月曜日担当のかやです。
先日、全国「精神病」者集団の結成50周年の集まりに参加しました。分裂の危機に何度も見舞われながらも、半世紀に渡って存続し、国の検討会にも構成員を送り込んでいることに先輩たちに敬意の念を抱きます。世界を見渡しても50年以上活動している精神障害の団体は指折りできるくらいだとか。
わたしは、「病」者集団を、ピアサポートでもあるけれども、アドボカシーの色合いが濃い団体という印象も抱いていますが、歴史を紐解くと相互扶助が基盤の一つにあることがわかります。
結成される頃の1960年代から1970年代にかけて、圧倒的に社会資源のない時代に、精神科病院から退院先は限られていました。精神病者の身分でも入居でき、しかも低家賃のアパートは限られていて、同じような仲間が近くにまとまって住むような例がよくありました。お互いの部屋を行き来して、体調の悪い仲間を助け合うようなサポートが自然に成り立っていたそうです。悪徳な精神科病院から脱走した仲間をかくまうこともあったとか。この時代のピアサポートは、自身と仲間の生存のため側面がありました。
現代においても、開発途上国では公的な精神保健サービスが整備されていないため、当事者や家族たちが組織をつくり、資金調達からサービス提供までを行うことがよく見られます。あるアフリカの国の地域では、地元に医療従事者が一人もいないために、患者同士でお金を出し合って、仲間を隣国の看護学校に派遣したエピソードを聞いたことがあります。
誰も助けてくれないから自分たちでサポートを提供するしかない、という状況は、患者会が立ち上がった日本の1960年代の精神保健と共通するところがあるのかもしれません。
ちなみに、日本の診療報酬で精神科デイケアが新設されたのは1974年、今から50年前のことです。いまの日本では、生存のためのピアサポートの側面は当時に比べると薄れているでしょう。生活保護、障害年金、公的なサービスが、不十分かもしれませんが、整備されています。
かつての患者会の先輩たちが行っていたような、仲間の部屋を訪れて介抱をする、ご飯を作ってお裾分けする行為は、今では訪問看護やヘルパーが担っています。
いまの日本でのピアサポートの特徴は、生きづらさへの共感、仲間同士のつながり、生きづらさへの共感、自分らしい人生を生きるための指針といった類のものだと感じています。不安への向き合い方、生きる意味を探すというような実存のピアサポートという側面があるかもしれません。
全国「精神病」者集団の結成50周年の集まりの日、精神障害者リハビリテーション学会のシンポジウムにわたしは登壇していました。学会や研究に当事者参画することの意義のテーマでした。ピアサポートはもはや当事者だけのものというよりは、サービス提供、研究にも貢献していくような存在を期待されているようにも感じます。
50年後の2074年のピアサポートはどのようなものなのでしょうね。