2025年12月23日火曜日

【24日目】開きつづけることへのチャレンジ

 今日は12月23日。クリスマス・イブイブというのでしょうか。

仕事の中ではデイケアでクリスマスケーキをみんなで作ったよ!とか、クリスマス会で○○○をやるんですと聞かせてくださる方、クリスマスコンサートなどに参加させて頂いたりと心が少しウキウキするような時間をここ数日過ごしています。また、プライベートでは思いもよらず(?)郵便でクリスマスカードを送ってくれた友人がいたりとその心配りに感服し、心が温まる機会を頂いています。このような時間や機会に触れると、あたらめて日頃、この時を一緒に過ごしてくれている人に感謝が湧きます。

頂いたクリスマスカードたち


他方で、今日とある方から朝一で、「今日は機嫌が悪い」というその日のコンディションを聞いたときに、なんだか心が一瞬、キュっと固くなりそうな感覚が自分の体感としてやってきました。「今日はイマイチなんだよね」でもなく「今日はちょっと不調で」でもなく「機嫌が悪い」という言葉そのもののインパクトも少なからずあった気がします。

「今日は機嫌が悪い」とだけ聞いた時に、キュっと私自身にも硬さがやってきそうでしたが、ここで思ったのが、相手がそうであっても自分も一緒にここで閉じてしまうものもなんかちがうなぁ…ということでした。10数年前の自分だったら、きっと聞いた瞬間に自分の心の扉も静かに閉じる方向に力が動き始めていたかもしれません。

その人の中で何が起きているのかもまだわからず、けれどもとっても表情もこわばっているというか眉間にしわが寄っているように感じた時間は、私自身にとっても心地よさはかけた時間でありました。けれども、ここで自分も閉じたらさらに居心地悪くなりそうな気もして、できればそれは望まないなぁ…などが2,3分のなかでグルグルと頭を駆け巡っていました。

結果、なにか気の利いたことが言えたりはしなかったのですが、でもこういうときの気を利かせたつもりの一言って大体明後日の方向にボールを投げるのと同じような感じで、見当違いなことを言ってしまったりもするのですよね。ちなみに私はいまでも何か言わなきゃ…、相手が黙っていたり、何も話さない人であればあるほど、そのような気持ちに突き動かされてしまうことがあるのですが、そこでハタと立ち止まる事を何年も修行しています…。

話を戻すと、2,3分のあいだ、自分の頭の中で、”さて、どうしたものか”と考えが巡っていたのですが、結果、その後の時間もいつもと変わらず過ごしたのでした。何かあったの?とわざわざ聞くでもなく、気を利かせたつもりっぽいことをいうでもなく、ただただ、”あぁ、いまはそういう感じなんだなぁ”って、思いながら一緒に過ごす、という感じですかね。

こうした時間を過ごす中で思うのは、ピアサポートって共感とか寄り添い、相手を理解する、尊重するとか…そのような耳障りの良い言葉である種溢れている世界観のだなと日頃から思っている私がいます。もちろん素敵な世界観であることには同意するのですが、これらと同じくらい、相手のことが分からなかったり、共感するには難しさを感じるとき、理解するほど相手のことや状況を分かっていないときもあるなと。なんだけれども、それでも一緒に過ごす時間や空間にとっても大切な何かがきっとあるような気がしています。

自分がとても困難が大きかった時のことを思い返すと、友人や仲間、家族や他者、支援者が自分自身の困難さを理解してくれていたと言うには充分ではなかったとしても、それでも側にいてくれてた時の場面や空気感はなぜか覚えているのですよね。もしかすると気の利いた言葉をかけてくれた人もいるかもしれないのですが、そういった言葉を鮮明に思い出せるものはあまり多くなくて、でもその時の場面が絵として思いだせることはあるし、その時の空気感やただ一緒にいてくれた感覚に支えられてたりってあるなと思ったりしたのでした。

今年のアドベントBlogの担当はこれにて終了^^
みなさんお付き合いありがとうございました。

(つぶやき人:りえちん)