2021年11月27日土曜日

お便りいただきました

埼玉県にお住まいの、現在ピアスタッフとして働いていらっしゃるはやしー様よりメッセージをいただきました。

ご本人のご了承を得てこのブログでご紹介させていただきます。

掲載にあたり、以下のメッセージもあわせての掲載をとのことで、前文としてつけさせていただきます。

ーー
とても稚拙な文章です。
特に後半部分は私の思いがあふれていて、他人の大切な思いを踏みにじってしまうかもしれない。
不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。
お詫び申し上げます。


ーー最初にいただいたメッセージーー
私は精神の病自体にはそれほど苦しめられた覚えがないのかもしれない。ただの病気だし。
だから仲間のおかげで力をもらったことはあるけれど、当事者同士だからというのは違和感があります。
生きづらさとか精神的困難などというけど、かなり曖昧な気がしてなりません。社会から背を向けられてしまうこと。
それが何より辛かった。世の中が突然そっぽを向いてしまったことに気がついたとき、ひどく苦しいと思った。
ピアサポートのpeerは仲間とか同輩という意味だと聞いています。
私は社会に背を向けられたことのある人であれば、優れたサポートをする素地があると思っている。
その傷の痛みは人を支える圧倒的なストレングスになりうると思うのです。
ただ痛みを知っているだけだとうまくいかないという経験則も直感的にはある気がしていて、ある程度人との
心理的な距離を保てることが必要なのかもしれないんじゃないかとは思うけど。
前の一文はわからないので適当に書きました。すいません。
同じであることはメリットもあるかもしれないけど、デメリットでもあることを意識した方がいいと思うのです。
それは常識なのかもしれないですね。ピアスタッフとして働いている身でありながら、同じであることは重視していない私。
それよりも社会から背を向けられた体験とその時の痛みこそ私の力です。
いつも意識してピアなんてそんなに大したことないと思うようにしている。
それくらいピアサポートと距離をおいたほうがメンバーさんにとっても自分にとってもいいと思っている。
人によってポリシーは様々なので、私の在り方がピアスタッフとして良いのか悪いのかわからない。
同じであることのメリットを生かしたサポートをするのも悪くない
ただピアサポートの甘ったるい共感なのか共鳴なのかそういうことばかり前面に出した話が多すぎる。
なんとなく「同じ」であるということで、周りと違うと言っているように見えてしまう。
誰とも大して変わらないピアスタッフの当事者であることが、同じであるためにあるデメリットを淡く見えなくしてくれる。
高すぎる熱量を下げてくれる。そんなことを思っているのです。
要するにピアサポートのエネルギーは同じであることを源泉にするんじゃなくて、社会に背を向けられ
苦しんだ痛みにあるんじゃないかと思うのですがよかったら意見を聞かせてください。
ーー

はやしー様、メッセージを本当にありがとうございました!
メッセージ掲載までにお時間をいただいてしまい申し訳なく思いつつ、このようにメッセージを頂戴できましたこと、とてもありがたく、感謝申し上げます。