2021年12月3日金曜日

6日目 ピアという存在

今日のひと場面。仕事で採血をさせてもらいながら患者さんとお話をしていました。

どんなきっかけだったか、患者さんがおもむろに50年以上前に病気で亡くされたお子さんのお話をぽつりぽつりとしてくださいました。そのお子さんが体験された治療の話、そしてその患者さんがいまもそのお子さんとお茶やごはんを一緒にしているというお話を聞くにつけ、わたしはなんだか胸が詰まってしまって、涙がぼろぼろと出てしまったのでした。

先日も、15年以上前に亡くされたご家族のお話をしてくださった方と時間を持ちました。穏やかにやわらかに亡くされたご家族との思い出をお話しされるのを聞きながら、いまでもその方の中で生きておられる大事な方の姿をリアルに感じました。

わたしは4年前に亡くした自分の大切なひとをいつかは忘れてしまうのではないかというおそれを持っていましたが、その方達のお話を聞いていると、どんなに時間が経ってもちゃんと忘れずにその人の中で生きているのだということを教えられ、すごくありがたく思うとともに安心もしたのです。


そう、わたしは誰かが大切なひとを亡くした話を聞くと、自分の体験と同期してしまってこころが揺さぶられます。それはひとの話でも、本や映画やドラマでも。

でもでも、かやさんが先日書いておられたとおり「身近な人を亡くす」という事象は同じでも、おそらくその関係性や思いによってみんな違う体験のはず。そこは忘れてはいけませんね。


だからこそ、おなじことはもちろんだけれど、ちがうことも含めてその事象について語れることはありがたいなと思います。自分だけだと思っていたことが実は他の人も同じであったと発見して楽になることもあるでしょうし、ちがいを見つけて「そんな考え方もあるのか」と気づきを得ることもあるでしょう。その同じことや違いのあることについてただただ味わうこともできるし、「なんでなんだろうね」と深掘りすることもできるかもしれません。


生きていると、こうした喪失も含めて元通りにするのは難しいことが多くあります。経験はなかったことには出来ず、その人の人生に積み上がって進んでいくからです。本当だったらなかったことにしたいくらいの苦しい想いや経験もあるけれど、そこにいまいちど踏みとどまって、とまってしまった時間を一緒に過ごす勇気をもらったり、先に進める一歩を見せてくれるのが少し先を歩くピアという存在なのかもしれません。

今日の体験を経て、そんなことを考えました。

まとまりませんが、今日はここまで、です。


(つぶやきびと:みどりん)