2021年12月23日木曜日

26日目 ピアとしての経験が邪魔をするとき

ふぅ。。。あと数日で冬休みです。そして冬休み前のなんだかわからない(ってことも無いか…)バタバタに追われてあっという間に一日が終わっていきます。。。トホホ。

 

そして一日を終えるこの夜の時間に考えていることは、「経験が邪魔をするとき」ということについて脳内がグルグルしています。この話題は日中のお仕事の中で考えるきっかけを頂いたのと、しっぷろメンバーのにしこさんから前にも考えるきっかけを頂いていたテーマでした。

 

近年、ピアサポートやピアサポーター、ピアスタッフに関心がある人達の間では「経験を有すること、それがピアの専門性」と捉えられることが増えているように思います。(※ここでいう経験というのは病そのものによる経験や、病を有したことによって得た経験、もっと広くとらえるとこれまで生きてきた人生経験をさす感じで思って頂けるといいかしら)

 

確かにそれはひとつあるだろうと思うのですが、経験を有するがゆえに、目の前の方の今に対して、自分自身が経験を有することから来る先入観の持ち込みや自分の中の価値判断の持ち込みなどによって、「ただ聞く」ということをより難しくさせることがあるだろうなと考えるわけです。きっと理想としては「ありままを聴く」「判断をしない」などを心の中心に掲げる方は多いだろうと思うのですが、実際の自分に目を向けた際に、これは本当に難しいことのように思います。


ピアサポーター、ピアスタッフとして自分の経験を語ることをよくリカバリーストーリーと言ったりしますが、ここの部分がかなり大きく取り上げられることで、当事者性を活かす働きは語ること・経験を分かち合うことに主眼が置かれがちですが、本当にそれでいいのかなとおもうことしばしばです。「くち」を使って言葉を紡ぎ出すこともとても大切な営みだとは思うのですが、同じかそれ以上に「みみ」を活かす(耳が物的に感じるようでしたらこころと置き換えて頂いてもよいです)こともとても大事になってくるわけで、その為にはさらに「聴くこと」と同じくらいに「聴けなくなること」についても関心を寄せることが大事になってくるだろうと思っています。

 

そういう私自身も出来ていないと感じることが多いので、道半ば。

思うことは沢山あるのですが少し長くなってきてしまったので今日はこの辺で。


(つぶやき人:りえちん)