。生まれ育った郷里、新潟の地方部の夜は、今に比べると格段に暗かったです。外に出ると天の川など星空が仰げましたし、夏の夜、朧げな蛍の光も印象に残っています。家の中も居間こそ蛍光灯で明るかったけど、玄関や台所は薄暗かったです。家のそこここに闇が潜んでいて、夜のお手洗いはとても怖いものでした。闇の中に、お化けや鬼、もののけなど、この世のものではない妖しき気配を疑いなく感じられたし、夜、真っ暗い部屋で布団にもぐる時など、人は死んだらどうなるんだろうとか、自分は本当にこの世に存在しているのだろうか、といったことなどを考えて、とても怖くなった思い出があります。

 


いま東京に住んで、真の闇というものを体験することが皆無になったことに気づかされます。闇に身を浸す機会がなくなるにつれ、深く思索する時間も減ったように思います。暗闇の中で死への恐怖を感じることがなくなった分、生きていることへの意識も希薄になった気がします。


哲学や思想や宗教は、きっと夜の暗闇の中から生まれてきたのだろうと思います。明るいことはいいことか。光というのは、闇があってこそのもの。元来、原始から存在した闇と共に、見えないものへの畏怖も失いつつある私たち人間の将来はどうなるのかなあと、喫茶店の間接照明の薄明りの中、考えていた今日の午後でした。


 

※今日のこの稿のタイトルは乾正雄先生のご著書から拝借したものです。乾先生曰く「暗さは人にものを考えさせるものだ」。参考にした本は以下です。

 

  • Bogard, P. (2013) The End of Night: Searching for Natural Darkness in an Age of Artificial Light. London: Fourth Estate.(=2016. 上原直子訳『本当の夜をさがして ― 都市の明かりは私たちから何を奪ったのか』 白揚社.)
  • Eklöf, J. (2020)Mörkermanifestet: om artificiellt ljus och hotet mot en uraldrig rytm. Natur & Kultur. (=2023. 永盛鷹司訳『暗闇の効用』 大田出版.)
  • 乾正雄(1998)『夜は暗くてはいけないか ― 暗さの文化論』 朝日新聞社.

 

ではまた!

 

つぶやきびと:にしこ