2021年12月21日火曜日

24日目 お互いさま

アドベントがすっかり終わってから24日目を書いていて、申し訳ありませんm(_ _)m。


兵庫県のとある地域では、ピアサポーターが、訪問先の利用者にかかわるときに「介入」という言葉を使っていたりします。初めて耳にしたときは、まじかっ、と驚いた。介入という言葉がダメという訳ではないが、一方向でほとんど相互性がない言葉に感じられるからでした。


ピアサポーターには深い意味はたぶんなくて、周りの支援者と同じ言葉を使っているにすぎないことは理解しています。介入には違和感を感じる私ですが、日常的に支援という言葉はよく使うので、支援という言葉に抵抗感がある人たちには似たり寄ったりかも。ちなみに、支援や介入に、相互という言葉を頭につけてみると、相互支援は頻出される使い方ですが、相互介入という用例は多くありません。



ピアサポートは「仲間同士の支え合い」、相互の、お互いさまの関係という意味合いが前提のように思います。


ピアスタッフのように、対価を得て、目の前の利用者や患者とかかわるときには、1対1のその場の関係だけを見れば、お互いさまの関係にはならないように思われます。ピアスタッフがサービスを提供している側であることは否めません。



もっぱら、話を聴く役割はピアスタッフであり、ピアスタッフが自分ごとの悩みを話すことがあったとしても、それはオプションのようなもので、話を聴くことを提供している側であることは変わりません。相互的にではなく、一方向的なサポート、もっと言えば、ケアをする立場かもしれません。



お友だちの関係であれば、その場では相談に乗っていて、一方向的に傾聴したとしても、別の日の別の場所では、相談に乗る立場が逆転しているかもしれません。お互いさまの関係です。ピアスタッフと利用者はこの立場が逆転することがなく、どうしても一方向的のままです。



ピアスタッフの相互性はあるのでしょうか。同じようなメンタルヘルスの疾患を抱えているという共通性が、かろうじてお互いさまの関係につなぎとめられているのかもしれません。メンタルヘルスの疾患があれば精神科医療や福祉を利用することになりますし、悪くいえば、医療や福祉に翻弄される立場です。同じような偏見にもさらされます。クライシスなどのリスクを抱えながら生活していたりします。



ところで、ソフトウェア業界には「ドッグフードを食べる」という言葉があります。ドッグフードの製造メーカーが自社のドッグフードを食べる、という意味から転じて、自社製品を開発している際に、発売前のテスト段階から開発中の製品を使いながら開発を続けることを言います。開発中の製品を使うことは不具合が多く残されているために非効率ですが、その方が潜在的な不具合を発見しやすく改良しやすいからですね。



ピアスタッフは、ドッグフードを食べることに似ているかもしれない、と思います。自分たちが仕事の領域である医療や福祉の不十分さ、あるいは、良質さは、そのまま自分達に跳ね返ってきます。ピアスタッフのサポートは、そのまま、自分たちに跳ね返ってくるからこそ、目の前の利用者とお互いさまの関係と言えるのかもしれません。